一日の終わり
「赤き旗手」、それはこのエンドンの都市で30年以上活動しているギルドの名だ。こんなに洒落た名前にするつもりもなかったが、あいつの希望に従っただけ。
暗闇と星の瞬きが被さり眠りにつこうとしている町で、久々に酒を飲みたくなった私は、食品棚の奥に静かに鎮座しているお気に入りの酒を取り出していた。本当は別に飲みたくない。はずだ。
頬を突きながらグラスを口につけ、その瞬間に失った情熱が流れ込んでくる。全身を駆け、人生の意義すら思い出させるこの飲料は正しく良薬という奴だろう。
そんな物思いにふけたとき、ふと勝手口より誰かが来る気配を察した。この時間、この歩幅でやってくるやつは一人しかいない。
「あ、ユウキさん。おつかれさまです、また遊び来ちゃいました」
案の定、守護騎士の公務を終えたマイであった。魔獣討伐に任務があったと聞いている。水浴びもしたのであろう。身にまとうワンピースは、身なりこそ全く清潔だが、マナでかき消したであろう、幾重に浴びた血生臭さは、私相手に誤魔化すことは出来ない。いつもの口調に戻す。
「マイ・・・・・・、ごくろうさまです。今日もすごく大変だったようですね」
「ん・・・・・・。あはは、やっぱりマイさんを前には誤魔化せませんね。はい、すごく、大変な一日でした」
少し苦笑いしながら応答するマイ。こんな疲弊しきった日に来るということは、一つしかない。その小さな双肩では支えきれない重圧を、少しでも取り払う。人が人であるがゆえに。
「すでにお風呂はわかしています。煮切ったデビルズブラッド酒を少しだけ入れているから、疲労がしっかりとれますよ。ご飯を準備しておきますので入ってきなさいな」
「いつもありがとうございます、ユウキさん」
私とマイの間にそこまで多くの言葉は要らない。マイは一瞥し、軽い足取りでととと、と階段を昇って行った。
確認し、私もグラスの酒をくっと飲み干した。かるく腕まくり。
「さて、美味しいものでも作りましょうか」
赤き旗手の中では、あらゆる仲間が家族なのだ。家長は家族を大事にするものだ。大事な存在を支えるのに、利害など全く不要の要素に過ぎない。
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一通り体を洗い終え、湯気が上る浴槽へ、足先から沈めていく。体の先からじんわりと伝達する人肌の温かさが、私にとっては数少ない心の支えだ。
そして、一気に体を湯舟へ。ざぷん。子供みたいな行動に少し恥ずかしくなるが、ユウキさんの家だし、今更気にするところでもないだろう。
「ん・・・・・・つっ・・・・・・」
魔力で薄めた傷が、湯に溶け込む前にずきんとうずく。淹れたての紅茶より染み行く茶葉の色彩のように、私の受けた衝撃が風呂に溶けてくれればいいのに。ぽーっとした考えでふと考えてしまいます。
髪先からしずくが一つ、ぽたりと私のおっぱいの上に滴る。伝うしずくはそのまま水面へ落ち行く。ユウキさんが入れてくれた薄めのデビルズブラッド酒が溶け込むピンク色の湯に、彼女は何の波紋も起こさず消えていった。
ふと、滑稽な気持ちになる。
「あはは、せっかく生まれてきたのに、何も起きなかったね」
ぽつりとつぶやく。
エンドンの市民に不穏な気持ちを抱かせたくない。幸せに過ごしてほしい。守護騎士としての私が健在である限り、市民は不安を忘れることは出来る。マイがいれば、魔物など怖くない。と。
それは、私への期待。私への要求。私への願望。私への責務。私への願い。私への呪い。
己が手で何体もの魔物を屠り、返り血を幾多浴びようと、その感情は動かしてはいけない。私こそ希望なのだから。
思考の波におぼれた。気づいて、はっとなる。
「・・・・・・だめだ、私。つかれてるんだ」
一人でいるとろくなことを考えない。早くお風呂から上がって、美味しいご飯を食べよう。
明日も楽しい一日にするために。
そう意を決して、こぶしをかがげざぱっと立ち上がる。裸の裸の一張羅もなし、だが誰もいないのだから、恥ずかしくない。
でも一人だから、結局、他人の目をなければ、弱い自分に戻ってしまう。
「・・・・・・神楽さん」
ぽつり。呼吸のようにつぶやくだけで、体中に熱が駆け、ほぅっと温かい気持ちになる。みずからの躰を、きゅっと抱きしめた。
一人だと、やっぱり強くなりきれない。誰かの期待にこたえ続ける守護騎士は、こんなに弱い気持ちでいてならない。でも、頼ってはいけない。私は強くならないと。
「明日も、頑張ろう」
今日は頑張ったし、乱れた気持ちも吐けた。あとは体をふいて、髪を乾かして、ユウキさんと美味しいご飯を食べて女子会をしよう。それが、私を待つ今日のご褒美だ。




