酔っぱらいの甘々姫様
異世界の姫君とやらは、ずいぶん無警戒なものらしいと率直に思う。仮にも連れ去られたら問題になると思うのだが‥‥‥。
「すまない、エンドの灯篭っていうギルドにいるオークから聞いたんでな。初対面で言うのもあれだが、随分な酒好きなんだな」
「んぅー、あたしは酒なんか好きじゃないよ‥‥‥。ポークちゃんから聞いたって事ね‥‥‥」
むにゃむにゃ言いながら木桶のような大きなジョッキを口につける。寸分たたずごっごっごっと、打撃音のように喉が鳴りまじめた。正直、女の子から出て良い音ではない。
それから「ぷはっ」と小声が聞こえると、さらさらの短髪をカウンターに流すように突っ伏し、気持ちよさそうに瞼を落とした。
「んで、お兄さんは誰なのかな?あたしの事を狙っているのかい?」
「しらふで話せたら建設的に話を進めるけどな。俺は神楽椋というものだ。とある人間からお使いを頼まれてここに来た。君がハジメさんか?」
「んはは、別に酔っぱらってないから進めて良いよぉ。ご明察の通り、あたしはハジメ。こんなていでもっラックの王女様をやっています。ひっく」
どんと胸に拳を当て、えっへんと威厳を誇示しようとするハジメさん。西洋人形のように整った顔貌と酒で紅潮した頬で、若干の幼さを感じさせながらも妖艶な表情すらのぞかせる、不思議な印象を見せる女性だ。
ポークの情報は正しかったようなので、当初の目的を果たすことにする。
「知っているか分からないが、赤い旗手のユウキさんって人からハジメさんを探して来いと言われててな。状況は正直分かってないんだけど、一緒に来てくれないか?」
その瞬間、空気が反転した。
「赤い旗手、ユウキ‥‥‥。あの、女っ‥‥‥」
その瞬間、彼女の柔和な表情が一瞬で氷点下まで落ちた。柔和な表情に明確な否定の感情が宿ったよう見える。カウンターに佇む初老の男性はこちらの出方を値踏みするかのように、細い眼に皺を寄せ、対峙の雰囲気を醸し出した。
姿勢を正し、目線を絡めあう。
「‥‥‥ごめん、神楽くんであってるかな」
「ああ」
「ん‥‥‥。神楽くんがあの女からあたしの何を聞いたかは聞かないでおくけど、断らせてほしいな。申し訳ないけど、その名前を聞きたくないのが本音」
「そうか、分かった」
「‥‥‥ん?」
会いたくない奴とは会いたくない。根本的に合わない相手にこちらが同調し続けて、一方的に消耗して、捨てられる。かつての世界を思いだす。
正直、ユウキさんと目の前のハジメさんに何があったか分からないが、嫌と明確な意思表示をするに足る理由がそこにあるのなら、俺の答えは一択だ。
「ユウキさんには、ハジメさんは見つからなかったと伝えてごまかしておく。おそらく、ここの事もばれない方が良いんだろう?どちらにせよ‥‥‥何か、傷つける事言ってしまったのは分かる。悪かった」
「っ‥‥‥」
それだけ言って、踵を返して店の扉に右手を伸ばす。どんなに小さくとも心に傷を持つ人間は、同情してやりたい。少なくとも俺だけは。
「ん、まって‥‥‥」
その瞬間、左手に柔らかなぬくもりを感じた。ハジメさんが両手で包み込むように握り、俺を止める。その小さな体躯が背中に密着し、蒸留酒と甘い香りが仄かに漂った。
「止めてごめん。正直少し酔ってるし、ぽわぽわしてて恥ずかしいけど止めた。‥‥‥ねぇ、初対面のあたしに、どうして優しくしようとしたの?」
俺の背中にこつんとおでこを置き、懇願するかのような声音で、背中越しに語るハジメさん。伝わる柔らかさから、相応に密着しているのだろう。
振り向かず、回答する事にした。
「今にも押しつぶされそうな表情をしている人に、優しさを渡さないでどうする」
「ん、え‥‥‥?」
「事情は知らないが、王女様なんだろ。この国を支えてるんだろ。俺には想像もつかない重圧がかかってるんだろ」
「‥‥‥」
こくんとうなづいたであろう、背中に少しの振動を感じた。肯定ととる。
「俺も昔は比べ物にならないかもしれないけど、理不尽と重圧とに負けそうになって、何度も疲弊して、一度は折れた人間だから。分かるから、どこかで僅かでも落としてくれる他人の優しさが心に染みるのかを」
「‥‥‥うん」
「あくまでこれは自己満足だ。ただ君が見つからなかったと言うそれだけが優しさにつながるかは分からないが」
珍しくも語る。かつての人生では他人に向ける事すらなかった、生暖かい自己満足を。
「そっか、お兄さんは優しい人なんだね、それでいて、あの黒霞を撃退する程に強いひと」
「‥‥‥知ってるのか、全部」
「あたしは曲がりなりにも王女様だからね。最上の情報は集まってくる。リラック全土で犯罪を繰り返し、討伐に向かったエンドの騎士団を何度も生首にして捨て置く、強くも卑劣な集団だよ。あたしたちも対処に困る集団を初陣で撃退した神楽くん、だもん」
俺はここに来た時点で、目的も全て分かっていたのか。その意図は、いったいなんだ。
「‥‥‥そんな優しい神楽くん。酔っ払いの戯れと思って、一つ聞いてくれないかな」
「内容による」
「んはは、そうだよね。じゃあ、担当直入に言うね」
すぅと呼吸を整える。そして、背中越しに鈴の音が鳴った。
「あたし、もう王女を辞めたいんだ。助けて、くれないかな?」
その宣言は、間違いなく限界が来た人間からのみ発せられる、魂の悲鳴と直感した。




