同性愛で人類滅ぶなら、オメガバースすれば両得では?っていうエッセイ
最近人様のエッセイを読んだから触発されて書いてみることにした。
私が読んだそのエッセイを主観で読み解いて、独善的に纏めると。
同性愛で人類が滅ぶよ!
マジでかな?って感じだった。
でもすぐに、ありえないわけではないかなぁ、と思った。可能性としてはある。宝くじよりも高い確率で存在してそうな感じはある。
食糧難でも、温暖化でも、病気でも、事故でも、人類を滅ぼす方法なんてスケールさえでかければ、どんなまがいな説でも通っちゃう。
滅ぶまでどうやって滅ぶかなんて分かりゃしないのにね。
悲しい悲しい……悲しくないけど。
愛が世界を救うってなら、愛が人類を滅ぼすことさえあるって思えるのも仕方ない。
最近はAIにも怯えて愛にも怯えて、どこか韻を踏みたくなっちゃう。
まぁでも、愛に滅ぼされるなら本望では?異性愛者からしてみれば望まぬ形の本望だろうけど、致し方ないよね。愛で滅ぶとかめっちゃ情熱的だと思うんだけどなぁ。
同性愛で世界が滅ぶなんて考える人は、人類が終わることに怯えてるんじゃなくて、自分の望まぬ終わりを迎えることに怯えてるんじゃないのかな?って思う。
滅多刺しにされて死ぬよりも、平和に静かに老衰したいと思うのと同じように、愛入れぬやつが横行して滅ぶよりも、種としての老衰を迎えたい。
分かる、とても分かる。
自分の好きなゲームやアニメのシリーズのラストが金に物言わせてオールスター集結!とかやって華々しく大団円迎えた時は泣いちゃうし。
でも、逆に原作改変ばっかりで終わり方も原作と違うとアニオリかぁ、ってなる。そこは賛否両論だけど。
そういうことよね。望まれてるのはハピリーエバーアフターよね。
間。
だから、逆に私的にはまったく問題に感じないんだろうなぁって。
子供ができない愛情の形とか性癖とかはあんまり問題視してないからなのかな?
どっちかって言ったら終わることに興味がないから?
未来は無限大、可能性も無限大。でも行き着く先は結局終わり。ドラえもんのセワシくんが言うみたいに、どのルート辿っても大枠の終わりは変わらないんだよ。
シンデレラだろうが灰被り姫だろうが、手掛ける人物が違っても王子様とか結婚して幸せになることには変わらない。
リトルマーメイドと人魚姫の話を持ち出されると勝ち目ないので度外視するけど。
同性愛で少子化になる。同性愛で人類が終わる。
どこかの区議会員さんが心配することは結局仮説に仮説が跨ったノストラダムスの大予言。
不安を煽るだけ煽って解決策はない。
沈みゆく果てに私が出せる答えは「無駄だよね」って最初から最後までその一言だけ。
ほとんどの思考問題とかエッセイとか哲学とかを総なめに馬鹿にしているかと捉えられるかもしれないけど起こってないことを想像するのは『無駄』
天気予報とかは役に立つけど、外れたら傘を持っていった意味がないように、当たる前提での行動は外れた時に意味を為さない。完璧に未来を当てられる方法があるならまだしも、無い分野では『無駄』。
でも、その無駄を私たち小説家は楽しんで、面白おかしく書いている。無駄は楽しい。無駄は素晴らしい。
そう。
シュレディンガーの猫なんて中をのぞけばいいし、ひよこが先か鶏が先かなんて親子丼にして食べちゃえばいいし、無限ホテルなんてできないし、タイムマシーンはまだないし、考える娯楽でしかない。
この世のありとあらゆる思想や予想や水掛け論や陰謀論は娯楽の一種。
これも「もし同性愛で人口が減ったら?」という論理空間を展開して予測する娯楽。
そう考えた方がストレスフリー。オールフリー製法。第三の楽しみ方。
本気にする必要はないし、面白そうなゲームだって考えれば良い。
だって、娯楽なら「このゲームはフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません」っていうことだし。
考え方一つで人類は滅ばない。同性愛者が増えて、同性で妊娠できるようになる技術ができるかもしれない。
そういうことだって夢や希望の一つで、あり得るかもしれない可能性で、よっぽど明るい未来なのでは?
え?可能性が低すぎる?
滅亡論者くん頭にブーメラン刺さってますよ。
間。
(悪)名高き同性愛者にして小説家、オスカーワイルドの残した名言にこんなのがある。
「楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る」
私たちは腫れ物が及ぼす穴しか見ていないことの方が多い。さっき出したオメガバース技術が現実になるだなんてきっとみんな思ってないことだろう。
だから、同性愛の先にあるのは究極、オメガバースか人類滅亡。
なんかそれってカッコよくて面白くない?
人類が愛に滅ぼされるか、愛を受け入れていくのか。とても気になる。
同性愛で滅ぶ異聞帯も、同性愛で栄える異聞帯ってのも個人的には見てみたい。見てみたいから問うてみる。
貴方にとって同性愛とは脅威ですか?