第5話 バリサリイン山脈の戦鬼たち
身を切るような凍てついた寒風が、逆巻きながら渦を巻きながら、バリサリインの雪山を吹き渡る。霊魂だけになってなお、戦い続けている戦鬼たちの雄叫びや、武器を打ち合う音が、周囲の山々に木霊してバリサリインの地を震え上がらせている。
ウオオリャアア!! ギイン! トウッ!! ギキン!
吹雪は止んだ。戦鬼たちの声と音とがはっきり聞こえている。アミアン姫はその迫力に恐れをなして震えている。風吹く中でも良く通る声で、キル=キシーンは彼女を呼んだ。
「あまり無理をしなくていい。我の後ろに居たまえ」
「うん、ありがとう。……そうします」
太陽が傾いて一面にオレンジ色の光を与えると、その中に少しずつ、ほんの少しずつ<戦鬼>たちが姿を現した。ヨロイや古い時代の衣服に身を包んだ、身の丈2m半から3mもあろうかという巨人、手に手に剣や鉾や盾や槍、ハンマー、モーニングスターといった武具を持って!
アミアン姫の目の前で、夕陽に照らされた男の戦鬼が姿を現し、攻撃を受けたのであろう、雪が高く積もった地面へ倒れ込み地響きが伝わる。
ズズーーーン!! ムオオオオオ!!!
その戦鬼は長く伸びた髪を振るって雪を落とし、気合いとともに立ち上がると、剣と盾を構え再び戦いへ戻って行く。その様はまるで生きているようで、ちっとも霊魂だけの存在に見えない。
一行は雪原を見渡せる高台に立った。バリサリインの戦鬼たちの戦場を一望にできる。大昔から片時も休まずに戦い続け、その意味を探し求める彼ら、彼女ら。女性の戦鬼もいるのである。目の前に広がる雪山の世界に、戦鬼の数、総勢およそ五百から六百名!
一対一で戦う者、バトルロワイアルをしている者たち、三対三のチーム戦をする戦鬼も居る。その光景は圧巻だった。何と馬に乗っている者も居る。とっくの昔に絶滅した大馬で、頭までの高さが5mある。
これに騎乗しランスを構え、突進しては交差する巨大な戦鬼の姿は、恐怖を通り越して神々しくさえあった。やはり何度見ても生きているように思える。キル=キシーンは振り向いて、アミアン姫や兵士たちへ向かって言った。
「あれらは全て霊魂だ! 生きているように見えるが、実際にはすでに死んだ、巨人族の戦士たちの霊魂なのだよ……!」
夕陽を背にして、<人ならざる者>たちは戦いのようすに魅入られていた。恐ろしくもある。だが崇高な印象だ。戦鬼たちの姿が壮烈で、見ているアミアン姫は息を飲む。
近くを巨体が通る度に、キル=キシーンはいつでも抜刀できるよう身構えている。そうさせるほど、バリサリインは現実の戦場であった。
彼の、その力の入り過ぎた大きな左手へ、そっと自分の右手で触れる姫君。思い出したように相手を見て、キル=キシーンはアミアン姫と目が合う。心配そうな姫君の顔。
「……アミアン姫……あなたはそうやって度々、我に自分を取り戻させて優しい者にしてくれる。我はあなたとは違う<人ならざる者>なれど、そんなあなたのことが大好きだ。とてもとても好きだ」
そうして彼の首筋から背中にかけて入っていた緊張は解けたのだった。
* * *
エイッ!! エイヤア!!! フンッ! トウッ!!
戦いの掛け声が雪原を走って、ずっと遠くの山々に反響している。
ギキィン!! ガイイン! ウオッ!! ウアアァ!!!
あちらこちらで倒される戦鬼たち! しかし彼らはすでに霊魂だけの存在なので、何度でも息を吹き返して戦いへ戻って行く。夕陽に戦鬼の汗と息が輝いて見える。もはや彼らは「生きている者よりも生きているように見えた」のであった。
一人の戦鬼がキル=キシーンたちの方へ歩いて来た。手を挙げてあいさつする。髪は長く身体は引き締まっている。男性だ。
「ここへ来る者は珍しいが、とりわけ<人ならざる者>は珍しい。私は戦鬼ニコレイ。そなたらは何ゆえ我らに会いに来たのだ。何か深い事情でもあるのかな?」
キル=キシーンは彼へ自分たちを紹介し、突然の訪問を詫びた。その上でここへ来た訳を説明する。
「武器で戦うとはどういう意味を持つのか、教えてくれまいか。こちらの女性に。アミアン姫、さあ」
そう言って姫君を招く。ニコレイは自分の半分とちょっとの身長の、可愛らしい人間の娘を見て一瞬、目を見開いた。
「そんなこともあろう。そなたの武器は? 人間よ」
アミアン姫は<キュレルボン王家のショートソード>を鞘から引き抜いて見せた。戦鬼たちの巨大な武器と比べれば、何とも弱々しく思える。しかしニコレイは大きくうなずいて、こう言った。
「よろしい。一度、戦ってみてはどうかね? 戦いの意味は戦ってこそわかるというもの。コロル! こちらへ来てくれ!」
呼ばれたのは女性の戦鬼だ。身長2mと70cm!アミアン姫よりも1m以上大きい。女性の戦鬼は全身にヨロイを着けており、長い柄を持つ槍を装備している。どう考えても公平な戦いになりそうもない。
「コロルです、よろしく。アミアン……アミアン姫」
戦鬼は自分の髪を頭の後ろで結い直し、丁寧に礼をした。これに応じる姫君。彼女もまた、金髪をまとめて戦いやすくした。
「戦いの意味、教えてくださいコロルさん。よろしく」
姫君はバッグから薔薇の花びらを取り出すと、小剣を振りかざしながら<剣豪になる魔法>を使った。だが強風で花びらは全て吹き飛ばされてしまう。呪文は発動しなかった。
「魔法が! これでは戦いにならないわ!」
待ったを掛けてもらおうとするアミアン姫。けれどもコロルは、長さ3mもある槍を振り回して迫り来る! 走って距離を取った姫君。
「戦いはもう始まっている! 腹を決めたまえ人間の女よ!」
ニコレイが注意を促した。戦鬼たちの幾らかは、こちらに注目している。
ヒュオオォォーーーッ!!! シュバーーーッ!!
激しい雪風が視界を遮る。アミアン姫の姿もコロルの姿も、一瞬にして白く閉ざされた。心穏やかでは居られないキル=キシーン。
「少し時間を与えてやってはくれまいか!? 戦鬼殿!! こちらの準備ができていないようだ!」
しかしながらその声は黙殺された。戦鬼たちにとって<戦い>とは、己の命を賭してなされる神聖な行いなのである。
* * *
風がやまないと薔薇の花びらを撒けない。このままではアミアン姫が危ない! 剣を抜いて躍り出ようとしたキル=キシーン。
「待たれい<人ならざる者>よ! 戦いが、いつもいつも準備万端で始められる訳ではない。これも彼女にとって必要な経験なのだ!」
一時、吹雪が去って姫君とコロルの姿が見えた。アミアン姫は無事なようだ。戦鬼の女性は槍を身構えている。
「薔薇剣士アルガトよ……!」
呪文を唱えながら花びらを撒いた。小剣が空を切って光をまとう。<剣豪になる魔法>は成功し、<神秘>も彼女を味方している!
「キエエエエーーーイ!!!」
まさに鬼のような形相でコロルは打ち掛かった! アミアン姫は右手の小剣でこれをいなしつつ、左手の<魔導書>の重みを利用して回転しながら体を躱す。その流れるような見事な動きに、ニコレイは思わずアッ!と声を上げた。
神速で小剣の突きを放つ!! コロルは間一髪、これをのけ反って避けた。アミアン姫の持つ<キュレルボン王家のショートソード>が、まるでグレートソードででもあるかのように錯覚させる鋭い攻撃だった。コロルはバック転して姫君から離れ、次の瞬間、突撃していた。その腕を狙って切り付ける小剣!
ブン!! コロルは槍を両手で回転させて小剣を防いだ。勢いで雪上へ倒れ込むアミアン姫。その頭へ槍の先端が当てがわれる。ニコレイが声を掛けた。
「そこまでだ! 勝負あった」
戦鬼との戦いに負けた姫君であったが、これでニコレイと会話する機会を与えられた。彼は、たまにここへ来る者の接客係なのだそうだ。左腰に帯剣していて、鞘に収まっている剣は長さ2mはあるだろう、巨大なものだ。普段の戦鬼たちの表情や物腰は柔らかで、アミアン姫は安心して交流できると感じた。岩山の洞穴の中で風をしのぐ。
「こちらで休憩を取りましょう、皆さん」
ニコレイに促されて入った洞穴は暖かく、一息つける場所である。
「そのショートソードは特別な品物に見えますね」
「ええ……私の出身国の王家に伝わるものなのです」
姫君は、戦闘でほつれた髪を手で直しつつ語った。
「その昔、騎士叙勲する儀式で、剣の重さにご苦労されている女王を見た家来が造らせた品らしいのです」
故郷を思い出して胸が潰れる思いのアミアン姫。そのようすを見て気まずさを察したニコレイが話題を変えた。
「魔導士の修行でこちらへ? 姫君は」
そのアミアン姫は、所持品のバッグを探っている。
「そうです。……あった。中身は割れていないかしら」
彼女は小奇麗な装飾のされた小さな缶を取り出す。開けると中から、アーモンドクッキーを一つつまんで手にした。
「ニコレイさんは食べられないわよね……ウサギさん、これどうぞ!」
「……せっかくだが我は人間の食べるものを口にしないのだ」
「そうなの。残念ね……」
仕方なく姫君は一人でクッキーをかじった。武器を壁へ立てかけると、ニコレイは戦いについての話を始める。
「我らが一人ではできないこと、二つ。コミュニケーションを取ることと戦うことです。戦い、争いは良好なコミュニケーションを何度も重ねることの対極にある」
* * *
キル=キシーンはアミアン姫へ、もっとニコレイと対話するように促した。姫君はクッキーを食べ終えると質問をし始める。
「戦いを避けるには良好なコミュニケーションが必要なのですね」
「そうです。それも、なるべく長い時間を掛けて、くり返し行うのが望ましい」
戦鬼ニコレイは、初対面の人間にも親切に教えてくれる。
「では武器とは何ですか、戦鬼さま?」
「力です、アミアン姫。武器は力に他なりません……様々な意味で」
洞穴の入り口から見える、大きく傾いたオレンジ色の光を背に、ニコレイは「戦い」というものについて語る。
「戦って、必ずしも相手を滅ぼすとは限りませんぞ。滅ぼすも道、けれど救うのもまた道なのです」
「<道>とは何でしょう、ニコレイさま?」
「それは<決まりごと ハウトゥー>であり、<我が道 マイウェイ>であり、<生活の仕方 ライフスタイル>でもある。そして道を行く途中で様々な<徳性>を学び、身に付けられるでしょう」
「徳性ですか!? 例えばどんな?」
「例えば礼節、例えば勇気、忍耐力」
「そう……でもコミュニケーションを取るにも、前もって何らかの徳性は必要ではないかしら」
「その通り。相手の人格を尊重する、最後まで相手の話を聞くといった徳性が必要でしょう」
最後にアミアン姫はニコレイへ、今回のお礼を述べた。彼は応じて言う。
「人間には良いところも欠点もあります。それを良く把握して向上して行ってください。楽しかった、皆さん。今日はありがとう」
日没が訪れてニコレイは見えなくなった。戦っている他の戦鬼たちも「声と音」だけの存在へ戻る。
<人ならざる者>キル=キシーンの先導で、彼らはバリサリイン山脈を後にし、アーマフィールドの安全で雪のない場所まで飛んで来た。水辺だ。見えるのは海らしい。波が打ち寄せている。
「ここは? この世界の、どの辺りなのです」
おもむろに、<人ならざる兵士>が姫君の肩からマントを外した。
「ここに居れば人に会える。あなたは例外的に<滅亡>から逃れたのだ。命を大切に、人間の姫君よ」
「待って!! 何を基準として滅亡と決まってしまうのですか!? それを教わらないのは理不尽です! 最後に教えてください」
「答えられない。我がアイデンティティは<人ならざる者>だ。世界を拓き、また滅ぼすべく宿命付けられている。……我は我が道を行かねばならん」
「ウサギさん、色々とどうもありがとう。お元気で」
その言葉に、寿命を持たないキル=キシーンは微笑みを浮かべる。月明かりの下、波の音が姫君の心に寂しさを思い出させた。
「お願い……私の生きていた世界で起きたことは全部、夢だったと、悪い夢だったと言って!」
容赦なく遠ざかる、銀色の人々の背中。
「何とか言ってよ!!」
「この世界は、あなたのような人物の助けを必要としている。アミアン姫……力になってやって欲しい。ではな、人間よ」
半身を切って左頬を見せたキル=キシーン。その無表情なさまから、彼の心を読み解くことはできない。表情を欠いた左頬はやがて遠ざかり、夜の暗闇の中へ溶け込んで行く。姫君一人を残して。
第2章へ続く。