教師Aからの指令。その裏に何が潜む?
昨晩はご馳走に与った。
阿久津美波の様子が気になるので、今日こそは放課後にでも訪ねてみよう。
好意を示して頂いてるので、俺も真摯に応えるのが礼儀であり、最大の感謝だ。初めて女子に好いて貰って心踊らぬ訳がない。
あとは赤髪――たしか後藤某だったか、彼の相談の件もある。何せ、遂にあの綾辻に攻勢を仕掛ける勇者が現れたのだから。
漸く露(綾辻のみ)払いができる。
今は木曜日、二時限の現代文A。
昨日は眠ってしまったので、前回の復習も兼ねて内容に目を通しておく。
綾辻の効果で以前ほど退屈せずに授業が受けられている(感謝はしてない)。
先月に中間試験を終え、既に来月には期末試験を控えている。まだ一月以上の余裕があるとはいえ、油断は禁物だった。
一番のネックは数学Bである。
特に数列が不安だ。今のところは簡単な部分を触れているが、教科書の先を読むと複雑化してきている。俺の先行きは暗い。
綾辻などが教えてくれると助かるが、生憎とあいつと尋常な勉強会が成り立つとは到底思えない。
「イソタニさん」
「…………」
「イソタニくん」
「…………」
「Mr.イソタニ」
「…………」
「何が違うんでしょう?」
「根本からです。俺は磯谷、です」
「damn it!Mrs.イソガイ!」
「改善の努力が見受けられない」
現代文の教師Aは、俺をよく弄る。
教材を運んだり、手伝ったりするので交流がある所為か、他の生徒よりは知り合った仲。
ただ授業中にも容赦無くやるので、他の生徒からニヤニヤされる。……おい綾辻、折り紙してるの先生にバレてるぞ。
「ではイソタニ、教科書の五ページを」
「目次です」
「ではイソタニ、教科書二八二ページを」
「参照資料一覧です」
「ではイソタニ、好きなページを」
「先生……」
「しょうがないイソタニさんですねぇ」
「寝てて良いですか?」
俺を満足に弄れたのか、別の生徒を当てる。
次の生徒……当然、それは先生の注目を集める生徒に他ならない。目を盗んで折り紙に興じていた綾辻だった。
他に集中していたにも関わらず、問題なく先生からの質問に回答する彼女に、皆が感嘆の声を上げる。その見目麗しい顔で目礼し、また折り紙に取り掛かった。
神はなぜ、あんな奴を天才にしてしまったのだろうか。
授業が終了すると、教師Aが俺の下へ来た。
何事かと顔を上げると、折り畳まれた紙片を机の隅に置き去った。授業であれだけ小バカにしておいて、何だろうか。
俺がそれを取って紙面を展開すると、中には短文が記されていた。
『放課後、文学部の部室で相手をせよ』
文学部の部室で、相手をせよ――はい?
何の相手だろうか。
因みに教師Aは文学部の顧問で、以前に文学コンクール?だったか、に出展する作品などをまとめるのを手伝った事がある。
もう綾辻で手一杯だし。
というか、俺は文学部でも無いから、依頼か何かか?
文から察するに、部員の相手をすれば良いのか。文学部の主な活動は、読書感想会やら自らで執筆した物をコンクールに出したりすること。
つまり、部員の感想会に参加したり、或いは作品を読んで感想を聞かせてほしい、のかもしれない。
放課後に阿久津美波を訪ねるのは、また今度になりそうだ。
「磯谷くん」
「んぇ?どうした?」
「次は数学Bらしいけれど、確り予習はしたかい?」
「えっ、よ、予習?」
すまん、勤勉じゃないから予習まではしない。
幾ら心配な数学Bとて、内容には目を通してるが実際に問題を解いたり、公式を記憶したりなんて作業は全くやっていないのだ。
まさか、意外と綾辻も勉強しているのか。
「し、してない」
「そっか。実は今日、先生が体調不良で自習らしいよ」
「そうなのか!?」
「嬉しそうだね」
「数学Bをやらずに済むなら万々歳だ」
「それでなんだけど、折角だから私が君の苦手な数学Bについて教授してあげようか」
綾辻にしては実のある話だ。
しかし先刻も懸念した通り、こいつとまともな勉強が成立するとは思えない。途中から平生の下らないトークが始動するだけだ。
俺が無視すると注意するので質が悪い。
「いや、遠慮しとく。最近疲れてるから寝るわ」
「おや、さっき寝ていて先生に注意されたんだろう?」
「折り紙してる奴と違って真剣に受けてたわ」
「あれは人の為にやっていたのさ」
人の為に?
もしや、知り合いが入院したので、千羽鶴を一人で完成させ、病床に臥した相手へ贈呈しようという魂胆か。
成る程、なかなか良い話だ。それならば、今回の授業中の内職(?)も俺としては許容しよう。
すると、俺の机の上に白い折り鶴を置く。
はてと首を傾げる俺に、綾辻は空気が澄んでいくような笑みを浮かべる。
「何これ」
「折り鶴だよ」
「……まさか……」
「君の為に」
「燃してやろうか」
綾辻は肩を竦めて首を横に振る。
呆れたと訴える表現だが、こちらがやりたいくらいだ。
「それは、ただの折り紙じゃないんだよ」
「は?」
「実は紙自体が凄いのさ」
「……何か、新素材で出来てたりとか?」
「いや、ただのコピー用紙だよ。正方形にしてから作った、私の丹精込めて」
「はい、廃棄しますね」
握り潰す前に奪い返された。
俺は嘆息して、彼女から視線を外す。
その時、入口の扉の後ろに縮こまっている影を見咎めた。こちらをちらちらと窺う様には既視感がある。
俺は立ち上がってそちらに赴き、覗き込んだ。
扉の後ろに居たのは阿久津さんだった。
何やら、周囲に忙しなく警戒の眼差しを走らせて、小動物みたいにびくびくしている。体格と相俟って、失礼かもしれないが愛らしい。
「阿久津さん、どうした」
「い、磯谷さん。いま話できる?」
「構わんけど」
俺の方に顔を引き寄せると、小声で耳打ちした。
「文学部に行くなら、気を付けてね」
「はっ?」
阿久津さんは颯爽と隣の教室に逃げ帰った。
先日の件で、もう少し話したかったのに。
しかし、俺は立ち尽くすしかなかった。
なぜ、彼女は俺の文学部への用事を把握しているのか。しかも、その上で警戒を促している。
その真意が判らず、教室前に立っていると綾辻が背後から肩を叩いてきた。
振り返ると、彼女が手を差し出してくる。
掌には、折り紙・参の型――『兜』!
「これなら、受け取ってくれるだろう?」
「やかましいわ」
取り敢えず、文学部だ。
何やら、ただ事ではなさそうだな。
赤髪が動く。シリアス急展開。
次回へ続く。