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広大な空間の名は、空

何もない。

けれど果て無く蒼穹は広がる。


空。


「うああああ」「あああああああッ」「ッああああッああああああああああああああああ!!」


俺の声は風の激流に裁断される。

意識が吹っ飛びそうだ。何も聞こえないし、やかましく空を切る音がつんざく。

凍てつくほど冷たい空気。ここにはブルーキャノピーの空気は届かない。

ぽかぽかとした気候なんて無い。

自分が不安になるほど極小な存在に感じる。恐怖と興奮が混じり、何度も押し寄せては消えて行く。


回転する体に時折、ブルーキャノピーが見える。そして橋脚がどんどん離れていく。

落ちている。ようやく実感できた。


あの時の、島のごとく、父親のごとく俺は落下していく。


「あああああああああああああああッッッ!」


だが次の瞬間。

俺の体はがくんと落下をやめ、強い力で引っ張られる。


「・・・ッッ!!!?」


ハーネスだ。

俺の体を引っ張る。

よく見ると背に、太いロープが伸びていた。

そしてそれを持つのは、太陽に照らされる神々しい紫の天使だった。


オールは何か言っている。朗らかな笑顔で口を動かしている。

風のせいで声は届かない。


オールは、紫の翼をバサッと動かし上昇した。俺の体もあわせて上昇していく。

天使が風を掴む姿をこんな感じでまざまざとみるのは初めてだった。落下の恐怖と興奮でぐちゃぐちゃの頭で、不思議と仔細にその様子を観察できた。


そのあと、天使はロープを手繰り寄せて、俺の体に手を巻きつけ耳元で言った。


「ちゃんと空を感じた?これから橋脚を見に行くからね!」


「冗談だろ!」


「まさか!」


バサッとアメジストのような翼を動かし、ブルーキャノピーの側面をなぞるように上昇していく。

ごうっと飛行する最中、俺は一瞬何かに気づいた気がしたが、オールが「ちょうど橋を電車が走ってる!驚かせよう!」と言ったせいで何かを忘れた。


島間列車『スカイ・ハイレール』の銀色の車両が輝いているのが見えた。

オールはそれに向かって急上昇した。走る鉄道に追いつくと、窓の中から驚いたおばあさんや、手を振る子供が見えた。

俺はぎこちない笑みを浮かべる一方、オールは片方の手でふりふりと手を振った。並走したあとは、橋をぐるぐると回った。何度も鉄道に顔を覗かした後、鉄道は橋を渡り終え、トンネルに消えて行った。


そうしてまた急降下した。今度は橋脚をなぞった。


「すごいだろ!こんな強固な建造物はこの世界に橋脚以外ありえない!」


「近づきすぎだ!ぶつかる!」


「私がそんなミスするわけないだろ!さあ、また昇るよ!


そしてまた急上昇。

この時身体の感覚が次第に空に慣れ始めてきた。

手足がひどく頼りない感じだが、全てをほっぽりだして巨大な空間と一つになる感覚。冷たい風と、いつもより眩しく感じる太陽に包まれる感覚。

これが空だった。

ブルーキャノピーに住んでいてもこんな感覚を味わうことはない。


そもそもこの世界で空を飛べる存在は、四人の天使をおいて他ならない。

アミル、セラブル、ロゼルル、そしてオール。

この天使の四人だけが、背に翼を展開して飛行する。どんなに風魔法が得意な人間でも自身を数分も浮かせることはできないのだ。


「まだ昇るよ!」


そう言ってオールは翼を翻し、どんどん上昇した。

橋よりも高く上昇すると、オールは俺を抱いたまま、もぞもぞと目の前に移動してきた。

丁度恋人が抱き合うような感じだ。


「今度は一気に落ちるよ」


オールは翼をたたんだ。

すると自由落下で俺たちは真っ逆さまに落ちていった。


「うおあああああああ!」


「作業場に戻るよ!」


そうしてオールは翼を再び展開して、滑空しながら、さきほどいた作業場に戻ってきた。


「はい、到着。どうだった?空は楽しいでしょ、ノア」


「・・・・・・ハァハァ、死ぬかとおもったよ」


動悸がおさまらない。感覚がいまだに風に囚われて落ち着かない。

あれが空。あそこまでリアルに感じることは無かった膨大な風の空間。まるで世界と一体になったような感覚と、何もすることができない圧倒的な恐怖。



「私は空を護る天使よ。アミルたちと同じ。私が護っているものの価値を少しはわかってくれたら嬉しい」


「・・・・・・わからないよ」


「・・・そう、残念。少しはこの空間に身を投げ出す爽快感が伝わるかと思ったけど」


「爽快感?冗談だろ?命を失う恐怖しかない。それと、自分がひどく矮小に思えたよ」


「私はそんなつもりじゃ」


「もういいんだ、オール」


「・・・いいって?」


「もう空は十分だ」


ごめん、と小さく告げた。俺はオールを困らせた。その自覚はあった。それでも嫌気がさして仕方なかった。この浮遊感の空間が嫌だった。



「・・・・・・ノア」


「帰るよ」


情けない。駄々っ子だ。

どれだけ空に包まれていても俺の根底にある恐怖はそれでも無くならなかった。

俺は情けない。十年前の落ちていく島をいつまでも見ている。





「オール!今日は早いじゃねえか」


間もなく職人たちがやって来た。

俺に目を向け、少しだけ目を丸くした。


「ノアだよ。私の仕事場を見に来てくれたんだ」


「おお!お前さんがノアか!オールから話は聞いてるぜ。橋脚点検の仕事に就くためにゃもうちょっと筋肉つけねえとな!」


快活に笑う職人たちに何も言えずに、俺はその場を立ち去った。


「あっノア!気をつけて帰りなよ!」


珍しく何か言いたげな困り顔を浮かべるオールを一瞥し、俺はその場を立ち去った。


通路を通っているとき、俺はふとブルーキャノピーの壁面に目が言った。立ち止まって壁を見る。

岩で作られたのっぺりとした大きな壁だ。その下は、何もない空。

壁面を上昇する感覚を思い出した。


「・・・」


その時、忘れてた感覚がふと蘇った。

オールに掴まれ、上昇しているあの時。

あののっぺりとした壁で、誰かと目が合ったような気がした。

刹那的な感覚だけど、何となく覚えている。


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