綾辻真子という人間。それは本当に下らないヤツなのか?
「――ってわけなんスよ」
「うーん。天然……なのかしらねぇ?」
俺はあの、知る人ぞ知る名店に来ていた。
カウンター席でおっさん達と肩を並べてラーメンを啜る。立ち上る熱気が顎の下に玉の汗を作った。
今日もきょうとて。
厨房に立つには不都合な厚化粧の店長は、不思議にも汗すら見せず優雅に振る舞う。
俺の対応をしながら、手元は全く静止しない。
四方八方からも質問は飛び交った。
それでも俺を蔑ろにしない。
だめだ、惚れそう。
顔のキツさを除けば。
今日は赤髪、突如求婚してきた眼鏡に押し込まれてデートらしい。
久々の単独行動、その貴重な時間を使ってラーメン店のおネエさんに相談中だ。相談する案件、つまり日頃から悩んでいる事など一つに限る。
それは――綾辻真子そのもの。
あれだけ好意の視線に晒され、赤髪からアピールされ、眼鏡から熱烈な求婚を受け……。
それでも彼女は動じない。
そこに乙女のときめきは無く、さも友人然と対応している。
話しかければ分け隔て無く接し、話の内容は下らない、それでも奇妙な魅力はあるので人の意識の的になる。
なのに俺に絡むばかりで他は二の次。
もしや……恋愛自体に興味はなくて、特別関わる俺って玩具にされてるだけだとか?
何一つ解答も解決策も浮かばない。
どうやれば、アイツに彼氏ができる?
そうすれば、やかましい俺の環境も改善される筈なのに。
そうして、また一口の麺を啜った。
「その子、案外アナタが好きなんじゃない?」
「まさか。そうだとしたら、アプローチ大失敗ですよ」
「……そうかしらねぇ」
なぜ訝しげに見る。
さんざ俺が嫌がっている態度を見ても手法を改めない。それは偏に、俺の反応を楽しんでいるだけで、好感を得たいなら翻心が得策である。
仮にそうなのだとしたら愚策もいいところ。
永久に叶わない恋である。
麺を一口啜る。
「前にも言ったわよね?――乙女の二面性」
「え?あ、ああ」
ラーメンを楽しむ意訳、おネエさんの言葉だ。
以前に言っていた。
というか、この人に女心について教示を願う時点で俺はどうかしているのかもしれない。いや、頼れる大人として相談役を一任したのだ。
「どうして恋人を作らないのか、そんな事に疑問を抱いているのよね」
「はい。アイツ無駄に美人だから選り取り見取りだし、恵まれてるのに釈然としないな……と」
おネエさんが食器を置いた。
俺の方に正面を向け、やおら指を鼻先に突き付けてくる。やたらと迫力があった。
「先ずね。
周囲から羨望されるからこそ、どこか常識って規範で束縛されると誰よりも窮屈に感じてしまう部分が生まれるのよ。
天才はみーんな、そうなの。
独特の感性がある。裏の顔ってやつね。
昔から人間は独力じゃ何も敵わない。弱肉強食の世界から現代に生き残ったのは、互いの協力あったから。協力関係とは互いを理解、共通認識がないと生まれない。
つまり共感されない、未知、この二つが一番人間的に苦痛であり恐怖。
アナタに寄って来るのは、そのナニか理解してくれると期待してる、或いはそれに添う何かを有していると睨んでるからよ」
意味は判るが、普段のアイツからだと考えられない。
それでも、おネエさんの言葉はどこかしっくり来る。
「女は期待を叶えられるとコロッと行っちゃうのよ。世では、窮状に夫や恋人よりも理解者を最後の恃みとする場合が多々あるわ」
「……俺が、理解者だと?」
「尤も、アナタの話を聞いただけの推測。一つの考えとして頭の隅に入れておきなさい」
俺の主観だけでは情報不足。
たしかにおネエさんの言葉も、憶測の域を出ないのは必然だ。むしろ毎日綾辻と一緒に過ごしている俺なら誰よりも彼女を傍で見ているが、それは裏返って偏見でもある。
俺に対して見せる一面しか見えていない。
今日の三人デートに同行すれば、いや、尾行すれば審らかに出来たのだろうか。
だが、以前の俺なら考えも付かなかった。
なるほど一度ここに来店したのは良策だったやもしれない。
俺は空の器を前に差し出す。
出汁まで絶品なので、底まで乾かしてやった。
おネエさんも満足げに頷く。
「また来ます」
「悩めるボーイから枯れたシニアまで大歓迎よ」
「守備範囲ってあるんスか?」
「攻めよ、攻めまくるの乙女は」
なんか違う気がする。
見なくて良かった危険性も垣間見た気がした。
取り敢えず、ご馳走さまでした。
俺は引戸を開けて暖簾を潜り、外へ出る。
あの日と同じ雨だった。
予報では深夜だと聞いていたので、傘は持っていない。一応、折り畳み式ならば携帯しているが、風も強いので雨滴も横殴りだった。
これは……俄か雨、ではないな。――直感で思った。
店先に立って思考する。
綾辻真子の理解者。
余人にはない個性で、社会の一般常識で測られると苦しい内面。おネエさん曰く『隠れた乙女の二面性』。
正直、アイツにそんな深遠な部分が内在しているかと問われると、にべもなく無いと答えられる。
人気者だが独り。
独り暮らしの理由、家族構成とか聞いた事がない。ここまで一緒に過ごしていたら普通は自然と耳に入る内容だ。
何か口外憚る理由があるのだろうか。
まあ、本人がまず恋人を作りたいか、表面上でも本人の口から問い質す必要性が出てきた。既に高校二年生の生活のほとんどがアイツに占められている。
数ヶ月の仲で訊くには烏滸がましい案件だったらどうしようか。
何だか怖いし、直線軌道は止めよう。
例えば……そう、俺以外にいる綾辻の友人だ。
その人物の視点からも参照しうる情報があるだろう。綾辻が特別交遊を深めているとなれば、相当限定されてくる。
俺と――あの女子以外には。
「――――ナ~オくん」
「……何故にいる?」
そこに少女――進藤心音が立っている。
風雨にサイドテールを揺らし、無邪気に傘の下で笑みを咲かせる同級生。不思議と、この防御不能の雨中にも濡れていなかった。
神の力か、疎水性バリア全開ですか。
雰囲気が相俟って、そんな事を考えてしまう。
「黙って立ち尽くしてるけど、何か考え事?」
「お前はここに何の用だ?」
「友達の家から帰ってた途中だったの。そしたら考えてる風を気取ってカッコよく佇むナオくんを発見!」
「気取ってない。悩める男児だ」
「やだ、エッチ」
「妄想膨らませてないから」
「困ったナオくんだな~」
「もう好きにしてくれ」
「ぐふふ……ナオくんを自由に……!」
「そういう意味じゃねぇ!?」
やたら鼻息荒く躙り寄る進藤を諌める。
肉食獣じみた気迫だった。
妄想してるのお前だろ。
ともあれ。
どうやら奇しくも俺の悩みを解消してくれるかもしれない人物が、自ら俺の方に出向いてくれた。
後日に持ち越すと、綾辻がしつこく付いて来るので訊くに聞き出せない状態だっただろう。
そう、俺以外で綾辻の友人と言えば進藤しかいないのだから。……俺の知る限りで。
「なあ、進藤」
「うーん?」
名前を呼ぶと、飼い主にすり寄る小動物みたいに満面の笑みで来る進藤。サイドテールは、暴れんばかりに振り回される犬の尻尾みたいだった。
「綾辻って、そんなに友達いないのは何故だろうか」
「……ん?」
「あと、何で恋人も作らないんだろうか」
一瞬。
ほんの一瞬。
進藤の表情が無機質な物になって、聞き逃したような反応を見せた。その一変の仕方があまりに凄かったので、こちらも息を飲んだ。
二の次で『恋人』について問うと、進藤がいつもの笑顔に戻る。
怖い。
「知りたい?」
「え?」
「あの娘が彼氏とか友達作らない理由、知りたい??」
冷たい声。
おい、その人懐っこそうな笑顔でそんな声出るの普通?見たくもない『隠れた乙女の二面性』だったぞ。
綾辻のを知りたいだけで、進藤のは遠慮したい。やめて、人気者の裏の顔とか一番怖いんだよ。
「休戦協定中だけど、いっか」
「ん、何の話?」
「ナオくん。知りたいなら“とっておき”があるよ」
そう言うと、俺の腕に体を絡めてきた。
「ココネと、デートしよ」
小悪魔が始動する。
次回へ続く。