スイッチON!問題は既に始まっていた。
綾辻との交流。
これもまた俺の人生上で二つとない奇跡だった。……筈である、今では疑わしいが。
しかし、学内屈指の美少女とされる彼女と交遊関係になれたのは、元より少数しか友達を持たない以前の俺にしては予想だにしなかっただろう。
だが、今はそれ以上の衝撃を受けている。
「改めて」
スポーツウェアの少女が咳払いをする。
先刻の失態を挽回、というより無かったことにすべく仕切り直した。
再び、決然とした眼差しで俺を射竦める。
「あたしと、付きにゃ……って下さ……」
「……」
「あたしと、付きゃって……」
「……」
「あた、あたしゅ……」
「……」
「……」
「……」
「……ぐすっ、練習したのに……」
「したのかよッ!?」
本人が極度の緊張で同じ失敗を繰り返して言葉の伝達ができていないが、その態度から言わんとすることは十全に伝わっている。
そう、俺は愛の告白和受けていた。
初めての告白されたのが噛みまくりな女子なのも些か可笑しいが、背後で見守る赤髪の男子が笑いを堪えているのも一笑を誘う。
俺に初の告白された、という経験を与えてくれた少女。
ベリーショートの黒髪、緊張で晒された項に玉の汗が貼り付いている。
身長は女性の平均身長よりも低く(平均は確か百五十後半だった)、しかし筋肉質ではなく女性らしい丸みがあってスポーツウェアという装束により、かなり目の遣り処に困る。
切れ長な鳶色の瞳は、睨まれたら凄そうだ。
しかし、俺を見上げる形の彼女は小動物らしさもあって愛らしい。
とても魅力的なのは頷ける。
中学時代に告白されていたなら、俺も即答でオッケーサインを出していた。
しかし、この数ヵ月を綾辻に鍛えられた影響か、心臓は落ち着いている。
そして、何より――。
「大変申し訳ないが……」
「……そ、そっか……駄目か……」
「名前、教えてくれ」
「そこから!?」
そこからです。
全く記憶していない。
初対面の人間に告られたかと思ったが、自己紹介をせずに始める辺り、恐らく知り合いなのかもしれない。俺が薄情にも記憶していないのだろう。
少女の顔は、血の気を失っている。今にも倒れそうな白さには、背後で笑いを噛み殺していた赤髪さえも瞠目していた。
「ほ、本当にあたしの事おぼえてない?」
「誠に失礼ながら」
「きょ、去年も一緒のクラス……」
「すまん、あまり友達いなかったから」
「夏に一緒にシュート練習してくれた……」
「他にもサッカー部のマネージャー代理とかラグビー、フットボール、野球……も色々手伝ってて、少し思い出すのが難しい」
悉くが通じず、少女が項垂れる。
大変申し訳ないが、本当に何も記憶にない。
部活を手伝うのは暇だったからだ。夏にやる事がなく、かといってバイト勤めでは物足り無かったので、そちら方面に走った。
その一環で女子のシュート練習に付き合ったというのだろうが思い当たる節がない。
「あ、あたし……印象薄いんだ……」
「いや、手伝った部活の面子で記憶してるの部長と顧問くらいなんだが」
「…………」
「すみません」
「まあ、これから憶えて貰えればいいや……はは……」
謝罪すると溜め息をつかれた。
今回ばかりは俺に非がある、勇気を出して告白したにも拘わらず、相手は自分を記憶していない、などという失礼で当たってしまった。
怒られても仕方無いだろう。
背後に控えていた赤髪が前に進み出る。
「こいつの相談は、これだ」
「じゃあ、赤髪は?」
「……その、綾辻の事なんだが」
「好きだと」
「………………そ、そうだな」
赤髪が照れ臭そうに返す。
何となく予想はできていた。俺に対して相談したいという男子の話など、綾辻関連に他ならない。
正気を疑いたいが、これは絶好の機会。
恋人ができれば、綾辻の下らない会話の相手も移り変わる。俺ではなく、赤髪がこれから担当することになるのだ。
実態を知って離れるとしても、赤髪は好きな相手と交際ができて、俺はヤツの毒牙から免れる。
双方に利得しかない。
「良いぞ」
「え、良いのかよ……?だってお前……」
「いや、俺は綾辻に迷惑してたところだ。だから恋人ができるのは素直に嬉しい」
「でも仲良いんだろ?」
「クラスメイト達よりは多少な。でも、その程度だ」
赤髪は何かを勘繰っている様子だが、俺達は恋仲と呼べるほど仲良くはない。
思春期の男子と女子ならありありな展開がややあった程度である。いや、あったのか……?
ともあれ、納得した様子の二人は頷いた。
「じゃあ、話し合いはまた今度だ。今日は協力できるかどうか、あとコイツの告白を兼ねてたからな」
「成る程。因みに、その、告白の方だが……」
「答えは要らない!」
返答不要。
自己満足ということか。
それはそれで、少し落ち込むところがあるが。
「まだあたしの事知らないなら、これから知ってくれた上で、改めて聞くから」
「あ、さいですか」
これからも続くのか。
あれだけの非礼があっても好んでくれるのは嬉しいが、その間に愛想を尽かされると思う。
「あたしは阿久津美波。覚えてよ、本当に」
「俺は後藤正芳。また後で内容は詰めていこうぜ」
しっかりと名前だけを告げる二人。
俺が頷いたのを確認してから、体育館裏を先に去って行った。後ろ姿にどことなく満足感が見受けられるのは、殆どの目的を遂行したからだろう。
女子から初めて告白されたのにトキメキも無い俺としても、まだ彼女を一人の異性として認識していない証拠だ。これから彼女を知っていけば、変わることである。
一段落したところで、丁度昼休憩の終了を知らせる鐘が鳴る。
俺は告白された感動と、綾辻に対してアプローチを起こそうとする男子の登場への奇妙な感慨を両手に、教室へと戻った。
しかし、この時の俺は知らない。
この一場面を見詰めていた存在のことに。
「そっか。さすがにいつまでも続かないよね。なら、私も少し本気を出そう」
彼女が俺を、離してくれないことに。