空の生業
「さあ、着いたよ」
俺たちは駅から30分ほど歩いて、橋脚の足元にやって来た。
従業員の通路口を通って、巨大な橋脚の脚にふれながら現場に辿り着くと、作業用の道具が放置されていた。
どうやら連日作業しているらしい。オールは作業道具の山から、こなれた手つきでハーネスを取ってきた。
「これをつけるんだノア。アンタの命綱だよ」
どさっと渡されたそれを俺は茫然と眺める。
「オール、いい加減にしろよ。なんで俺がこんなことを・・・」
「こんなこと?大切な仕事だよ」
「俺がやる必要が無いって言ってるんだ。お前の仕事仲間といつも通りすればいいだろ」
「問答無用。黙ってやりなノア。これはアンタに必要なことだ」
オールは上着を羽織った。
それから腰の位置でリボンを結び、真横を指さした。
「見て。空が近い」
俺は引力に惹かれるようにオールが指さした方を向く。
そうだ。
この橋脚。ここまでに至る通路。
そのすべてが空に近い。
橋脚の足元は地面に着かず浮遊して、通路は一歩踏み外せば途方もない空間に投げ出される。
そんな環境に、俺は心底震えていた。
「橋脚は私の仕事場で、一番空を感じる。当然だよね、空にほっぽり出されるんだからさ」
オールは少し笑う。
「橋脚はブルーキャノピーの生命線。各島を繋ぎ、交流と発展を支える橋の土台。この点検は文字通り命がけだけど誇り高い職人たちの生業だ」
橋脚点検。オールの言う通り、このブルーキャノピーは島がいくつも橋を繋げて形成されている複合都市。いわば橋が無ければ成り立たない都市だし、この橋は他の島を浮かべるための「浮力エネルギー」を供給するためのパイプラインだ。
もし橋に異常が発生し、「浮力エネルギー」が供給されなければ、島の重みに耐えられず、橋は折れる。
「多くの人の命を繋げているんだ。けどそのために私たちは足元の無い作業場に行かなければいけない。私は天使だから飛べるけど、職人たちはただの人間だ。とても危険なんだよ」
「じゃあ、なんでそんな仕事を・・・」
「この仕事はそれ以上にやりがいがあるからさ。誰もが危険を承知でこの仕事をやりたがっているんだ」
「やりがい?」
「多くの人のための使命感、都市国家直属の特殊技術職、いろいろ理由はあるけど、この仕事の最も素晴らしいことは・・・」
「空を感じることだ。この仕事は空と一つになる。自分が巨大な空間の一部となり、果て無く広がる存在に包まれる・・・その多幸感は言葉にできないよ」
どうやら紫の天使は、遥か天上から神の進言をもたらしているらしい。
「意味が解らないな」
俺は理解できなかった。
俺は人並み以下のことしか出来ないような駄目人間。天使のように空も飛べないし、何より空を嫌っている人種だ。一歩間違えれば空に放り出される仕事。それに惹かれる理由など俺には皆無だ。