馴れ初め?いや、今じゃ珍獣遭遇譚だよ。
次回からヒロインの容姿について詳細なのを語ります。
というか、綾辻さんは作中ではメインヒロインの首領格です。……話が下らないけど。
前に座る彼女に対し、俺は本を閉じて、耳も塞いだ。何が楽しくて、コイツの下着事情なんか聞かなくちゃいけないんだよ。
そもそも何?
同じで悪いことってあんの?
如何にファッションに敏感な女子とて、そこまで気を配ったりしないだろう。それは男子にだって判ることである。
それより、前提として悩みを打ち明ける相手を間違っている。
休み時間に話し掛けてくれた数少ない友人の女子にこそ、相談すべきだろう。どんな酔狂で俺に告白してんだよ。
「それで、どうかな?」
「うまく言えないが……取り敢えず帰れ」
すると、綾辻は絶望一色の顔をした。
え、本当にそんなことで悩んでんの??
「そんな……パンツの色は、女子にとってのアイデンティティーに関わる重要な問題なんだよ?」
「お前な、クラスには十数人も女子が居るんだぞ。そこで色が偶然重なったっておかしくない」
「色の限界は判るさ。けれど私は……唯一でありたい」
「ここまでパンツに個性求めるやつ聞いたことないわ」
「一応、想定していたからクマの柄が入ってるのにしてきたけれど」
「もうアイデンティティー全開じゃん!!何が不満なんだよ!?」
喋るほどに、完成された美貌が無為と化す。
俺が何故このクラスにて、こうしてコイツと会話するほどの仲になったのか。
それは二年に進級した際に遡る。
市立顧隲高校の春。
進学校でありながら、部活にも注力している上に偏差値も高い。俺も努力して入った学校である。
下駄箱に貼り出された新クラスについて、一喜一憂する面々で朝は騒がしかった。学校に遅れ気味で到着した俺は、昇降口に出来上がった人の壁に阻まれて立ち尽くしていたのだ。
そんな時、同じように壁に遮られ、諦めて校庭の木に凭れて、それを見守る少女を見付けた。
はっきり言って、美しかった。
その何気ない自然な佇まいでも、人目を惹いてしまう魔性を宿した完成美。およそ想像の範疇であって、人の世に生まれるとは到底思えぬ代物が実存していた。
そんな美貌に見とれていた俺と、不意に彼女の視線が合った。
すると、こちらへと躊躇いなく歩み寄ってくる。その一挙手一投足に注目してしまう、風に揺れる漆黒の髪の毛先にさえ意識を巡らせてしまうほどに。
些細な動作に感動を伴ってしまう。
俺は初めての感覚に混乱して、思わず鼻の頭を揉んでから平静を装う。
彼女が手を差し出してきた。
「おはようございます」
「お、おはようございます」
微笑む彼女に合わせて、周囲の景色が明るくなったように感じた。有りったけを取って付けただけの明々しい宝石の装飾よりも、目や口、鼻、体の細部まで、すべてがパーツとして絶妙に噛み合っているとさえ思えた。
直近で見ると、ますます人心惑わす美の権化。
俺の動揺を看取した少女が、その美しい面貌を綻ばせる。
「私は綾辻真子、今年から二年生なんだ」
「お、俺は磯谷直也。同じく二年生だ」
ふふ、と笑った彼女と下駄箱に募る人集りを見た。
その勢いが衰えることはなく、壁は未だに密度を増していく。デモ集団も斯くやといった様相に、俺は苦笑する他になかった。
彼女も同じ反応だった。
「人、減らないな」
「ふふ、そうだね。気になるよね、あれ」
「ん?ああ、俺、どこのクラスに入ったか別段気にしてないよ」
「え?そこ?」
「ん?」
初っ端から何か間違えただろうか。
折角の美少女と、誰にも邪魔されぬ対話でこんなことをされるなんて。失着の悪手だったかもしれない。
しかし、同級生にこんな美少女がいるとは寝耳に水である。
いや、まぁ……どうせ俺との関係もここで終わるのだろう。
はてさて、彼女はというと何を気にしたのか。
「えっと……何が気になったんだ?」
「うん。実はさ――」
何やら真剣な表情。
「あの一人だけさ、靴下が水色なの気になるよね」
「………………………………は、え?」
聞き流しそうになった。
靴下の、色?色!?靴下!?
俺は集団の足元を見遣った。
大抵の高校生が、靴下は黒で統一してくる。意識しているのは最初だけで、しぜんとそうなってくる物だ。
制服に合わせるなら黒、みたいな固定観念があるのかもしれない。
確かに異質だ――目に留まり易い。
でもそれ……意識しなきゃ判んないくらい、下らない事である。
「……靴下、そんな気になるのか?」
「あれって進級デビューかな」
「しょーもないな!?心機一転で足下を変えてくるヤツなんてそうそう居ないだろ!」
「そんな事ないさ。私だって心機一転、装身具で変えてきた物がある」
今時、着衣やアクセサリーを装身具なんて言うやつ中々いないと思う。社会学や文化人類学、民俗学を齧るやつくらいだぞ。
ともあれ、彼女も進級に心を弾ませている。
それは大変、微笑ましい。
恐らく、可愛げに少し髪型を変えただとか、所有物に付けたストラップを交換した、とか。
「弁当箱を水玉模様の物にしたんだ」
「……今日、オリエンテーションくらいで昼食もないぞ」
「そんなの知ってるよ?」
「……え、心機一転したの、そこだけ?」
「うん」
俺は思った。
駄目だ……コイツ。
てか、弁当箱は装身具じゃねぇ。
数分して人がいなくなった後、二人でクラスを確認した。結果は同じクラスだったのである。
こんな縁あってから、以来彼女はよく放課後に俺の所へ訪れる。尤も、休み時間までこちらに来ようとするが、クラスの反応が怖くて事前に俺が避けるのだ。
そんな生活が続いて、既に一ヶ月が経つ。
いま、眼前で物憂げにしている彼女。
何気なく窓の外をみる横顔も精緻な造形をしていて、目を惹かれてしまう。
「今日は、どうしても黒が良かったんだ」
「……そう」
「だから、これだけは譲れない。あの子には、二度と黒の下着なんて、穿かせない」
「もう黙ってろよ!?」
俺が席を叩いて立ち上がると、彼女が驚く。
あ、いかん。
さすがに声を荒げてしまった。
反省して座り直すと、少し困惑した彼女が謝り始めた。
「ごめん、磯谷くんの心を察してやれなくて」
「ああ、うん……うん?」
あれ、反省してるのかな、これ。
やや訝って見ると、顔は反省というより……何で同情の面してんだ、コイツ!?
「磯谷くんも、黒だったんだね」
「やめろ、巻き込むな」
「そっか、私が黒の下着が二名いると開示した時点で、君が朝意気込んで選んだパンツと重なってしまい、自分自身を見失いかけていたんだね」
「やめて下さい、ホントにお願いします」
俺まで同じと思われたくない。
彼女はほっと息を吐いた。
「ま、でも良いよ。気が晴れた」
「は?」
「だってさ――」
少し頬を赤らめて、微笑む綾辻が告げる。
「磯谷くんと一緒だったなら、それで」
「やめろ、その台詞で、こんなにトキメかない現実を知りたくなかった」
やはり、綾辻真子は下らない。
次へと加速する。