其の三
3
広太との思い出は、心のなかにある。とはいえ、手に触れられる思い出の「品」が欲しかった。
広太の実家の自転車屋の、差し押さえられた自転車でも持ってこようかとも思ったけれど、意味ないじゃん、と思い止まった。
高校三年の、クリスマス。
朋美は、自分の部屋で、広太にあげるはずの手縫いのマフラーを、片っ方は自分の首に、もう片方を熊のぬいぐるみに、巻き付けていた。
あの、夏の日。
汽車を追いかけて、広太を追いかけて、あと一歩で渡せなかった、マフラー。
遠ざかる、窓から身を乗り出した広太が、今も脳裏に焼き付いている。
あとで、広太の父の商工会の友達に、借りていたお金を返しに来たのだと聞いた。
なぜ、あたしにも会いに来てくれなかったの?男の意地?それとも、羞恥心から?
今は、わからない朋美だった。
「広太、この問題、解いてみ」
朋美が、熊の広太に喋ってみる。
もちろん、熊は縫いぐるみだから、答えない。そういう、ロボットもあるけれど、そんな高価な縫いぐるみではない。もちろん、寝かせて、目を閉じることもない。ミルクも、飲まない。
「あぁ~」深いため息が漏れる。
今、広太はどこにいるのだろう。もう、逢うことはないのだろうか。
そんな想いの繰り返しだ。
大人たちは、高校生までの恋愛なんて、遊びみたいなもの、社会に出れば、すぐに、別れるんだよというけれど、こんな、別れ方をした、私たちはどうなの。聞いてみたい。
「朋美、あんた宛に郵便だよ」
お母さんが、ドアをノックもせずに入ってきた。
「もう、ノックしてよね、いつも言ってんでしょ」
「ごめんごめん。あんた、重田一仁って人、知ってるの?」
ハッと、思った。一仁先輩、がらみの、広太じゃないのか?
朋美は、広太は東京だと思っていた。木を隠すなら、森。夜逃げ人を隠すなら、人だらけの、東京だ。
いや、夜逃げのところは、削除しよう。大好きな人を、夜逃げ呼ばわりは、マズイっしょ。
手にとって、お母さんが出ていって、小包を、かえすがえす眺めてみる。
送り主は、重田一仁。消印は、東京都、葛飾区。
「やっぱり」
朋美は、ひとりごちた。
東京に行った、一仁先輩。木を隠すための東京暮らしの、広太親子。中卒で働き口のない、広太が、頼るところは、とどのつまり、一仁先輩だ。
強引で身勝手な空想だけれど、今の朋美にはそれしか思いつかなかった。
開けてみると、カセットテープが出てきた。
今どきとは、思いながらも、期待をせずにはいられない。
ミニコンポの、ほとんど使わなくなっていた、カセットプレーヤーにかける。
ザーっと、アナログ独特のノイズの後、
「このまま、どこか遠く、連れてって、くれないか。君は、君こそは、日曜日よりの使者」
一仁先輩の、レンタル店の店名にもなってた、THE HIGH-LOWSだった。
この声は、忘れもしない、ちっちゃい頃から、声変わりまで、全部聞いてきた広太の、歌声・・・。
「広太・・・」
知らずに涙が、流れ落ちる。
「広太、広太、逢いたいよ・・・」
宿題のプリントにとめどもない雫の痕が、広がった。
それは、あの日の、クリスマスプレゼント用の録音だった。広太が、朋美のために歌った曲。
「東京に、就職する」
朋美が、熊に向かって、真剣な眼差しで語った。
窓の外の、流れ星は、広太の街にも降っている。
お父さんは、反対。お母さんも、「東京ね~」と、乗り気でない。
「なんか、朋美の身にあったときに、すぐには駆けつけられないだろう」
両親の、総意だった。
それでも、宿舎付きの 就職先を見つけて、合格。着々と、東京行きへの足場を固めていった。
毎日、逃げるお父さんを捕まえては、説得することで、
「勝手にしなさい」と、お許しを貰った。
ひと月置きに代わる代わる、朋美の、宿舎に通ってきた両親。今思えば、ありがたい話だ。
夏の日。お母さんが、来る順番の月。
「東京の、あるお店に行きたい、連れていって」
お母さんが電話口で、珍しく指定してきた。
東京にきて思ったこと、思い知らされた、現実。
簡単に、人探しはできないってこと。毎日がお祭り騒ぎみたいで、地下鉄にはおいそれとは、近づかないこと、だ。
鹿児島には、地下鉄なんてないから、物珍しさも手伝って、試しにこっちの地下鉄出入り口から、交差点の斜め前の出入り口に出ようと、入った。
深かった。このまま下っていくと、ブラジルに出るのではというほど下った。ちゃんと、呼吸も出きるんだから、やっぱり東京だ。もちろん、思った通りの出口には、行けなかった。
何とか羽田空港で、お母さんと落ち合えて、お母さんの手にした地図で、移動した。
「それって、母さんじゃないよね?誰に教えて貰ったの?」
「ひ・み・つ」
地図を隠すように、お母さんが笑った。不敵な笑み。
「まぁ、黙ってついておいで」
半年いる自分でさえ、電車の乗り継ぎすら四苦八苦してるのに、母にわかるのだろうか。
葛飾区の駅に下車した。駅を出ると、すぐに二階に喫茶店を構える、お店に入る。
「甲」
朋美は、トントンと階段を駆け上がる母に遅れまいと、看板を見逃していた。
甲とは甲本ヒロトの、甲。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、若い女の子の声。ウエイトレスの衣装も、可愛い。
母は、スタスタと窓際の奥の席へと進む。小さな喫茶店には、珍しい「予約席」の札が、立っていた。
「母さん、ここ駄目だよ」
朋美は、ウエイトレスの顔をみながら、田舎から出てきたばかりですいません、という思いを込めて、愛想笑いを繰り出す。
「後藤様ですね。承っております。どうぞ」
ウエイトレスの思わぬ言葉に、驚き桃木山椒のきブリキに狸に蓄音機、だった。
「な、何で?お母さん」
母は、あえて答えないという、風情だ。
ウエイトレスが、注文もしないのに、飲み物、食べ物を運んでくる。
「母さんの、誕生日だっけ?」
とはいえ、見知らぬ東京の街のお店で、こんな接待はおかしい。
やがて、二人の後ろで、生ギターらしき音が聞こえ出した。チューニングが合ったのか、突然、歌が始まった。しかも、朋美のすぐ、後ろで。
「このまま、どこか遠く、連れてって、くれないか。君は、君こそは、日曜日、よりの使者。シャラララ・・・」
この声・・・。
ゆっくりと、目の前のあらゆる景色が、スローモーションになっていくなかを、振り返った。
ギターを弾くのは、重田一仁先輩。その横で、涙目で歌っているのは、
「広太・・・」
後ろで母が、
「ホレホレ、行け行け」という声がしていたけれど、立ちすくんで動けない。
すると、広太が、紛れもない、熊でもない、 リアルな広太が、近づいてきた。
歌詞は、「流れ星がたどり着いたのは、悲しみが沈む西の空」と、歌っていた。西の空とは東京からみて、鹿児島の空か。
広太は、そっと、朋美を抱き締めた。
朋美は、声をあげて泣いた。もう離すまいとしっかりと広太を、抱き締めながら。
あの日の、二人の夢の続きが、始まる。
おわり
*これはフィクションです。