第80話 前世が追いかけてくる
仄かな違和感を抱えながらも、私は三十代を迎えた。
相変わらず代わり映えしない人生を送っている。
仕事は少しだけ立場が上になって、給料も気持ちばかり増えた。
おかげで趣味に費やす分にも余裕ができた。
恋人はいないが満足のいく日々を過ごすことができている。
別にいいじゃないか。
違和感なんて放っておけばいい。
どうせ害なんて無いのだから。
私が気にしないだけですべて丸く収まる。
本当は、分かっている。
忘れてしまった記憶とは、前世のものなのだろう。
これだけ何度も味わうと嫌でも理解する。
心療内科や精神科に行っても一向に治らなかった。
違和感さえ除けば、私は至って健康なのである。
輪郭だけ残った前世の記憶が、静かに蘇ろうとしている。
そういうスピリチュアルな話は信じていないが、我が身で体験すると否定し切れなかった。
一人称のぶれも、つまりそういうことだ。
最初は恐ろしさを感じた。
前世によって今の自分が上書きされてしまうのではないかという危惧だ。
ところが、いつまでたっても前世の記憶が復活することはない。
ただ曖昧なまま、存在だけを主張してくる……そんな半端な状態で留まっていた。
いっそ劇的な変化があれば焦りもするのだが、私の内面に異常が起きなかった。
そのうち違和感にも慣れてしまい、次第に気にならなくなった。
前世があろうと現在の私は私なのだ。
怯えて暮らすより、開き直って普段通りに振る舞うことを決めた。
己の順応力の高さを知った瞬間でもあった。
普通最高。
平凡最高。
退屈最高。
常に寄り添う前世の気配を気にせず、私はまたのびのびと過ごすようになった。
なるべくトラブルを起こさないように。
人間関係で軋轢が生まれないように。
仕事で大きなミスをしないように。
金銭面で困らないように。
とにかくストレスを感じない日常を送れるように。
そうして私は"一般人"を演じ続けた。
――取り戻した日常は、あっけなく壊れた。
朝の出勤時、青空に裂け目ができた。
誰もが足を止めて見上げていた。
スマホを向けて動画を撮る者もいる。
この時点では、楽しそうに盛り上がる目撃者も多かった。
私は違った。
そこから何かがやってくる。
前世の因縁が追いかけてきた。
どうしようもない悪寒と共に、私は不可避の絶望を予感した。