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花園の魔道姫アミアン2  作者: 横山優
第2章 いつだってあんたを守るから
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第9話 バタフライ・エフェクト

 ザイナス皇帝スカリアは(よわい)六十を超え、肺の病気も(わずら)って、ここ二年間床に伏している。アプロディーレ城はエイベミクス市の西にあり、黒く高くそびえて、皇帝が休んでいる皇宮とつながり広大であった。

 見事な彫刻の施された金属製のベッドは大きく、その真ん中で清潔なシーツに包まれて横になっているスカリア帝。部屋の窓からは市内を一望でき、見目麗(みめうるわ)しい曲線を描いて帝都を流れるフレオーン川と、そこで働く幾つもの船を見渡せる。……皇帝がお元気であれば。



 政務を執れないので立てている宰相は、その紳士的な外見と裏腹に姑息(こそく)な男で、自分がザイナス帝国の政治を牛耳(ぎゅうじ)っているかのごとく振る舞うのだった。帝室に近い者たちはスカリア帝と宰相との間で二派に分かれ、今や醜い内紛の状態にある。

 宰相「人の心は滅ぼうとも、我がザイナス帝国の栄光はゆるぎない」

 皇帝「人の心は滅ばない。世界が破滅しようとも人は気高く生きるのだ」

 両派は真っ向からぶつかっており、帝国を傾かせる最大の原因であった。



「お食事をお持ち致しました、陛下、幾らかでもお召し上がりください。お身体がもちませんゆえ……」

 スカリア帝の側近の女性がベッドルームへ入って来た。

「私の仕事はどうなっている? 宰相はどんなようすであるかな」

「自分に近しい人間たちだけで盛り上がっております。彼は宰相の器の者ではありません。スカリアさま、私は……!」

 皇帝はゆっくりと身を起こし、腕でその細い体を支えた。白く長いアゴヒゲを伸ばし白髪を丁寧に整えて、スカリアは威光を保つ。



「人と人とは必ずどこかでつながっている。自分というものは、その人が全くあずかり知らないところで、たくさんの誰かのお陰で成り立っている。だから直接に関わらなくとも感謝を怠ってはいかん」

 皇帝は温かいミルクがゆをスプーンですくい、注意深く口へ運んで食べている。側近の女性は窓から外を見た。皇帝へ向き直る。

「先ほどの騒ぎは<人ならざる者>が関係していたとか。私たちの世界でも、多くの人の心は闇に閉ざされていると聞きます」

 ザイナス皇帝と部屋で二人きり。側近の女性はよほど信用されていよう。

「感謝が足りないのではと……!」と言い、老帝は咳き込む。



 誰かが厚く大きな両開きの扉をノックした。向こう側で、自分はメッセンジャーだと言っている。側近が扉を少し開けた。

「怖れながら……一人の騎士が謁見を求めて訪れております」

 それはスカリア帝に聞こえていた。「騎士」という言葉に強い反応を示している皇帝。食事の手を止めて口をきく。

「誰かな? こんな、世も末というときに緊急の謁見を求めるとは。心当たりは一人の男しかおらぬ。強き自分を持つ者じゃ」



 側近の女性が手伝って皇帝をベッドから降ろす。「その男」には心当たりがあるという風に、側近は言葉を選んで言った。

「おっしゃる通りでございます、陛下。バギャラ=リーヴス、かねてより自分の意志を貫いて来た(ごう)の者。足元をお気を付けください」

 スカリア帝は自身の帝位の象徴たる<錫杖(しゃくじょう) セプター>を求めた。部屋の外には七名の<皇帝派>が控えていた。スカリア帝を支えつつ皇帝の間へ向かう。そこでは選ばれた衛兵たちが、玉座の前で畏まり、久しぶりに父のごとき皇帝と話をする一人の騎士を見守っていた。



「一年の猶予。大事に使わなきゃ、よね?」

 皇帝の間の控え室では、アミアン姫と騎士の付き人がアンティーク調の高椅子に腰かけている。声を抑え気味にして彼女は口にする。

「おかしなことが起きるたびに思います。このままの社会を後の世代へ受け継がせることはできないって」

「立派な心掛けです、姫君! ザイナス出身でないどころか、アーマフィールドの出身ですらないのに……!」


            *     *     *


 スカリア皇帝が周囲を守られて入室する。(かしこ)まっている騎士は、より一層姿勢を正し、低くした。セプターを杖代わりに段を上がり、黄金と紫の織物で造られた玉座へ腰かける老帝。目の前でじっと控えている騎士の顔を見なくとも、それが誰であるのかは呼吸でわかる。

「そなたが私の剣で受勲し、騎士と成って十年以上……早いものであるな。我が目に映るそなたを見て、思うところは実に多い」

「恐れ入ります、スカリア皇帝陛下。一年前と変わらないごようすで、一先ず安心致しました。ご気分はいかがでしょうか?」



「それよりも……そなたがここへ参ったのは並々ではない事情があってのこと……そうであろう、騎士リーヴスよ。私の機嫌伺(きげんうかが)いを長々とするというのは、いかにもそなたらしくない。さて、どんな要件かな?」

「恐縮です陛下。ならば率直に申し上げます。連れを隣の部屋に待たせてあります。ここへ呼んでも構わないでしょうか」

 これには皇帝の脇に列していた男性が鷹揚(おうよう)に応えた。

「構わぬ。先ほどの市内での騒ぎに加わっていた者であろう? 通せ」

「ありがとうございます。姫君を呼んでくれ」



「アミアンにございます、スカリア皇帝陛下。お目通しをたまわれて光栄です。ご機嫌麗しゅう」

 騎士の左へ来てお辞儀をした彼女を、その身のこなしから、老帝はどこぞの本物の王族であると見た。帝冠(ていかん)を動かさず質問する。

「失礼するが、どちらの姫君かな?」

「別の世界から……<人ならざる者>に破滅を言い渡され滅んだ、世界アシェーヌトピカからただ一人、助かって参りました」

「何、滅んだ世界から……! 騎士よ、いかにもそなたらしいことじゃ」



「陛下、私共が今回参りましたのは、是非のお願いがあってのことでございます! 話を続けても構いませんでしょうか」

 じっと話を聞く皇帝。わずかに吐息が()れたようだったが。構わず望みを切り出す騎士。緊張から、背中が痛いようす。

「ザイナス帝国に<保護貿易>を敷いて頂きたいのです、陛下。私たちの世界も危機的な状態にあります。そこで……」

 騎士はアミアン姫をちらと見る。(おもて)を上げ、今の話を引き継ぐ。

「この世界を救うため、経済を活性化させる必要がございます! そこでザイナス国内の産業を保護し有利に他国との取り引きを進める政策をお願いしたいのです。実は、その狙いはもっと大きなもの」



 彫像のように動かないスカリア帝。その心の内は読み取れない。話の続きを、背筋を伸ばした騎士が行う。

「次に<秩序と混沌の神々>に働きかけて、アーマフィールドの人々の魂を目覚めさせます。こちらのアミアン姫が引き受ける手はずに……!」

 アーチ状の入り口から覗き見ている男が数名。宰相とその一派だ。先ほどから騎士たちの話を室外で聞いていたと見える。彼らは直ぐに消えたが、謁見を鼻であしらい去り際に捨てゼリフを吐く。

「騎士ふぜいに何ができる! ふん、つまらぬものと関わったわ!」



 ひと言返したいといった表情の騎士であったが、何も言わずに父のごとき皇帝へ向き直る。そして「決め手」を告げる。

「<目的意識>を明確に持てば、人々の目も覚めましょう、陛下!」

 そしてアミアン姫と二人、一層深く畏まった。老帝が重い口を開く。意外な言葉が出て騎士たちは戸惑うのだった。

「もうすでに、やっておるよ。帝都での騒ぎの前からな」

「……陛下、それはどういう意味でありましょうか?」

「ザイナス国内の産業を保護し、経済を盛り上げる策を打ち出したということじゃ。そなたらのお陰でな、リーヴス、それに姫君」

 自分たちのお陰で? どういうことだろう、心当たりのない二人である。


            *     *     *


 突然、スカリア皇帝が咳き込む。肺のご病気が! 騎士は片膝をついて畏まった姿勢から、反射的に右足を一歩踏み出す。もちろん心配してのことであったろう。しかし室内に居る、ザイナス皇帝を守護する十数名の衛兵の内、十名がこれをさえぎる。瞬時に騎士の行く手を金ぴかな長槍の先端が取り囲んだ。ズラリと整った半円をなして並ぶ穂先。

 いかに皇帝から可愛がられている騎士であっても、一線を踏み越えてはならないようす。彼は元の姿勢へ戻り(こうべ)を垂れた。



 緊迫した空気を払いのけるように、左手で衛兵らを退けるスカリア帝。彼らは再び皇帝の間での掛け合いに戻る。

「どういうことでしょう、陛下……! 私どものお陰で、しかももう手が下されているというのは? 伺わせてください」

 皇帝は玉座の中で身じろぎもせずに、姿勢を正したまま答える。

「知っていよう、青の吟遊詩人な。彼女は私の直属の……」

 皇帝派である脇に立つ男性がその発言を止め、自分で説明を始めた。

「皇帝陛下に近しい者の動きについての情報は、様々な手で我らの元に集めさせている。そちについても例外ではないのだ、騎士リーヴスよ」



 そうするとスカリア帝は、騎士の信頼に背くような諜報行為をしていたことになるかも知れぬ。一瞬、皇帝を見た騎士、歯を食いしばる。

「時世が時世ゆえだ。許しておくれ、私の可愛い騎士よ」

 これには一層畏まって耐えた、騎士リーヴス。老帝が声を掛ける。

「簡素ながら食事の用意をさせている。来てくれるかな、二人とも?」

「皇帝陛下、お身体の具合がよろしいのでしたら、私どもとしましては是非(ぜひ)もありません。……アミアン姫?」

「私、アミアンも同様でございます、皇帝陛下」



 来賓を招く食堂はアプロディーレ城の内に幾つかあるが、スカリア帝たっての希望で国賓級(こくひんきゅう)の客間に接する食堂に昼食が用意されていた。これはアミアン姫――かつては一国の姫君であった――に配慮しての計らいである。

 甘酸っぱいドレッシングの掛かったサラダ、ジャガイモのスープ、鴨肉のロースト、それにデザートとして梨のパイが出された。

「久しぶりで人間の食うものにありつけた!」とは、騎士の言葉。

 スカリア皇帝は少量を口にして席を立ち、寝室へ戻った。



 皇帝の側近の女性が二人の客を讃えて言う。

「あなた方の行動がザイナス帝国を動かしたのです。今では国の至るところで、内需(ないじゅ)と労働力を保護する経済政策が施行されているはず」

 世界を救わんとして、その方法を調べていたアミアン姫と騎士。それが自分たちのあずかり知らないところで、すでに実行されていたという事実に、複雑な思いであろう。姫は喜んでいるようだが……?

「小さな行動が徐々に大きな変化を引き起こす。今頃は大陸中に経済効果が出始めているかも知れませんね。言うなれば、これこそ<バタフライ・エフェクト>でありましょう」



 ()められているアミアン姫だったが、指で騎士の服の(そで)をつまんで引っ張っている。振り向くリーヴス。姫は自分の顔を指さしている。

「これ見て……ニキビが一つ。ここのところの不規則な生活で!」

「何です、吹き出物の一つぐらい……いや、お年頃の姫君に失礼でした。彼女を見てあげてくださいますか?」

 侍女を呼ぶ側近の女性。優美なデザインの小箱が届けられた。中に、ちょっとした薬などが入っている。その女性は<チョウチョのモチーフのニキビパッチ>を取り出し、アミアン姫の顔に張り付ける。



「これで本当に、姫君がチョウに成られて<バタフライ>ですわね!」

 笑顔になる三人と騎士の従者たち。女性は微笑みながら小箱から、また何かを取り出した。小さく細長いゴールドのケースに入っている。

「これはスカリア皇帝陛下からの密かな贈り物。はい、姫君。どうぞ使ってくださいな。<深紅のリップスティック>です」

「わあ! 嬉しい、ありがとうございます。これって魔法のリップスティックかしら、それともリップスティックが魔法なのかなー?」

 微笑ましい、女性と姫君とのやり取り。アミアン姫は、それならば騎士さまにもお礼をしなければ、と考え始めていた。


            *     *     *


 アプロディーレ城へ数日滞在することに決めた、騎士とアミアン姫。スカリア皇帝の許可も取ってある。一階の食堂から出て、幅の広くて長い廊下を見渡してみる。二階へ上がる階段が目に入ったので、そちらへ行こうとすると、騎士の従者三人が止められた。三人は城内を動き回るのに制限が掛かる。別室で待機してもらうことに。

 広大で荘厳(そうごん)な造りのアプロディーレ城を見て回る二人。豪華な赤い絨毯(じゅうたん)の敷かれた階段を上がる。すると……ほんのり、いい香り。何の匂いかしらと深く息を吸うアミアン姫。



 精気(あふ)れる花束のように香しい城内の空気にうっとりしつつ、二階を歩いてみる。するとまるで美術館のごとく、壁や台座に古めかしい品々が展示されているのが目に入って来た。

 ザイナス帝国へ長年貢献した昔の公爵の肖像画だったり、五百年前に作られたという立派なツボだったりを感心しながら見て回るアミアン姫。騎士はその後を歩きながら、価値ある美術品について解説していた。中でもマキシアス大陸東部の歴史を描いた木版画の数々に圧倒されていた姫君。心を穏やかにする効果のある香りの中でギャラリーを拝見し、胸を打たれた彼女であった。



「素晴らしいですわ! これを集めたのはどなたですの?」

「ご命じになられたのはスカリア皇帝だそうです。文化が(すた)れると人心(じんしん)が乱れる。そして文化は常に歴史とともにあるのだ……皇帝陛下が口癖のようにおっしゃっていた言葉です。昔の話ですが」

 ザイナス帝室についての話を聞いてから姫は思い出したように言う。

「そうだわ! 私、まだ騎士さまに何のお礼もしていません。たくさんのご親切に報いたいのですけれど……どうすればいいかしら」

「ありがとうございます、アミアン姫。そのお気持ちが嬉しい」



 ギャラリーを抜けると、今度は楽し気な音楽が彼女の耳に届く。

「あれは? とても陽気な音楽が……ズンチャッチャ……って聞こえて来て。騎士さまも聞こえるでしょう? たくさんの人の気配も感じます」

「ああ、パーティーでしょう。ザイナスの人々はダンスが好きで、良く集まって舞踏会を催します。ちょっと見てみましょうか?」

「うわあ! 見てみたい! 行きましょう騎士さま」

 二人は幾つかの部屋と廊下を通過し、ダンスパーティーの会場を探した。しかし参加するにはドレスコードを見られるでしょうと騎士は言う。



「あの……失礼してお化粧室へ。少々お待ちください、リーヴスさま」その間、騎士はパーティー会場の入り口で、案内の男性からドレスコードについて質問をする。幸い二人とも入場できるとのことだ。戻って来た姫君は、スカリア皇帝からの贈り物のリップスティックを使い、お化粧直しをされたご様子だった。騎士のエスコートでパーティー会場へ。

 すでに三十名以上の男女が優雅にダンスに興じている。騎士は言った。

「もし私にお礼をとお考えなら、どうか一緒にダンスを、姫君?」

「ええ、もちろんですわ。踊りましょう、騎士さま」



 入り口で「これを」と渡されたものが。黒いレースの目元隠しである。どうやら<仮面舞踏会>らしい。騎士とアミアン姫は人々に混じり、軽快なリズムに合わせてダンスを始めた。

 その頃、騎士の居城であるシュメーザー城の応接間では、執事のグレゴリーが使いの者に指示していた。部屋を整えておくようにと。

「アミアン姫さまのお部屋は、いかがいたしましょう」

「無論、しっかり整えておくのです。リーヴスさまの大切なお友達ですから。……お二人を見た限りでは……!」



 押しては引き、引いては押す。音楽に合わせてステップを踏む二人。楽し気に。周囲の人に気づかれない程度で、踊りつつ身体をぶつける姫。


「ズンチャッチャ、ズンチャッチャ! ウフフフ!」


狂おしい君のステップ、薔薇の赤はリップスティック。

仮面の下でぶつける、シェイクヒップ……。

彼女のウインク、もう気づいているよ。


 <チョウチョのモチーフのニキビパッチ>が可愛らしい、今日のアミアン姫。ここに、もう一つの<バタフライ・エフェクト>。


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