54話 皇女誘拐
― 帝都サンクトバタリアン 官邸 ―
「まったく…状況は最悪だな…!」
「現在、南軍はリンクシュタットへ再度の総攻撃を仕掛けています…。兵力は前回の3倍です。」
時刻は深夜0時を回った。
官邸執務室では、ガジリス首相が書類を捌いていく。
さらに並行して、マルジーノ帝国軍務大臣と対面して、直接の報告を受ける。
「新兵でも何でもいい! とにかく兵を注ぎ込んで守れ! それと、奪われたワーグランツとフリートランツの奪還作戦は立案できたのか⁉」
「首相…それは無茶です! 既に前線で戦っている兵士は疲労困憊で、予備戦力も残ってはいません…。」
ガジリスは高血圧によって血管を浮き上がらせ、書類をデスクに叩きつけた。
「今までは何とかなっていたじゃないか。それに、例のバイナモイネン中将を討ち取った部隊だっているじゃないか。」
民兵部隊にそんな大役が務まるか…! と、マルジーノは内心ブチギレだ。
確かに無理がある。
それに彼らの活躍は、ヴァルター・ヒューリーズというカリスマ的な存在があってこそだ。
無能な政府の言う事なんて聞くはずないだろ…!
と、その無能な政府の一員であるマルジーノは感じている。
「リンクランツの街が、未だに陥落していないことさえ奇跡です。評議大会で集めた人材の活躍あってこそですが…。」
「ボルザークの進めたおかしな計画だとは思っていたが…ここまでの成果は予想以上だった。」
とは言っても、ガジリス自身は戦前に、戦争を回避するべく努力してきたのだ。
その為に皇帝へ様々な進言を行なった…。
だが頭の固い皇帝は、時代遅れな軍の拡大に固執し、挙句の果てに後継者も決めずに死にやがった。
「こんなことなら、初めからフィオナ皇女を後継者として宣言すればよかったんだ…。」
「しかし…フィオナ皇女から権力を奪って、今の状況を作ったのはあなたでしょうに。」
「そんなことはわかっている! だがどのみち、戦争指導なんてあの幼女にできるわけが無かろう!」
頭の悪い皇帝の孫娘。
あとあと面倒なことになるよりは、いっそ権力を拝借すればいいのだ。
だがガジリス。この男もまた無能であった…!
「首相…ここは全軍撤退し、後方で戦力を集結すべきと考えます…!」
「だーかーら、最強の帝国軍が負けたなんて国民に知れたら、我々はおしまいだぞ⁉ 大事なのは「らしさ」なんだよ!」
「たとえ多くの命を犠牲にしても…ですか…。」
綺麗ごとはもういい…とでもいうように、ガジリスは大きくため息をつく。
残った報告に全て目を通し、葉巻に火をつけて、
「今日はもういい…下がれ。」
「そうですか。…首相、どうか道を誤らないでください。」
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マルジーノが退出した後も、ガジリスの悪態は続く。
「まったく…折角あの小娘を封じ込めたというのに…!」
――今日の宵闇は一段と深く、外を歩けば足元なんて見えない…。
これなら、誰かが官邸に忍び込んでもわかるはずがない…。
そう、わからなかった――。
『――夜分遅くに失礼、ガジリス帝国首相とお見受けする。』
「…⁉ だ、誰だ!」
ただ一人のはずの執務室。
ガジリスの耳に入った、男の声。
『突然ではありますが…その首、頂きます。』
「なに…⁉ き、貴様は誰だ! 何をする! 誰か…誰かおらん―――、」
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― 崇神王宮 寝室 ―
「…スー……スー…ん、んん…。」
月明かりすら差さない夜。
普通の子供なら、こんなにも暗い夜に一人で眠れるわけがない。
しかしこの少女は、齢12歳にして一人でご就寝。
帝国皇位継承権第一位 フィオナ
その身分が故に、侍従や乳母が寝室で二人きりになることは許されず、子守唄を歌ってくれる母親もいない。
少女の記憶に残る肉親は、王室内の流行り病で死んだ父。
そして、偉大な皇帝であった祖父。
寂しく、空虚。
その心を埋めるのは、創造主ヴィクダスへの信仰心だけ。
「…んん。最近寝つきが悪い…。祈りが足りていないのかな…。」
何事においても、悪いことがあれば信仰心が足りないせい。
真っ暗な外を見つめて、
「私がここで寝ている間にも…たくさんの兵隊さんが戦って、苦しんでいるのよね…。もう少し祈りを…。」
そう言うと、少女は豪華な天蓋ベッドから体を起こす。
そして、自室にある大きな祭壇へ迫り…跪く。
ーーーーー
―― 神よ…我が帝国をお守りください…。民を、兵をお守りください… ――
そしてどうか…私をこの檻から…、権力と血筋という監獄から…お救い下さい。
少女は祈った。自身の、王族と言う血の使命を果たすために。
権力、指導力、祖父のような力が何もない自分にできることを全うするために。
そして…目に見えない力の檻から、出ていけるように。
ーーーーー
「…私にはこれくらいの事しかできない…。私のこの手にはなんの力もない…。」
少女は、自分の小さな手を噛み、嘆いた。
――少女の祈りは、儚くも望まぬ形で叶うことになりそうだ。
特に、3つ目の祈りが…。
『あるわよ…? あなたにもできることが…。』
「――え…誰っ⁉」
小さなランタンだけが光るこの部屋に、聞きなれない声が。
一瞬、祈りをささげた神の声かと思った。
だが違う、声の主はこの部屋のどこかに…。
『民や兵の為にできることをしたいんでしょう? なら、あなたにしかできない素晴らしいことがあるわ!』
「私にしかできない…こと…?」
『そう、例えば…この戦争を終わらせること…。』
――暗闇から現れる、女の影。
やはり神ではない。この女は危ない…!
睨むような釣り目、しかし口は笑っている…。
フィオナは本能的に、「逃げなきゃ…!」と感じた。
しかし足がすくんで動けない…。恐怖心が少女を支配する。
「…あなたは誰? 戦争を終わらせるってどういうこと…⁉」
「そのままよ! あなたの存在が戦争を止めて、それはこの国の民を、兵を救うことになる! …だって、それがあなたの望みなんでしょ?」
美しい声色…それでいて撫で声。
この魔性の女は、フィオナにゆっくりと近づき…まるで猫を撫でるかのように頬をさする。
「ねぇ…私と一緒に来ない? 素直に言う事を聞いていれば、ものすごーくいい所へ連れて行ってあげる!」
「……嫌だ…怖い…! ――助けて…お母さま!」
「アッハハハ…! 居もしない母親に助けを求めるなんて…夢見がちな可愛いお嬢ちゃんね…。」
――ランタンの光が、女が突き出したものに反射する。
ナイフだ。フィオナは口を塞がれ、声を荒げることすらできない。
「この世界はね…お嬢ちゃんが思っているほど甘くはないのよ? 私たちはどんなに幼い子供でも、勝利の為なら活用する。」
「ン゛ーー!ン゛ーン゛ー―⁉」
「権力の檻から助け出してほしいって祈ったわね…? ――なら、私があなたの神様になってあげる‼」
ーーーーー
翌朝、フィオナを起こしに来た侍従が見たのは、もぬけの殻となった寝室だった。
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― 開戦から一か月
戦線後方 主への道 ―
ここはリンクランツ、ワーグランツ、フリートランツから北へ伸びる交通の要衝。
各都市からの道は、この場所で一つに結ばれている。
そこから北は帝都へ繋がる道であり、帝国軍の補給路としての役割を担う。
よって、「主への道」と呼ばれているのだ。
「ヨースター君、久しぶりに帝都へ戻れる気分はどうか?」
「…よくもあり悪くもあり、ですかね…。」
アルザスは戦場を離れ、帝都へ向かう馬車に揺られていた。
他にも、報告やら事務やらで帰還する偉い人がいる。
しかし、負傷者なんかは戻ることを許されない。
傷ついた奴なんて、治癒魔術を掛ければ済む話だからだ。
優等民族からすれば、唾を塗るのと同じらしい。
「実家へ戻れるのは楽しみではないのか?」
「仲間を置いて自分だけなんて…兄が知ったら怒りますよ、皮肉たっぷりにね。…そんな兄も、もういませんが…。」
「そうか…グランドル連隊の事は悲劇だった…。」
「…それを悲劇で終わらせてたまるか…。」
無論、アルザスもタダで帰れるという訳ではない。
上流貴族のボンボンが特別に…という訳でもない。
身分上の都合であることは間違いないのだが、とにかく帰れる。
「――おーい、今日の補給はどんな具合だい!」
突然、馬車の御者が大声を上げる。
見れば進路上に向かって手を振っていた。
「な、なんですか…急に。」
「あぁ、きっと正面から貨物車列が来たんだろう。」
「貨物車列…?」
アルザス達の馬車は視界が悪く、外の様子はあまりわからない。
だが確かに、向こうからいくつかの車列が来るのがうっすら見える。
「帝国内では毎日のように、民から戦場の兵たちへの贈り物があるんだ。各地方ごとの食べ物、嗜好品、あとは良質な武具や魔術具なんかがね。」
「なるほど…それで兵士の士気を保っているんですか。じゃあ俺が食べていたお菓子もそれか…。」
「たまに娼館の女なんかも送られてくるよ。あれ、ヨースター君は遊んだことないかい?」
「へぇ…娼館の女…ってえぇ⁉」
「ハッハッハ…! 冗談だよ。」
この人はつい最近知り合ったばかりの上官だが、変な冗談を言うもんだ。
「補給の皆さん、今日の積み荷はどんなもんで?」
丁度すれ違うところだった車列。
先頭で手綱を握る男に、こちらの御者は語り掛けた。
「――えぇ、今日はリッヒンゲンのワインに煙草、後ろの馬車には人を乗せています。」
「おや? 人と言うのは補充の兵士ですかな?」
「いえいえ…民間人です。」
民間人…? この戦時下で、民間人を戦線まで連れていくのか?
首をかしげるアルザス。その積み荷がなんとなく引っかかって仕方がない。
「戦場にいる兵士の家族や、その土地の領民ですよ。みな、家族に会いたいに決まっていますからね。」
「――あぁそうでしたか! それはそれは、家族の顔を一目見ただけで、兵の士気も上がることでしょう!」
こう話している間にも、馬車は少しずつ動いている。
すると、アルザスの座席からも段々と、後ろの積み荷が見えるようになってきたのだ。
「よいしょっと…。――あ、どうも失礼。」
アルザスは身を乗り出し、積み荷の家族とやらを一目見てみた。
すると偶然、奥の座席に座っている女性と目があったのだ。
「うふふ…ごきげんよう。いつも帝国の為に戦って頂き、感謝しております…。」
「あ、…えっと、ありがとうございます。それが俺たちの使命ですので…。」
あまりに妖艶で、おしとやかな雰囲気。それにアルザスは戸惑った。
優しい声で労いをかけられ、すっかりいい気になってしまった。
そしてアルザスは、女性の膝に目をやった…。
長いスカート越しの柔らかそうな太ももに、小さな頭が横たわっている…。
――金髪の少女だ…。
「そちらのお嬢ちゃんは、娘さんですか?」
「そうなんですぅ…。長旅ですっかり疲れて眠ってしまって。この子、戦場の父親に会えるのをずっと楽しみにしていたんですよ?」
なるほど。ならこの女性は夫に会いに戦地へ行くのか…。
いいなぁ、夫婦愛。いいなぁ、家族愛。
なんて思いながら、静かな寝息を立てる少女にほっこりしてしまう…。
なぜか少女の顔色は悪いが。
「――他の皆さんも、ご家族に会いに?」
「えぇ、俺は息子に会いに。」
「私も夫に…。」
「こっちは地元の領民です。商売道具を取りに行きます。」
みんな向こうにある物に、様々な思いを寄せているんだな。
「ヨースター君、そろそろ…。」
「あ、はい。――では皆さん、お達者で!」
「剣士様もご武運を…。」
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別れた後、ほっこりした体験にしばらく浮かれていたアルザス。
…だが、自然とこんなことを思った。
「――あの女の子…どこかで見たような気がするんだよなぁ…?」




