聖女を害した公爵令嬢の私は国外追放をされ宿屋で住み込み女中をしております。え、偽聖女だった? ごめんなさい知りません。
もうかれこれ五年程前まで、私───オリランダは公爵令嬢であり、王太子殿下の婚約者でありました。
しかしそれはある日突然現れた聖女によって覆されます。
私は家を追われ、婚約者から見捨てられ、国を追放されてしまったのです。
───で、現在私は宿屋で住み込みの女中をやっております。
「オーリーちゃん、エールおかわり〜」
「はあい、ただいまー」
常連のお客さんの呼び掛けに振り返って注文を取りに行く。
「今日のお勧め何だっけー?」
「今日のメインは鶏肉の香草焼きと魚貝のパスタ、それに採れたての山菜で作ったスープどれもお勧めですよ!」
「よっしゃ、腹へってるから、全部頼もうかな! お勧め全部頂戴!」
「毎度あり!」
景気の良い注文に笑顔が浮かぶ。
私は厨房の女将さんたちに注文を伝えて店の中を見渡した。
わいわいがやがや
こんなの公爵令嬢やってた時にはありえない光景。
食事の場というものが、こんなに賑やかで楽しいなんて、この宿屋で働くようになってから知った。
私の「貧相」と言われていた容姿も、この場に溶け込む事に一役買っている。私の髪は金髪であるけれど、それだけならば平民にも珍しく無いし、薄い茶色の瞳も印象が薄く、社交界でも褒められた事は無かった。
初めは礼儀も作法も無く近付いてくるお客たちに恐怖しか無かったけれど、そんな私に根気よく付き合ってここでの生活を教えてくれた宿の女将さんと旦那さんには頭が上がらない。
宿屋のご夫婦は、子供を三人育て終わった、おおらかな性格で面倒見が良い人たちだった。
森を彷徨っているところをたまたま宿屋のご夫婦が見つけてくれて助けてくれて……本当に運が良かった。
改めて今の自分の境遇に感謝していると、今日もお客さんたちの話し声が聞こえてくる。
「───キエル王国はもう駄目か」
「ああ、あそこでの商売は当分控えておいた方がいいだろう……なんせ国が無くなっちまうんだから。首が綺麗に挿げ替わってから通行証を発行して貰った方がいいだろうよ。今無理に入ってもトラブルに巻き込まれるだけさ」
(もう駄目……か……)
その言葉に睫毛を伏せる。
「オーリー! はい、パスタと香草焼き! それとスープにサラダもおまけしといたよって言っておきな! ったく、好きなものばかり食べて……ついでにそろそろ嫁さん見つけて家での食事を楽しみな! ってね!」
「うるせーな! 聞こえてるぞ女将!」
がははと囃し立てる周囲を怒鳴り付け、常連客の一人が女将が置いた料理に手を伸ばす。
「あら、手伝ってくれるの? ありがとうレオルさん」
「早く食いたいだけだろ!」
「うるせーなー!」
レオルと呼ばれた青年は赤らめた顔を顰めて、料理を持って席に着く。そのまま今夜のお勧めメニューを一気に食べ始めた。
「そんな事より、なあ……キエル国王がいなくなったって本当かね」
「ああ、なんでも王妃と一緒に逃亡したんだと」
「えっ……」
思わず声を上げて固まる私にレオルさんたちがこちらを振り向いた。
「なんだあ、オーリーちゃん興味あるのか? 王様とお妃様の話なんて、物語の中だけだもんなあ」
「ええ……まあ……」
口籠るオーリーの返事に期待した様子はなく、お客たちは会話を続ける。
「でも、その逃亡した国王夫妻はお話に出てくるような優しい人たちじゃないみたいだけどなー」
「まあ、王様なんて皆そんなもんなんじゃ無いのかね」
「やめとけよ、変な事を口にして、どこで誰が聞いているかも分からないんだぞ!」
「誰が聞いてるってんだよ! こんな田舎町の片宿で!」
「ちげえねえ!」
どんな話でもお酒が入れば盛り上がるようで……結局話は段々とよく分からない方へと進んで行き、オーリーは空いた食器を持って厨房へと下がった。
「オーリー、今のお客さんたち暫く居座るだろうから、あんたも今のうちにちょっと休んでな。あたしがホールに入るから」
「はい、女将さんっ」
女将の指示に返事をし、下げて来た食器を水に浸ける。それを見つめながら、ふと思い出す元婚約者の顔……
『私は幸せだ……本物の聖女と巡り会う事が出来たのだから』
(ロレンフィオン様……)
あの時、聖女の手を取った婚約者により、オーリーの居場所は無くなった。
王太子の婚約者という立場を失いたく無い実家の公爵家は聖女を養女に迎えた。
(何の縁もない平民、だったけど……)
顔を俯ける。
あの時のオーリーは聖女へ悪感情しか持てなかった。
まだ十五歳で、実家では甘やかされて育っていたし、急に婚約者と自分の家族を奪われて、居場所を無くしたような喪失感に苛まれてしまったから。
それでオーリーは聖女────メイルティンに日常的に嫌がらせをしていた。
そんな事をしても離れて行ったものは戻る筈も無く、むしろもっと距離が出来てしまうと知ったのは、追放されてしまってからだったけれど……
「薪割り終わりましたので、厨房に入ります」
その声に振り返れば裏口の戸を潜り、鋭い目付きの若者が厨房に入ってくるところだった。彼は短く切り揃えた黒髪を掻き上げ、翡翠の瞳でオーリーを捉えた。
「テレスフィオ……」
思わず溢れたその呼び名にテレスフィオは顔を顰める。
「オリランダ様……ここでその名前は……」
窘めるテレスフィオにオーリーはふと笑みを溢す。
「ふふ、そうね。あなたも駄目よ?」
「……何かありましたか?」
「いいえ……何も……」
「嘘を吐かないで下さい、と前にも言いましたよね? そうで無ければ俺はいつでもあなたを連れて帰る、とも」
「言ったわ……でもね……もう無いそうよ……キエル王国……」
「……っ」
虚を衝かれたような顔で固まるテレスフィオに苦笑を返し、オーリーは片付けに入る。
「知っていたのね?」
「……すみません」
『私をお連れ下さいオリランダ様、必ずお役に立ってみせますから』
家を追い出され、身一つで国からも放り出された自分に付いてきてくれた義理堅く優しい護衛騎士。
そんな事をすれば彼の家に迷惑が掛かる事は分かっているだろうに。勿論オーリーも分かっていたけれど……
あの時、一人で行かなければならない心細さに、テレスフィオの同行を拒む事が出来なかった。
『ごめんなさい……』
『謝らないで下さい。いつかご両親や王太子殿下も、やり過ぎたと悔やむ日が来るでしょう。その時はその言葉を、今度は彼らに聞かせてあげて下さい』
じわりと涙が目に浮かんだ。もう誰もいない、耐える必要も無いのだと分かれば、それはポロポロと溢れ、オリランダはそのままテレスフィオの腕に縋りついて子供のように泣き崩れた。
(結局あれから誰も私を探しに来る事は無かったけれど……)
もうあの人たちより今の生活の方がオーリーの中で大きいものとなっていて、今ではたまに、少し胸が軋むだけ。
あとはもう、テレスフィオがいてくれて本当に良かったという思いしかないのだ。
「お客さんたちの話で時々聞いてたから、なんとなく大丈夫かなって思っていたけれど……もう駄目なんだと思うと複雑なものね」
「まだ……気になりますか……」
躊躇いがちに聞いてくるテレスフィオにオーリーは吹き出してしまう。
食器を洗う手は仕事に慣れた女性のもの。貴族の令嬢の頃のような白魚の輝きはとうに無い。そうやって少しずつあの家の、貴族令嬢だった自分を断ち切って、今笑って生きているのだから……
「いいえ、あの人たちの選び取ってきた今だもの。納得いかない事はあっても、きっと受け止めていると思うわ。何よりあの人たちが私に言ってきた事だものね」
『これはお前の心根の貧さが導いた結果だ』
『悪は必ず裁かれる。我らはそれを許しはしない』
「……聖女であるメイルティン様を虐めていた私が、大変な時期もあったけれど、今はこんなに幸せな日常を過ごせているのだから、あの人たちは大丈夫よ……きっと……」
国は違えど貴族なのだ。
国家の解体があったとて、同盟国員の一つであるキエル国を粗雑に扱う事は無いだろう。
「……そうですね、手伝いますよオーリー」
「ありがとうテレス」
二人して平民の生活を始めて……オーリーは今更だけどテレスフィオが気になっていた。
五歳年上で、ずっと兄のように、無くした家族のような安心を与えてくれてきた人。
最初の頃は今の生活に慣れる事に必死で、それにテレスフィオにはいつか国に帰って欲しいと思っていたから、頼らないように意地も張っていた。
テレスフィオは伯爵家次男……嫡子では無いけれど、武功に優れた家の出で腕も良い。いずれ公爵家での信頼を得て近衞騎士となるだろうと、誰もがその未来を疑いはしなかった、将来有望な青年だったのだ。
それを自分が潰した事をオーリーはずっと悔やんでいる。いやそれ以上に、テレスフィオは自分を恨んでいてもおかしく無い。
テレスフィオはメイルティンの婚約者候補だった。
けれどメイルティンが王太子ロレンフィオンに見染められ、それは叶わないものとなったのだけれど……
(私が、ロレンフィオン様の心を繋ぎ止めておけなかったから……)
ピンク色の髪と瞳をした、フワフワと愛らしいメイルティンの顔が思い浮かぶ。
テレスフィオが自分に付いてきたのは、メイルティンが王太子妃になるのを近くで見たく無かったからかもしれない。
でも、戻る戻らないもなく、国は無くなってしまった……
今テレスフィオに帰っていいと告げても困るだろう。それともメイルティンの為に今すぐ駆けつけたいと思っているのだろうか。分からない……
いずれにしてもテレスフィオなら欲しがる国があると思っている。伯爵家の名前は、他国でも武芸に秀でた家なら知っているだろうし……
(テレスフィオなら何処でもやっていける。私さえいなければ……)
そっとテレスフィオの様子を窺う。
彼はいつもと変わらぬ静かな表情で、オーリーの隣で洗ったお皿を拭いてくれていた。
◇
「なあオーリー、今度の聖花祭に一緒に行かないか?」
「えっ、レオルさん?」
翌日の昼に常連のレオルさんからそんな誘いを受けて驚いてしまう。
聖花祭は初代聖女様が愛した花が満開になるこの時期に行われる祭典だ。因みに聖女様は神殿に認定されれば国に縛りはない。今住んでいるこの国でも百年程前にいたと聞いている。
厨房からゴミを捨てに外に出て、すぐにレオルさんから声を掛けられたから、ずっとここで待っていたのだろうか……
「あのっ……」
今迄の私なら断っていた。
この街に来たばかりで、どう見ても世間慣れしていない子供。周りの人たちもどこか事情を察して温かく見守ってくれていた。けれど……
「その、俺は嫌か? それともやっぱりテレスと付き合ってるのか?」
レオルさんは二十代前半の働き盛りの青年で、日に焼けた身体が男らしく逞しい。店の常連さんでいい人だ……と思う。
思わず俯いてしまう。
「そうじゃないけど……」
どっちも違う。
だけど……
「じゃあ、一度だけ。俺にもチャンスをくれよ、な?」
そんな風に言われると断れない。
それにテレスフィオと距離を置くきっかけになれば、彼も今後を考える事が出来るかもしれない。
オーリーはよしっ、とレオルを見つめ返した。
「分かりました……聖花祭に行きましょう」
それに一緒にお祭りに行くだけだ。
女将さんだってそろそろ息抜きくらいしておいでと言ってくれていた。
何よりテレスフィオをもう自由にする為にも、私から次の一歩を踏み出すべきなのだ。
「お、おう……良かった。じゃあ三日後の十五時に迎えに行くよ」
(新たな一歩……怖いけど……頑張らないと)
ホッと顔を緩めるレオルさんに笑みを返し、厨房に戻る。
「今、誰か居ましたか?」
ぎくりと肩が跳ねる。
「あ、テ、テレス……」
食材を担ぎ、訝しげな顔のテレスフィオに出くわし冷や汗が出た。
「えっと、そ、そうお? 独り言出ちゃったかしらっ?」
わたわたとテレスフィオの前を通り過ぎようとすれば、その後にお小言みたいな科白が続く。
「……オーリー、俺は明日からまた暫く仕事で街を空けます。くれぐれもご主人や女将さんの言う事を良く聞いて、絶対に危ない真似はしないで下さい」
テレスフィオの物言いにオーリーもつい反発してしまう。
「わ、分かってるわよっ。私ももうここでの生活も長いし、二十歳のいい大人よ? そんな子供みたいな心配いらないわっ。でも……」
テレスフィオはその武芸に秀でた腕を宿屋夫婦に買われていた。それで街の外への資材の調達も任されていて、数日……下手をすれば半月近く留守にする事がある。
交渉に時間が掛かる時もあるし、街道には危険な道もあるからだ。
テレスフィオなら大丈夫だとオーリーも思うものの、危険を伴う仕事は当然だが心配だ。
「その、気をつけてね。あの、あと……いつもありがとう」
「ええ……」
少し心配性ではあるが、心配されるのはやはり嬉しい。それに自分に付いてきたせいで危険な仕事をしなければいけない罪悪感もある。だからこそ、いい加減自分は独り立ちしなければいけない。改めてその意思が強まり、オーリーは後ほどこっそりと女将に休みの申請をしに行った。
◇
聖花祭────貴族だった頃は街でのお祭りなんて遠目で見ていただけだった。平民になってからも、そんな時間を取る暇は無いのだと自分に言い聞かせて来ていたから……
(初めてなのだわ……)
こんな風にゆっくりと、自由に時間を使えるのは。
爽やかな春風に吹かれながら、戦ぐ聖花───ホリアを眺める。色取り取りの花畑から色分けしているものまで、見渡す限りのホリアの花に夢中になって步いた。
人混みに逸れないように自然と繋がる手に驚きながらも、平民の距離感はこれくらいが普通なのだからと、オーリーは必死に自分に言い聞かせ、ギクシャクとお祭りを楽しんだ。
だから急にその手が離された時は驚いた。
「悪いな、お嬢ちゃん」
「えっ?」
意味も分からないまま強く突き飛ばされて、オーリーは林の入り口で背中を木に強かに打ち付けてゴホゴホと咽せてしまった。
「なあ、これでいいんだろ? 頼むからバレないように連れてってくれよ?」
「分かってる、早く行け」
「へへっ、毎度あり。じゃあな、お嬢ちゃん。世間知らずも程々にしろよ!」
オーリーが顔を上げてレオルの方を見れば、彼は走って街の方へと駆けて行くところだった。
何が何だか分からない。
そういえば花に夢中で、随分と遠くまで来てしまったようだ。でも何で急に? 何があったのかと首を巡らせれば記憶に眠る顔立ちの青年が目に留まり、オーリーははっと息を飲んだ。
「オリランダ、久しぶりだな」
その聞き馴染んだ声にオーリーの身体が強張る。
「ロレンフィオン……様? いえ! 失礼しました、ロレンフィオン陛下!」
オーリーは慌ててその場に額付き平伏した。
自分は今平民なのだ。国王陛下の名前を親しげに呼ぶなど、斬り捨てられても仕方がない。
「……ふう、平民に成り果てたとは言え、貴族の礼儀は覚えていたようで安心した。お前の噂話など聞く必要も無いと思っていたが、思いがけないところで役に立ってくれて良かった。さあ、今こそお前の贖罪の時だ。私の役に立て、オリランダ」
額付いているオーリーにはロレンフィオンの表情は見えない。ただ言葉の端々に悪意が見えるのだけは分かる。けれど贖罪? 自分は追放された事で既に罪を償っているのでは無いのか?
「ロレン、この子きっと混乱しているわ。取り敢えず来て貰えばいいのだから、事情は道すがらしてあげればいいんじゃない?」
この声はメイルティンだ。
「それもそうだな、時間も惜しい。いくぞオリランダ」
ぐいと引っ張られ無理矢理立たされる。
見渡せばロレンフィオンとメイルティンの他に数人の護衛が、逃がさないとばかりにオーリーを囲み、林の奥には馬と馬車が置かれている。
(何なの?)
訳もわからない状況に、オーリーは恐怖に身を震わせた。
◇
オーリーは兵士に睨まれ逃げ出せずに、馬車に乗せられ二人の対面に座らされた。
キエル王国の国王夫妻は国が滅んだ際に逃亡したと聞いている。確かに慌てて出てきたのだろう、二人の服装は身分を隠す旅装束で、好んで着ていた華美な物とは程遠い。けれど逃亡という割には二人は元気そうだ。内心首を傾げていると、二人は何故オリランダを迎えに来たのかを嬉々として話し始めた。
それによるとロレンフィオンとメイルティンが結婚して直ぐに他国に聖女が現れた事。それがケチのツキ始めだったという。
「アタシが聖女って事にしておけば都合が良かったんだけど、まさか本物の聖女様が現れるなんて思って無かったの。正直あんなの眉唾ものだと思ってたし」
「えっ……?」
信じられない言葉にオーリーは目を剥いた。
「メイリーとの結婚に必要な事だったが、聖なる力を振るう聖女が現れてから、我が国は各国から嘘つき呼ばわりで信用を無くし、国内からの暴動にも耐えられない程に疲弊してしまった」
「なっ! う、嘘……?」
オーリーは愕然とする。
こんな話本当だろうか? でもこんな状況の二人がオーリーに聞かせるには理由がある筈……ならばこの話は真実で、自分は嘘に踊らされてメイルティンに嫉妬し虐め、挙句に追放されてしまったのか。
しかもこの口ぶりではロレンフィオンも知っていた。それはつまり……
オーリーと別れたかったから。
けれど実家の公爵家の力は欲しかった。だからメイルティンを養女にしてはどうかと公爵に話を持ち掛けた。
オーリーは肩を震わせる。
(私は一体……何を見ていたの?)
自分はどれだけ邪魔で、それでいて都合よくあしらわれたのか……彼らにしてみればオーリーがメイルティンを害した事はただの幸運。
オーリーを排除する口実を、オーリー自らが作り出したのだから。
「ふふ、あら泣いちゃったわこの子」
「そんな一面もあったのだな、よく見ればあの頃はまだ子供でしか無かったが、もういい大人じゃないか、どれ……」
「っ、触らないで!」
「何だと!?」
伸びて来たロレンフィオンの手をばしりとはたき落とせばロレンフィオンの顔が怒気に染まった。
あの頃、婚約者として努力をしてきたし、段々と孤独になっていく寂しさにも耐えても来た。
なのに、嘘が元で身を滅ぼした自分を卑怯者で醜いとし、全てオーリーの罪として追放した事すら茶番だったなどと……
恐怖に後退るオーリーを横目に、呆れた様子でメイルティンが声を掛ける。
「ちょっと止めなさいよ〜ロレン。手を出すのも殴るのも駄目。どうせなら綺麗なままの方が向こう様も喜ぶでしょう? ね、どうせあなたまだ処女なんでしょう? 乳臭いものね」
「なっ!」
動揺を見せるオーリーにメイルティンは、くすくす笑いながら、ほらね。と顔を近づける。
「あんたにはあ〜、これから偉ーい神官様のところに行って貰って、たーっぷりとご奉仕して来て貰うの。それだけで私は第二の聖女になれるんだからあ。ね? いい案でしょ? 国の為よ? 潰れちゃうなんて国民が可哀想じゃない? 皆毎日飢えて生活とか大変なんだからさあ」
「な、何を言ってるの?」
メイルティンの言ってる意味がほぼ分からない。
国が潰れたのは二人の政治手腕が悪かったからだろう。前王が崩御して急な継承だと聞いていたが、こんな短期間で宿屋に聞こえてくる噂話は散財散財と、とにかく酷いものばかりだった。その尻拭いを何故追放された自分がしなければならないのか?
それよりメイルティンはこんな風だったろうか? ぷるぷると震えた子犬の様な娘だったのに……
オーリーの困惑を無視してメイルティンは続ける。
「神官様はアタシみたいな可愛い子よりもあんたみたいな野暮ったい女の方がいいって言うんだから仕方がないでしょう? 元公爵令嬢って肩書きだけで価値が上がるのだからめっけもんよね。
そもそもあんたの罰が平民落ちだけだなんて、アタシは納得してなかったんだから丁度いいわ。ま、気に入って貰えれば大事にして貰えるんだから、精々励みなさいよ」
いやらしい笑みを浮かべるメイルティンから目を逸らせば、ロレンフィオンは面白くなさそうに馬車の窓枠に肘を突き外を眺めている。
「ロレン、心配しなくても聖女の事は神官様が何とかしてくれるわよ。そうしたらまたお城で暮らせるんだから、いいじゃない」
「ああ……そうだな」
……何だか二人の距離感もおかしい。
五年前は人目も憚らずベタベタとくっついていたのに。今はお互い興味も無さそうに離れてしまっている。
でも今はそんな事はどうでもいいのだ。
急いで逃げる算段をつけなければ。
こんな林の中で一人逃げ切るのは難しいかもしれない。それならいっそ人通りのある場所まで行って助けを求めた方が───
(駄目だわ……)
そこまで考えて首を振る。
(五年前……誰も助けてくれなかった)
知り合いの誰もが、両親ですらオーリーを見捨てたのだ。……テレスフィオ以外……
ぎゅっと両手を組めばメイルティンが楽しそうに口にする。
「あら、そう言えばテレスフィオは元気?」
はっと思考を戻しメイルティンに視線を向ければ、
メイルティンは口元に綺麗な弧を描き、ふふと笑みを溢した。
「あの人はね、アタシの為に貴方の監視を買って出てくれたのよ。ねえ、彼は優しかったのかしら? あなたに唯一付いてきてくれた護衛騎士。あなたも逃げ出さずずっと一緒にいたのだものね、惚れちゃったんじゃない? でも手は出され無かったんでしょう? 当然ね、あの人はアタシに一目惚れして公爵家に入ってきた、アタシの信者なんだもの」
「……え……」
呆然とメイルティンの顔を見つめる。
確かにテレスフィオがメイルティンの婚約者候補だと言う話は聞いていた。けれど彼が公爵家に来た経緯までは、確かに知らない……
勝ち誇った様に歪むメイルティンの顔に、自分は一体どんな風に映っているのか。
「ふふ、やっぱりちょっとは好きになってたんでしょう? もしかして彼が自分の為に付いてきてくれたんだって勘違いでもしてたのかしらあ? そんな訳ないじゃ無い! 誰も彼も無愛想で頭の固いあんたより、可愛いアタシの方がいいに決まってる! あの宿屋の常連客だってあっさりアンタを突き出したじゃない? アタシが頼んだからよ! 教えてあげる、あなたの持っているものは、全部アタシのものって、アタシが公爵令嬢になった時から決まってるのよ! きゃはは!」
「おい、煩いぞ。そのくらいにしておけ」
「はあい、ロレン。ねえもしかして妬いた? 大丈夫よ、アタシはあなただけの妻なんだから!」
そう言ってロレンフィオンにしがみつくメイルティンを、オーリーは呆然と見つめた。
(テレスフィオも……メイルティンの為に……)
逃げなければという思考が抜け落ちると共に身体が鉛のように重くなった。そんな中でも繋がる思考がオーリーの胸を抉る。
テレスフィオはメイルティンの為に……ああそうか……だから……
(だから急にロレンフィオン様達が現れたのね……長く宿屋を離れていたのも、メイルティンに会いに行ってたから……?)
今までの事も、全部、全部……
(私の為じゃなくて、メイルティンの為だったのね……)
「嫌だー、泣かないでよ。辛気臭いわねえ」
「……お前のせいだろう」
呆れた様子の二人を気にする事も出来ず、オーリーは道中涙を流し続けた。
◇
「おお、お待ちしておりましたぞ! 国王陛下、妃殿下!」
そう言って出迎えた神官は、人好きのする顔で笑いかける。
ロレンフィオンたちの話を聞くに偽聖女を仕立てる悪事に加担した人物なのだろうが……とてもそうは見えない。人は見かけによらないという事か……
ぼんやりと思考を巡らすオーリーに神官は笑いかける。
「それでこちらは……」
その視線と合うのが嫌で、顔を背ければ頭の上から声が落ちてきた。
「いや、話は変わった。差し出すのはこっちの女だ」
「は?」
「え?」
ロレンフィオンはオーリーの手を引き、メイルティンを神官に向かって突き飛ばした。
「ちょっ……何するのよ!」
よろめきながら抗議するメイルティンにロレンフィオンは冷たく告げる。
「お前はもういい。上辺だけの公爵令嬢では王妃など務まらなかった。所詮は男爵令嬢。お前の贅沢三昧な生活のせいで国は荒れた。その償いはお前が自分で取ってこい」
「な、なっ! 急に何を言い出すのよ!!」
メイルティンは驚きと怒りに顔を赤くする。
「聖女になるんだろう? だったら神殿に住む事は何もおかしくない。だが国王には妃が必要だ。私は国の為に資質のある女性を選ぶだけだ。なあオリランダ、お前は私の事が好きなんだろう? 嫉妬に狂ってメイルティンを虐めてたなんて……今考えれば何て可愛い事をしていたんだ。今からその償いをしてやろう。やはり私の伴侶にはお前の方が相応しい」
「ちょっと! 何よ! ちょっと大人っぽくなって綺麗になったからって! 子供の相手なんて面倒臭いって散々文句言ってたくせに!!」
「黙れ! 売女! 国が滅んだのはお前のせいだ! 潔くその身体を使って国の為に奉仕してこい!」
「……一体これは……どうした事でしょうか?」
喚くロレンフィオンたちに困惑する神官。どう動いていいか分からない護衛たち。オーリーも呆然と成り行きを見守っていたが、はっと我に返る。
(どうして私が巻き込まれなくてはいけないの?!)
この人たちの揉め事に自分は関係が無い筈だ。
(もうこの人たちの都合の良い駒になるのは嫌!)
オーリーは自分を捉える腕から逃げる為に、踵で思い切りロレンフィオンの爪先を踏み抜いた。
「いっ……!!」
ヒールのような破壊力は無いかもしれないが、意表を突いた攻撃は充分痛いはず。
オーリーは急いでロレンフィオンの腕からすり抜け、出口に向かって駆け出した。
「っ待て! 衛兵! 捕まえろ!」
けれど手を伸ばす兵士にオーリーは鋭く言い放つ。
「下がりなさい! 無礼者!!」
オーリーの迫力に兵の動きが一瞬止まる。
育ちは公爵家。父や母がどのように振る舞っていたのか、幼いながらも側で見ていたのだ。この手の者たちが「命令」に弱い事くらい知っている。
「馬鹿! 何をやっているんだ!!」
衛兵をやり過ごし重厚な扉を押し開けば、後ろからロレンフィオンの叱責が聞こえる。それを振り切る勢いで急いで扉を潜った。
けれど扉の向こうにはテレスフィオがいた。
「テレスフィオ!」
「オリランダ様……っ、ご無事で……」
オーリーは目を見開いて叫び声を上げていた。
「いやあ!!」
「オリランダ様!?」
腕をめちゃくちゃに振り回して近寄ってくるテレスフィオを突き飛ばす。けれど元々鍛えているテレスフィオはよろめきもせず暴れるオーリーの両腕を捕らえて腕の中に閉じ込めた。
「止めて! 離して!」
「……何が……っ、何かされたのですか!?」
「……っ」
何かされた?
それならテレスフィオにだ。
テレスフィオは自分を欺いた。
一緒に国外に付いてきたのはメイルティンの為だった。宿屋の仕事の覚えが悪くて泣いてる時に励ましてくれてたのもメイルティンの為だった。
嬉しい事があって密かに喜びを噛み締めている時に気付いて話を聞いてくれたのも、具合が悪い時に一番に気付いて世話を焼いてくれたのも、全部全部メイルティンの為だったのだから……
「嘘吐き! 大嫌い!」
どんどんと胸板を叩いてもテレスフィオはびくともしない。
「離して!」
「オリランダ様……」
困った子を宥める様に頭を撫でるテレスフィオの手が温かいのが悔しくて、頭を振ってそれを拒む。
「どうか落ち付いて下さい……」
困惑するロレンフィオンにメイルティンが懇願するような声を出す。
「ああ、テレスフィオ。聞いて頂戴、ロレンフィオンはこの子の代わりにアタシにこの男の情婦になれと言うのよ!?」
「じ、情婦!?」
自分を指差し驚いているのは神官だ。
その様を見てオーリーは違和感を覚える。
暴れるのを止めたオーリーを抱え直し、テレスフィオは口を開いた。
「……どういう事です、ロレンフィオン陛下?」
「どうもこうも無い! 好色者の神官に高位貴族の娘を差し出せば聖女の件は上手く収まるという話だったろう?! だから我が国で最高位の女────王妃を差し出す事に決めたんだ! お前もメイルティンを説得しろ! テレスフィオ!」
「ちょっと冗談じゃ無いわよ! こんなおじさん! テレスフィオ、勿論止めてくれるわよね? あなたはアタシの味方でしょう?」
話が拗れているようだが、テレスフィオがここにいる事にロレンフィオン達が驚いていない。……やはりテレスフィオはロレンフィオンたちと繋がっていたのだ。オーリーの瞳に涙が浮かぶ。
だがこの場の雰囲気にそぐわない空気を持つ者が一人……
「好色者……」
低く呟きふるふると身体を震わせているのは神官だ。道中の二人の会話を思い出しオーリーは首を傾げる。
「聖女の件は……隣国の聖女様にキエル国にご訪問頂き、祈祷を授けて頂く事で折り合いがついたのでは? メイルティン王妃を再び聖女として認定されるのは不可能ですが、それならせめて国民の為に祈りを捧げて欲しいという話でしたが……」
「馬鹿を言うな! 聖女に対する神殿からの収入が無ければ、キエル国はもう立ち行かないんだぞ!」
「そ、そうよお! 聖女は必要よ! だからってアタシこんなおじさんに囲われるの嫌よ! ねえ助けてテレスフィオ!」
涙ながらに駆け寄ってくるメイルティンに嫌悪感が込み上げる。ここから退きたいのに……テレスフィオがガッシリとオーリーを掴んでいるものだから身動きがとれない。
「恐れながら……貴方方の選び取った結末は、王族として受け入れるべきかと……」
その言葉にオーリーはテレスフィオを振り仰いだ。
「えっ、ちょっと! 何を言い出すのよ! あんたはアタシの事が好きなのよね!?」
腕に縋り付いて叫ぶメイルティンをテレスフィオは冷たく眺める。
「……何故?」
「何故って……アタシ……可愛いし……」
呆然と呟くメイルティンにテレスフィオは口の端を吊り上げた。
「失礼、俺にはあなたは野卑で粗雑な節操なしにしか見えておりません。魅力なんてどこにあるのですか? 是非教えて頂きたい」
「な……何ですって……? じゃあなんでオリランダになんて付いて行ったのよ? どうしてわざわざこの子の情報なんて教えて来て……アタシの気を引きたかったんじゃないの?」
オーリーも混乱する。
メイルティンの為で無いのなら……何故テレスフィオはオーリーに付いて来て、メイルティンたちにその情報を渡す……そんな相反する行動を取っているのだろう?
「必要があった為です」
メイルティンを振り払い、困惑を顔に出すオーリーに目を合わせて真剣な眼差しを向ける。
「必要……って?」
震える声で問いかければ、テレスフィオは翡翠の瞳を和らげた。
「メイルティンに王妃の資質が無い事はずっと言われておりました。それでも聖女ならば国の利になるからと認められた。ですが俺は公爵家でメイルティンが偽りの聖女だと聞いてしまい、それならばいずれオリランダ様を陛下たちが必要とするのではと危惧したのです。その為に探されないよう、敢えてこちらから最低限の情報を渡して来ました。……けれど貴方を守るつもりでしていた事とはいえ、結果こいつらに探り当てられ貴方を危険に晒してしまった。本当に申し訳ありませんでした」
「……本当に……?」
「はい」
真っ直ぐに見つめられると信じてしまいそうになる。
「お、お前。テレスフィオ……う、裏切ったのか? 逆賊め! 捕らえよ!!」
ロレンフィオンの指示を受けて動き出す兵士に向かって別の鋭い怒号が飛んだ。
「もういい! 控えよ!!」
びくりと動きを止める兵士も、ロレンフィオンにメイルティンも、怒りに肩を震わせる神官に視線を向ける。
「もう結構! ロレンフィオン陛下。どうやら私が聞いてた話とは全く違っているご様子! この話は無かった事に致します! それとこの神殿の長を賜る私を愚弄した事、正式に連合国へ抗議させて頂きます! あなたは今連合国から追われていると聞いていますが、ここであなた方をお預かりする事はありませんから、須くこの地を出て行って頂きたい! それでよろしいですね!? 連合国騎士団師団長、エイルダ男爵────テレスフィオ様?」
「な、なんだと!」
神官の勢いにロレンフィオンが動揺を示すが、テレスフィオが当然とばかりに首肯する。
「はい、勿論です。この度は俺の母国の国王夫妻がイリロ神殿長様に大変ご不快な思いをさせてしまい、元主君へ便宜を図って頂いたのにこの有り様……この通り謝罪させて頂きます」
「ちょっと、どういう事よ!」
「……こういう事ですよ」
テレスフィオがチラリと視線を向けた先には連合国の兵士がズラリと並んでいた。
「ロレンフィオン国王とメイルティン王妃はここだ! 捕らえよ!」
テレスフィオの掛け声と共にロレンフィオンとメイルティンに縄が掛かる。
オーリーはテレスフィオの腕の中で混乱しながらその様を見守った。
見上げれば、そこには心配そうに揺れる翡翠の眼差しがあり……こんな時なのにオーリーの胸には甘い痛みと安堵が広がった。
◇
テレスフィオが公爵令嬢の護衛に選ばれたのは、実家の伯爵家の武功のおかげだった。
実家から期待されていた事は二つ。
公爵家の推薦を得て近衞騎士に進む未来か、その家の令嬢に見染められ、跡取りとして迎えられる事。
だがテレスフィオは将来は近衞騎士になりたかったので、公爵家には興味が無かった。
なのに何故かオリランダの事はどこか放っておけないと思っていた……
出会った頃、オリランダの外見は確かにまだ子供だった。
けれど王妃教育を完璧にこなし、高位貴族の令嬢として凛と背筋を伸ばす姿は、自身も見習いたいと思う程気高く美しかった。
しかしテレスフィオが護衛となってすぐにオリランダは婚約してしまう。相手は女好きで有名な王太子で、心象は全く良くない。傍から見ていてもまだ幼さの残るオリランダは相手にされていない事が良く分かり、こちらを見てくれない婚約者の為に努力し続ける彼女を見ると、胸が痛んだ。
それでも王太子はいずれオリランダを妻に娶る。王家は公爵家の力を取り入れたいのだから。
いずれ王太子の隣にオリランダが並び……子を産む……それが非常に不愉快で、納得出来なかった。
『アタシなんかが、王太子様の恋人だなんて……』
更に不快が増す。
王太子は何故あんなものに現を抜かすのかと、到底、理解出来ないような粗野な女に引っかかった。
二人は終始張り付くように寄り添っては、オリランダを蔑ろにする。
公爵家は男爵令嬢に遅れを取るなと、王家は次期王妃なのだから愛妾くらい大目に見ろと、オリランダを苛む。
誰もオリランダを顧みない。
『……公爵家はあの男爵令嬢の後ろ盾となり王家に食い込む事にしたらしいな。王妃はオリランダ嬢で揺るぎないものかと思っていたから、お前にはメイルティン嬢と婚姻してはどうかと思っていたのだが……自分の妻が王の愛妾というのも良かろう。近衞騎士に留まらぬ栄誉を手に入れられる』
───死んでも嫌だ。
『アタシぃ、本当はテレスフィオ様みたいな人がタイプなんですぅ。王太子様はちょっと傲慢なところがあるから付き合い辛くてぇ……』
オリランダの嫌がらせがメイルティンに届かないように隠していたところを見つかってから、変な誤解をされるようになった。
上目遣いでしなだれかかってくる尻軽女に吐き気がする。
公爵令嬢に成り上がっただけでは気が済まず、オリランダの周りにいる者の全てを自分に傅かせたいと思っているのだ。
(……あの子は必死に耐えているというのに)
嫌がらせを受けた時、メイルティンは一見傷ついた顔で震えるのだが、よく見れば歪んだ笑いを口元に浮かべていたのは、隠しきれていなかった。
オリランダがメイルティンに嫉妬していたように、メイルティンも生来の公爵令嬢であるオリランダに嫉妬していた。
だから被害者ぶって追い詰めたのだろう。
やがてメイルティンが王太子を籠絡し、オリランダを国外追放にした時は青褪めた。
けれど実家の伯爵家から、何故さっさとオリランダの護衛を辞めなかったかのかと叱責を受けて、気が付いた。
ここに自分と価値を同じくするものなど何も無い、のだと。
テレスフィオはオリランダに付いていこうと決めた。
そして涙を流してお礼を言うオリランダに生涯を捧げたいと強く思った。
だから───
『爵位が欲しいのです。この国の』
実家の伯爵家の名前が通じる家を、頭を下げて巡り、ようやく話を聞いてくれる所を見つけた。
オリランダを守りたい。
いつ自国に連れ去られるかもしれない彼女を守るには、やはり権力が必要だった。男爵位だろうと貴族。それが他国に害される事があれば、国際問題になるのだから。
傷付いたオリランダを支え、新しい生活に導く。更に宿屋の仕事と他国の貴族の爵位を得る為奔走し、メイルティンたちの相手もしながら過ごしてきたこの五年……
やっと爵位だけでなく、領地に小さな邸と、最低限の生活が出来る程度の定期収入を得られるようになった。
そしてオリランダを迎える最後の仕事をしている最中に、それは起こった。
彼女が攫われたと火急の知らせを送ってくれたのは宿屋夫妻。
彼らにはいずれあの宿をオリランダと二人で出て行く事、その為のこちらの事情を最低限話し、協力を仰いでいた。
お金を支払うべきだと思ったが、彼らはそれにはいたく反発した。……そんな人たちに巡り会えた事にはただただ感謝しかなく……自分に出来る限りの礼を尽くして、あとは死に物狂いで働いた。
◇
「裏切り者!」
叫ぶ国王夫妻に面倒臭く思いながら振り返る。
「何も……俺は五年前に伯爵家を廃嫡となっていますから、本来ならあなた方の国に恩も縁も無いのですよ」
「あ、アタシにその女の情報を流していたじゃない!」
兵士に後ろ手に縛り上げられながらも縋ってくるメイルティンを一瞥する。
「……先程オリランダ様に話した事が全てです。罷り間違ってもあなた方に乗り込んで来て欲しくなかった……あなたはオリランダ様が他国で平民となり宿屋で働いているというだけでは満足していなかったようだからな。余計な手を出させない為だ」
「な、何よそれぇ……」
情けない声を出すメイルティンを見ながら神官が首を振り、ぼやくように告げる。
「我々はキエル国王夫妻が聖女の名を穢した謝罪で神殿に伺いたいと聞いていたのです。そうして我々が認めた真の聖女の祈りを国へ賜りたいのだと……人は過ちを犯す者。罪を犯したとはいえ、一国の王と王妃の真摯な願いと聞いた故の今回の話ですが……まさかこんな侮辱を受けるとは……」
……勿論知っている。神官にその話を持って行ったのは自分だ。ロレンフィオンたちにも同じ事を伝えたが、敢えて誤解しそうな話し方をした。
どうせ彼らは自分の聞きたい事しか聞かない。
「えっ? 祈りってお金が欲しいって意味じゃないの? でもうちの国はもうお金なんて無いから、だから女を用意しようって言ったのはロレンフィオンよ! ロレンフィオンが悪いのよ!」
メイルティンはやはりこちらの思い通りの馬鹿を披露してくれている。これを見て神官ももう何も言う気は無さそうだ。
「何を言ってるんだ! 神殿にいる神官なんて皆堕落していて女に弱いって言ったのはお前だろう! 事実我が国に在駐していた神官を誑かしてお前は聖女認定を受けたんじゃないか!」
ロレンフィオンも負けず劣らずのクズっぷりを発揮する。
「人聞きの悪い事言わないで! あの時神官にお願いしてこいって言ったのはあなたでしょう! 今回だって、どうせなら高位貴族の女がいいって、オリランダなら追放されてるから丁度いいって言ったのもあなたじゃない! 人のせいにするなんて最低だわ!」
……二人揃ってどうしようもない……
テレスフィオは頭を押さえる神官に悪い気がして兵士に声を掛けた。
「もういいから連れて行ってくれ」
「待って! 待ってよ! アタシ本当はあなたが一番好きなのよ! ねえ、助けてテレスフィオ! 何でもするから!」
「テレスフィオ! 母国の王を罪人にするつもりか!」
(……勿論。その方が都合がいいので、ね)
テレスフィオは内心とは裏腹に神妙な顔を作り、口を開く。
「陛下……もういい加減に目をお覚まし下さい。せめて最後は王らしく国の幕引きを……それがキエル王国の為なのです」
(何でもするというのなら、死んで欲しいものだが……)
青褪めながら兵士に引きずられていく二人を見送り、テレスフィオはようやく胸に晴れやかな風が吹いた気がした。
◇
「驚かせてすみません。貴方を巻き込むつもりは無かったんです」
テレスフィオはオーリーと話をすべく、神官長に頼み神殿の一室を借り、話し始めた。
「テレス……私はあなたが何を考えているのか分からないわ……国を思って行動していたのだろうとは思うのだけれど……」
(そんな筈ない……)
テレスフィオはオリランダへ真っ直ぐな視線を向け口を開く。
「違います。俺はオリランダ様、あなたの為に、この日の為にずっと過ごしてきました」
「それは……」
戸惑いを見せるオリランダに苦笑する。
「……今回の件に関しては、俺はただ同盟国から指名手配を受けている二人を通報しただけですよ」
オーリーは神妙な表情で、テレスフィオの話に向き合っている。
「あいつらが貴方を連れ去った事を、宿屋のご主人たちに聞いたのです。あなたには言っていませんでしたが、ご主人たちには俺たちの事情を少しだけ話しておいたから……レオルの様子がおかしいとも連絡があったのに、間に合いませんでした。申し訳ありません。何もされていませんか? 怪我は?」
悔恨の表情を見せるテレスフィオにオーリーは首を振って答える。
「何もされて無いけれど……ねえ、正直に言って欲しいの、テレスフィオ……あなたは、本当はメイルティンが好きなのでは無いの?」
「……はい?」
意を決した風に話すオーリーにテレスフィオは目を丸くする。
「メイルティンの言う通り、私は地味だし面白味も無いわ。私はあなたが真面目なのは知っているもの……私に付いてきた事も、彼女に王妃としての責務を取らせようとした事も、本当は無理をしていたのでは……ないの?」
涙を堪え声を詰まらせるオリランダにテレスフィオは床に跪き、真剣な眼差しで告げた。
「ありえません。俺の心にはもう、五年も前からたった一人が住んでいて、そこには他の誰も入れない。それに俺も出したくありません……ずっと、俺はあなたしか見えていません、オリランダ」
その言葉にオーリーは瞳を揺らす。
「でも、どうして……? 私……ずっと足手まといで、あなたに迷惑を掛けてきたのに……」
オリランダはくしゃりと顔を歪める。
「迷惑なんて、一度も……あなたが俺だけを見てくれてる瞬間はいつも堪らなく嬉しかった」
(いつの間にか、全部自分のものにしたいって思ったんだ……)
すまないと思っている。
オリランダはずっと深窓の令嬢で、根が素直な性格だ。それに罪悪感が合わされば、いずれ自分だけを見てくれると確信していた。
彼女が虚勢を張ってる事も分かってたけど、こっちの準備もまだ時間が掛かりそうだったから、見過ごしてきた。
それにあんな王が総べていたあの国がいずれ立ち行かなくなる確信もあった。そんな噂を聞くたびに、テレスフィオの帰る場所が無くなる。と、思い詰めるオリランダの優しさにも付け込んでいた。
(……彼女の性格を利用して、罪悪感で縛って囲んだ)
「私は……狡いの。私、ずっとあなたの優しさにつけ込んでいたのよ……」
テレスフィオは口元に弧を描く。
そんな思い違いも、きっと、彼女ならしてくれていると思っていたから。
「それはあなたが俺に少しでも好意があると自惚れてもいいと言う事でしょうか?」
真っ赤になるオーリーの手をすかさず掬い取り、懇願するように問いかける。
こうすればきっと、オーリーは拒めない。
「う、自惚れでは……無い、わ。私は、きっとずっとあなたが好きだったもの……」
恥ずかしそうに口にするオーリーにテレスフィオの胸が早鐘を鳴らした。
「本当に? ならオーリー、是非俺との未来を考えて下さい」
自分でも急ぎ過ぎだと分かっている。
でも、もういいだろう? ずっと邪魔だった奴らが、やっといなくなったんだ。
あの宿屋にだってオリランダ目当てで通ってる奴も少なからずいた。それを牽制しながらオリランダとの距離が縮められない事はなんと辛い日々だったか……
これからは二人きりで静かに暮らしたい。
気にしていた手荒れだって元通りに白く輝かせてみせる。そうやっていくらでも甘やかさせて欲しい。
「でも、怖いの……私は……一度失敗してしまったから……」
心配そうに告げるオリランダにテレスフィオは優しく話しかけた。
「俺は嬉しい。あなたが俺を想ってする事なら全部。けれど勿論いつまででも待ちます。あなたの気持ちが固まるまで」
「テレスフィオ……ありがとう……」
こくりと頷くオーリーの手を引き、テレスフィオはそっとオーリーを抱きしめた。腕の中の引き入れた温もりに、心の底から幸福を感じた。
◇
「お金を受け取って他国へ逃げるところでした。借金があったそうです」
「そうか……」
オリランダとの話が済んだところで神官長に頼み、彼女は神殿内の部屋で休ませた。
一連の報告を持ってきた兵士に相槌を打ちながら背もたれに身体を預ける。
レオルには元々不穏なところがあった。
他所から来た人間だったらしく、詳しく知る者はいなかったが、どこか取り繕った雰囲気は隠せていなかった。
警戒はあったけれど、何もしていない奴に気を割く時間は惜しく、オリランダに対して良からぬ感情を持つようにも見えなかった。が───
「借金取りに追われていたらしいですね。新たな身分証を買って他国に移住するつもりだったとか……」
「……まあ、そんなところだろうな」
相槌は吐息に変わる。
こう言う時、立場というのは厄介だ。
自ら首を落とす事も、両腕を奪う事も出来ない。
自分がいない間に何があったのか、話を聞いたところで怒りは収まらない。
自分の失態も併せてレオルに課してやりたいが、それはただの八つ当たりに過ぎないし、過ぎた刑罰を行えば己の首を絞める事になるだろう。
それは今度こそオリランダと静かに暮らしていきたいとい
う願いに影を差すかもしれない。そんな事は本意ではない。
───かと言って手加減をするつもりは無いが。
「レオルと少し話がしたい。顔見知りでな、何故こんな事をしたのか……反省してくれればいいのだが……勿論罪状は法のもと公平なものを求めるべきだと思っている。そちらの手続きをよろしく頼む」
真摯な姿勢で相手の目を見つめれば、生真面目な返事が返ってきた。
「分かりました」
それに目礼で返し、留置所に置かれているレオルへと足を向けた。
取り繕う事ならば負けず劣らず得意だが……
自分は今どんな顔をしているのだろうか。
口の端が歪む。
絶望を届けてやろう。
二度と馬鹿な真似をしようなどと思わないように……
◇
やがて二ヶ月ほどして、オーリーはテレスフィオと共に真の聖女が誕生した国に移住する事になった。
聖女への信仰を、キエル国王夫妻への断罪の一助で示す。それにはこの国が一番良いだろうと色々と画策してきた。
「テレスフィオがこんな事を考えていたとは知らなかったわ……私、宿屋で働いているのも幸せだったのよ」
ささやかな邸を見回しながらオーリーが困惑しながら口にする。
「ですが、ずっと居候しているのもご夫婦に迷惑かなと思っておりましたから……」
その言葉ににオーリーは、はっと瞳を瞬かせる。
「そうだったのかしら? 私ったらお二人に甘えてしまっていて、そんな事にも気づかなくて……」
申し訳無さそうに萎れるオーリーにテレスフィオは声を掛けた。
「あちらのご夫婦が困らないように、今までお世話になったお礼は出来るだけ返していく予定です。それにここでも暇ではありませんよ、キエル国で貴族をしていた頃のような裕福な爵位ではありませんから、オリランダ様にも働いて頂かないとなりません」
その言葉にオーリーは、パッと顔を輝かせる。
「私、働くの好きだわ! 頑張るわね! テレスフィオ!」
新しい生活も、テレスフィオとならきっと楽しく過ごせると確信してしまうのだから、不思議だ。
「ええ……でも出来れば……」
そっとオーリーの手に自分のものを重ねるテレスフィオに思わず顔が赤らむ。
「早めに、結婚式の準備を済ませましょう。お二人へのお礼も、吉報と一緒に届けた方が受け取りやすいと思いますから」
「はい……」
にっこりと笑うテレスフィオにオーリーも笑顔を返す。
過保護が過ぎるのがたまに傷だけれど、彼ほど自分を大事にしてくれる人には、もう一生出会えないだろうから……
(きっと私は幸せなのだわ)
テレスフィオの重ねたオーリーの薬指には、彼の瞳の色を思わせる、エメラルドの婚約指輪が光っていた。
◇ おしまい ◇
レオルのその後なんて誰も興味無いだろうと端折ってましたが、むしろモヤっとしてしまうようなので加筆しました。(5/11)
感想下さった方々ありがとうございました!!