告白の予行練習しとけ。本番で凄い噛むから。
次回予告詐欺。
「それでね、カラスが私に留まったんだよ」
「え、それ大丈夫か」
「うん。厳密に言うと、私の『座っていたベンチの上』に」
「もう喋んな」
教室で再び展開される話。
眠くならないのが不思議、目が冴えるのが不条理。
授業の合間の休憩時間に幾度も襲来し、その都度眠気を覚ましていくので、俺は退屈な授業でも寝ていない。その分、解消されない疲労は蓄積していくが。
つまり害悪でしかない。
話は面白くないし、無駄に疲れる。
入学式で感じた爽やかな邂逅の随喜は何処へ消えたのやら。
今は昼休憩の一つ前。
三時限の終了から、一〇分間設けられた猶予。
次は現代文A、これが唯一の楽しみだ。教科書の内容は、彼女の話より幾分も面白さに富んでいる。
寧ろ、彼女に感謝すべきか。
下らない話のお蔭で、ますます現代文を好きになった。あの大嫌いだった古文でさえも。
そんな彼女――綾辻は教科書を片手に、俺の机の上に柳腰を下ろして読み始める。
眼前至近に美少女、だが心臓は外見と中身の激しすぎる齟齬に高鳴らず凍てついた。もう、この世に完璧な美が有り得るとは信じなくなった。
綾辻真子は悪魔である。
しかし、如何せん俺が甘やかした所為か。
彼女は一向に友達ができない。
恐らく、これでは恋人も破滅的に不可能だろう。
「綾辻。突然で悪いんだが」
「ん、何だい?」
「恋人にしたいタイプって、どんなだ?」
「恋人にしたい……か」
綾辻は顎を手で支えて黙る。
どんな所作も美しく見えるのだから、やはり綾辻真子は恐ろしい。これが学校で一位と名高い美少女の魅力か。
沈思黙考から戻った彼女は眉間に皺を寄せて、苦しそうに声を絞り出す。
「えっと……それは、人間であれば良いの?」
「……まあ、そうだな」
ドーユーイミ、ソレ?
英語っぽくすると『Sore Do you imi?』。
何か『What do you mean.』に見えなくもない、字面の雰囲気だけ。
うん、着実に綾辻に感化されてるな、俺。
「私としては、何も穢れを知らない卵こそ恋人にしたいかな」
「ドン引きだよ」
「何故」
「訊くな」
今の発言を聞いたら、養鶏とか動物愛護団体を除いて、全人類がドン引きする。
種の垣根を越えるなら愛嬌だと一笑に付すが、さすがにそんな回答するとは誰も予測していない、もうお前が卵からやり直した方がいい。
こんな調子では恋人など夢見物語。
いや、他人の俺が懸念するのも大変おかしい話ではあるが。そもそも、俺も彼女に感けて高校生活を謳歌できているのだろうか?
そこは疑問――にはならない。
なんだかんだで、楽しかったから。
ただ、安穏と過ぎる日々。
そろそろ目新しい刺激が欲しくなるのが人間の常である。
望んだところで、都合よく現れはしないが。
しかし、その日は奇跡が起きた。
それも、望んだものとは微妙に違う形で果たされる。
教室の戸が開け放たれた。
盛大な音が室内に鳴り響き、一瞬喧騒が止んだ。入り口の方へと視線が殺到する。
その一員として、俺もいた。
おい、綾辻、今こそ入り口に注目しろ。
『スーパーでカゴを二段重ねにしたまま気付かなかった』なんて話はどうでも良いんだ。
「磯谷直也ァァア!!」
入口に立つのは、赤い髪の男子生徒。
容姿は……赤い髪?流しそうになったけれど、奇想天外な髪色しているぞ!?校則を堂々と違反する度胸は認める。
凛々しく太い眉、目鼻立ちは整っていて、均整の取れた体は鍛えられている。シャツは第三ボタンまで開けられ、緩く締められたベルトと裾の長いズボン。
よくわかった。
初見で関わりたくない人間第一位だ。
俺は無視しようと机に突っ伏す。
他の面々も、俺を気遣ってか進言する者はいない。
「ん、私の親友のことかい?」
「訂正しろ、誰が親友だ」
「じゃあ、少しランクダウンして騎士と姫」
「すまん、マニュアルをくれ。マジで基準が判らん」
彼女の価値観が理解の能う代物ではない。
英語も拙い高校生がアラビア語で会話を求められた並みに理不尽である。俺の適格な位置を指摘するにはマニュアルを作るしかない。
いや、そんな事よりも。
入口に立って俺の名を叫ぶ校則違犯と応える残念系美少女。
このまま遣り過ごそうと思ったが、それは叶わないようである。
俺は椅子を引いて立ち上がり、そちらへと歩んだ。なぜか隣に綾辻が並ぶ、要らん。
「何だ君は。髪の毛先が跳ねているよ、寝癖はしっかり直して学校に来るんだ」
綾辻の先制。
惜しい、毛先じゃなくて毛の色。
もっと別に指摘点がある。
「綾辻真子……」
「そうだ。磯谷くんと話すなら、まずはプロデューサーたる私を介してからだよ」
「俺はアイドルかよ」
俺を管理しているのは綾辻らしい。
解せぬ。プロデュースはしていないが、立場は逆だと思う。
俺が顔を顰めると、赤髪の少年が俺を真っ直ぐ見詰めた。
睨まれている……因みに、初対面だ。
「何の用だ?」
「昼休憩の時間、話がある。体育館裏に一人で来い」
「磯谷くん、愛の形は人それぞれだ」
「綾辻、体育館裏=愛の告白じゃないぞ」
赤い髪の少年は必要事項のみを伝えて去った。
俺としては、もう少し控えめに訪ねて貰えると嬉しいが、あの敵意を全く隠さぬ様子は、明らかに因縁があるとしか思えない。
俺が関知していない、一方的な激情なのか。
これが綾辻関連でなければ嬉しいが、きっとその可能性は絶望的に低い。煩悩に塗れた男子高校生の思考など読みやすい。
外観から生じた偏見からは、恐らく強引な手段で訴えてくる場合が考えうる。体育館裏で穏やかに事が済むのだけを祈るしかない。
俺の意中を察してか、綾辻が真剣な眼差し。
彼女は俺の袖を握って、不安そうな顔をしていた。
「磯谷くん、私が付いて行こうか」
「……どうしてだ?」
「だって、あの雰囲気は間違いなく……」
何だ。
「私を恋敵として敵視していた」
「さすが名探偵、見事な推理に感服しました。あとは黙ってろ」
「私が騎士、君は姫なんだろう?」
「それ逆だったのか」
彼が仕掛けてきた理由が彼女であると推測すれば、寧ろ本人が参上しては話せないことがある。
余計な阻害にしかならないし、綾辻は状況を愉しんでいるだけだ。
俺一人でも会うのは躊躇われるが、クラスで衆目を浴びる一事だった以上、避ければ後日の肩身が狭くなる。……ただでさえ、綾辻で困窮しているというのに。
彼の名前は聞けなかったが、体育館裏と約束した場所がある。他にそこに用事があるヤツがいなければ、間違うこともない。
それにしても、俺は現代文を憂いに心を痛めながら過ごすしかないのか。
暴力で訴えてきたらどうしよう。
それも現場に到着した途端、同じ風貌の面子数名に包囲されてリンチとか。
そんな悪い予想ばかりが脳裏を過る。
先の物騒な案件に想いを馳せていると、存外授業は短く感じられた。
現代文の内容も、ノートには板書をきっちり済ませたとはいえ、頭には吸収されていない。
俺はどこか虚心のまま、四限終了の鐘が鳴ったのを聞き、クラス中から視線を受けて教室を辞した。
体育館まで迂回せず、最短距離で向かう。購買部へ急ぐ走者たちの姿を見送りながら溜め息をついた。
俺も弁当を忘れたので購買部に足を運んでいた、と少し遅れながらに言い訳をしようか。そんな所で迂路を選んでも、どのみち会うのだから仕方ない。
昼の長い休憩時間を利してサッカーに興じる者たちの歓声が上がる校庭をかわし、人気の無い体育館裏へ突入する。
雑草の刈られた体育館裏は静かだった。
俺が到着してすぐ視線を周囲に巡らせ、あの赤い髪の少年の姿を探る。あの髪色なので発見は容易だ。
しかし、彼が見当たらない。
おい、覚悟を決めて参上した俺の心意気に応えろ。勝手かもしれんが。
俺が不満を心中で垂れ流していると、背後で草を踏み分ける音が聞こえた。
音のした方へ振り返れば、赤髪の少年。――と、スポーツウェアに身を包む少女がいた。
え、集団リンチの面子に女子が?
「来やがったか」
「ああ」
赤髪の少年が一歩前に出た。
後ろに控える少女は、何やら両手にバスケットボールを抱えている。……影から投擲してくる積もりか。
やや身構えながら対すると、赤髪の少年が気まずそうに話を始めた。
「その、だな。実は俺と、こいつがお前に相談したい事があるんだ」
「金は貸せんぞ」
「初対面で借りるヤツがいるかよ」
「怪しい物の運搬も無理だ」
「俺を何だと思ってるんだよ」
「言えない」
「それ暗に最低なヤツって言ってんぞ」
肩を竦めた後、赤髪の少年が後ろにいた少女の背中を押し出した。
乱暴な手付きだったので、やや前のめりになって俺へと突き飛ばされる。体幹の鍛え方がなってないな。
ようやく体勢を立て直した時には、すぐ至近だった。
少女は暫く顔を真っ赤にして狼狽えていたが、やがて決然とした表情で俺を見上げる。
そういえば……この子、だれだ?
「あの、磯谷直也さん!」
「はい」
俺は彼女の覚悟を決めた表情に応えるべく、聞き逃すまいと耳を澄ませる。この聞き間違う筈もない距離で。
そして、彼女の大音量の声が校舎裏を響かせる。
「ずっと前から……」
一呼吸を置き、言葉を紡ぐ。
さあ、聞かせてもらおうか。
「ずっと前から好きでしぴゃ、あたしと……付き合って下しゃいっ!」
ごめん、聞こえなかった。
次回へ続く