番外編:ifバレンタインデー
間に合わなかった。
――二月十四日。
「磯谷くん、磯谷くん、磯谷くん」
「どうした、俺が三人に見えたか?」
「ははっ、要らないよ。君は一人で十分さ」
二月の寒々とした校舎の一画で、綾辻が俺を呼ぶ。
放課後とあって、あとは家に帰宅するのみ。
綾辻は両手には、抱えきれないほどの包装された何かを抱え込んでいた。走るとかざがさと喧しく音を立てる。
そう、鞄も物凄く膨張していた。おそらく限界寸前なのだろう、動くとチャックがずれていく。
なるほど。
声だけでなく物音まで鬱陶しいという進化を遂げたか。
「それで、何か用か?無いなら帰るが」
「用が無ければ君を呼んだりしないよ」
「……それ、いつもの自分見て言えるのか?」
「大事な用さ」
あの下らない話のどこに重要性が……。
無視しても話しかけてくるし、聞いてなくても感想求めてくるし。俺がどれだけ困らされてるか知らないな、コイツ。
「そうか。……ところで、それ何だ?」
俺は彼女が抱える手荷物を指差す。
購買で何か買い込んだのだろうか。それにしては、随分と色とりどりではあるし、俺も見たことない物ばかりだ。
すると、綾辻がきょとんとした顔になる。
「磯谷くん。これ、何だかわかる?」
「……チョコ、か?」
「そう。クラスの皆から貰ってね、少し困ってるんだよ。全く、バレンタ――」
「何で皆、一斉にチョコなんか贈るんだ。お前が物乞いしたのか」
またしても。
綾辻の途方に暮れた顔である。
まるで俺が的はずれな事を申したような。
「……何だよ?」
「君、もしかして……知らないのかい?」
「?多分、知らないな」
俺も真意がわからず、そう返した。
綾辻が嘆息――生意気だなコラ――して俺を可愛らしく睨め上げた。上目遣いで、思わず顔が強張る。くっ……顔だけ美人なのは卑怯だろ。
「今日が何の日か知っているかい?」
「……あ、お袋の誕生日だ!忘れてた!」
「違うね」
「え、何でだよ!?」
俺の母親の誕生日を疑われた。
何故に!?
まさか、隠された俺の家系の神秘とかあるのか?知ってるのか??
「君の母上を祝う日に、なぜ私がチョコをプレゼントされるんだい?」
……言われてみれば確かに。
では、何の日だろうか。
「……二月一四……二、一、四……に、い、よ……」
「因みに語呂などでは無いよ」
「……お前の誕生日」
「わざとかい?」
本当にわからない。
「正解を教えてくれないか?」
「……仕方が無いな。これだから君は手強いんだ」
「何故に??」
綾辻が両手に持つ大量のチョコを俺に押し付けた。
え、厄介払いか?
驚いて綾辻を見ると、彼女は満面の笑みだった。
「ハッピー、バレンタインっ」
「……ああ、バレンタインデー、そうか」
なるほど。
だからチョコか、やけに教室の端々で物々交換みたいな事を男子がしていると思ったが、あれはそういうわけか。
ちなみに彼らは女子から貰えないので、自作の物を拵えて友達と交換し、一時の充足感を得ようとしていたのだろう。
そんなに女子から感謝されたいのか。
……やべ、何か泣きそうだわ。
てか、俺もらってないわ、今日誰からも。
いや、しかし……。
「なあ、これは人から貰った物だろ?」
「ん?」
彼女が持つのは、すべて他人からの贈り物。
それを自らの物とし、誰かに渡すなど失礼ではないか。
しかし、綾辻はまたもきょとんとしている。
「人から貰った物は鞄の中だよ」
「……は?じゃあ、これは?」
「ふふ、聞いて驚くと良い。これは私が製作した自信のチョコさ」
「……これ、誰かに渡しそびれた分も追加して、か?」
「すべて君の為さ」
「要らない」
「……なん、だって……?」
絶望した顔になる。
いや、そうだろ。
「一人に対して大量に作るヤツがいるか!?」
「ありったけの想いを込めたのにかい!?」
「物量で攻めんな!一つに集束できんのかお前は」
綾辻がよろよろと後退する。
「くっ……これは失策だった。よもや磯谷くんが物量よりも丹精込めた方を喜ぶとは……」
「当たり前だろ、普通だよそれが!」
「てっきり、君は誰からも貰えないから量で補えば何よりも嬉しいのではと」
「どんだけ寂しい人間なんだ、お前の中の俺は」
「始皇帝」
「ごめん、始皇帝が寂しい人なのか知らない。というか始皇帝を巻き込まないで、歴史に謝れ」
俺は両手のチョコを見下ろす。
確かにチョコを貰えるのは嬉しいが、これだけあっても迷惑だ。俺を考えての事だろうが……発想が下らない!
託ち顔の俺に対し、綾辻は微笑む。
「すまないね、来年は気を付けるよ」
「来年は受験で忙しいだろ」
「それなら、再来年でも構わない」
再来年も一緒に居てたまるか。
「磯谷くん、因みにバレンタインデーが何を意味するか知っているかい?」
「感謝したい人にチョコを贈る日」
「……………………他には?」
「は?知らんが」
綾辻が呆然と黙り込む。
やがて俺の横を通過して、そのまま昇降口へ向かった。
「なら、意味が分かるまで。ずっとずーっと、この日にチョコを贈るとしようか」
「え゛、要らないから別に」
「楽しみだなぁ」
「勘弁しろよ」
どうやら、帰ったら直ぐ調べなければならないらしい。
そんな事を考えながら、俺は鞄にすべてのチョコを丁寧に収納していくのだった。
来年ももらえるのが、ちょっとうれしかった。
完
次回、小悪魔が動く。




