表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/19

怪しいぞ!二丁目のラーメン店(後編)



 腰を落ち着かせ、溜め息を堪える。

 卓上に二つの冷水を浸したコップが置かれ、店長の笑みが隣を過ぎていく。店内は予想以上の繁盛、味云々の情報がなかったといえど、この数は驚きだった。

 まだ夕飯時にも早い。

 カウンター席が厨房を囲って半円を描き、方形の店内の壁際を埋めるように卓が配置している。


 店の様相は、少し異質だった。


 料理中の店長と会話が行えるよう設計された空間の間取り、オネエ姿ではあるが客と会話をしながらも手際は素早く正確で、片手間とは思えぬほど話題を盛り上げる。

 客にも人気のある店長、そして繰り出されるラーメンが来ると、客は黙って堪能していた。

 麺とスープを啜る音、賑わう客と店長の声、食器の固い音などが犇々(ひしひし)と俺達を取り囲う。


 一言で評するなら――物凄い隠れスポットを発見した。

 こんなにも素晴らしい店があるのか。

 店長の風貌の奇態さも、店の魅力を引き立てる武器になっている。尚且つ、食事中に見せる客の反応を見るなり、味も申し分なさそうだ。


 まさか、こんな店があるなんて……。


 そう、だからこそ、俺は言いたい。


「綾辻、向かい側の家より凄い事になってるな、この店内」

「え、これがラーメン店では普通なんだろう?」

「ここしか経験が無いんだろう?」

「そうさ」

「胸を張るな」

「スケベ」

「違う」

「ヘタレ」

「それも違う」


 悉く会話が噛み合わない。

 俺は心底から綾辻を恨みたくなった。

 いや、遺憾ながら感謝すべきなのかもしれない。この隠れスポット、一見すると学生の姿は見受けられない。

 専ら、大人が席を占有している。

 店長は忙しそうだが、切迫した様子はない。純粋に会話を楽しんでいる、或いはそう見せる演技が可能なほどの余裕。

 こんな素晴らしい店を営む彼――いや、尊重して彼女――の性根を疑うのは失礼だろう。


 目前で注文表を凝視する綾辻に視線を移した。

 俺も彼女に頼んで確認すると、メニュー表の内容はバラエティーに富んでいた。

 ラーメンの種類もさることながら、サイドメニューまで豊富。

 完璧な店だ。


「こんな素晴らしい店があるなんて」

「うーん?喜んでくれたなら、私としても畳重だけれど、些か目論見と違うというか……」

「下らない事を企むよりも、いまは純粋にラーメンを楽しむぞ」

「そっか。磯谷くんが良いなら、それで良い」


 得心した彼女が挙手する。

 綺麗な肌、惜し気なく二の腕まで晒された腕に店内の視線が募った。さすがは魔性の女、無自覚であろうとも魅力の強さは店長に劣らない。

 いけない、確認を取られる前に俺も決めなければ。


 しかし、初めての来店とあって、どれがオススメなのか。

 基本のラーメンで行くか。

 やはり、味の偏りに委ねてみるか。

 トッピングの如何に依るか。

 メニュー表と格闘し、俺は漸く答えを絞り出す。


 ちょうど、気付いた店長が厨房から身を乗り出した。


「は~い!そこのリトルカップル、ご注文をど・う・ぞ?」

「味噌ラーメンの大盛を。……ダーリンは?」

「……じゃあ、この『店長拘りの極玉(ごくたま)ラーメン』を」


 俺が注文する。


 その声を聞いて――店内が静まり返った。

 こちらに集中していた視線に異変が生じる。

 綾辻に募らせた熱い眼差しが、どこか挑戦的で、好戦的な気配すら窺わせる獰猛な光へと変わる。

 事態の空気すら全く察していない綾辻は、メニュー表を置いて、窓から見える向かい側の家を注視していた。

 いや、それどころではない。

 この綾辻以外の総員から送られる、異様な眼光は何なのか。


 背後で含み笑いが聞こえた。

 勢いよく振り返ると、そこではラーメンを啜っていた工事用作業服を着る壮年の男性が、油で艶づいた口元に不気味な笑みを浮かべる。


「兄ちゃん……初手でそれたぁ、やるね」


 何だ……いったい、何が……!?

 店長の方へと顔を巡らせると、凶悪な顔でこちらを睨みつつ笑っていた。自身の掌に拳を打ち付け、首の骨を鳴らす。

 急に凛々(男ら)しくなった。


「かわいいボウヤって思ったけど、ヤる時はヤるのねぇ。あたし、ちょっと本気だすわよ?」

「店長を舐めんなよ?油断してっと、テクが過ごすぎて虜になっちまうぜ」


 え、ラーメンの話だよな?

 俺は不安になって綾辻を見遣った。


「味噌ラーメン大盛、楽しみだね。磯谷くん、私たちは店内では一応恋人ってことで徹してみようよ」


 綾辻は、異界の住人だった。

 俺の身に迫る脅威、事の重大さを微塵たりとも把握していない。店内での振る舞いを変えて趣向を凝らそうとしたり、味噌ラーメンに想いを馳せたりしている。


 まさか、初見で危険区域に踏み入ってしまったのか。

 それは(まず)い。


 暫くして、綾辻の味噌ラーメンが到着。

 スープ全体の色合いや、柔らかそうなチャーシュー、麺の艶や臭いなども食欲を際限無くそそる危険な一品だった。

 よもや、味噌ラーメンでこのクオリティ。

 一口目を啜った彼女が満足げに頷く。

 どうやら満悦の相、こんどは味を楽しめて何より。


 さて――。


「お待たせ。『アタシ拘りのゴ――ックタンマ、ラーメン』よ」


 発音が変わってて別のが来たと思った。


 俺の目の前に置かれたのは、一見して普通のラーメン……ではない。

 スープの表面に、左右で二つの孤島のように盛り上がった麺が見える。右はネギ、左はチャーシュー、その双方を見下ろすように奥では三枚の方形の海苔が立ち上がる。

 スープは濃厚系の色合い。

 臭いは味噌よりも若干弱かった。


 く、明らかに違うな。

 周囲の不敵な笑みなどに気圧されながら、まず右の孤島から箸で束ねた数本の麺を持ち上げる。外見から惑わせてくるかが、たぶん味も凄いのだろう。


 そう――予断したのが愚かだった。


「なッ!?」


 何と、持ち上げた麺に、スープの表面が貼り付いて持ち上がる。まるでスライムのようだった。

 驚いて落としそうになり、堪えて深呼吸する。

 おいおい、何だこれは。

 スープというより、ソースなのではないか?


 俺は再び持ち上げたそれを、口の中に運んだ。


「……凄い、あっさり……!?」


 口内に入るやいなや、粘着性が失われてサラサラとスープが喉に流れていく。麺は自ら飛び込むかのように、いつの間にか啜って口の中に収まっていた。

 ある程度は咀嚼して飲み込むと、うどんに似た喉ごし。


 今度は左の孤島。

 なんと、右とは違って粘着性がない!

 しかし、口の中にいれると変貌する。

 今度は、口内をゆっくり進軍するような粘りけを見せ、追い付いた麺と絡まって濃厚な味わいを作り出す。


「そんなバカな……左右で異色のラーメンを……!?」


 普通は対極的なラーメンの性質を、贅沢にも一杯に集約していた。

 どちらも楽しみたい人間には絶品、たとえ偏りがあろうとも驚き絶えず退屈させない逸品。

 思わず席を立って店長を見ると、点火していないタバコを銜えて、こちらを向かずに立っていた。


「乙女は、誰しも二面性があるの。本能的に(かく)してしまう、女の顔。レシピは企業秘密(ご愛敬)よ」


 俺は愕然として立ち尽くす。

 こちらへと向き直った店長が、指で挟んだタバコの先を俺の方へと突き出した。


「男なら、その二面を満足させるくらいになりなさい!そして、残さず貪るのよ!!」


 その言葉を受け、俺の体が自然と腰を下ろしていた。

 そして手は意思が生まれるより先に、箸を手にして食事を再開する。




 そこから先は――何も憶えていなかった。



 次に意識が戻ると、俺は店の戸口に立っていた。

 振り返ると、店長が手を振っている。


「もし、別の拉麺(オンナ)に飽きたら、またいらっしゃい。ここはアナタを、退屈になんてさせないわ」


 唖然としながら、俺は退店した。

 隣では、何やら膨れっ面の綾辻である。


 訝って、そちらを見た。


「どうした?」

「せっかく恋人気分に興じてみようとしたのに、君はラーメンに夢中だからさ」


 嬉しくない嫉妬だった。


 相合い傘をしてバス停を目指す間も、俺は放心状態だった。

 背後からは、変わらず店長の声が聞こえた……気がした。


『またいらっしゃい』


 もしかすると、俺は――虜になってしまったのかもしれない……。






次回は物語が動く。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ