パス
ほんのり同性愛あり
眩しすぎて、色も見えない。強いて言うなら、真っ白。目も開けられないような強烈な太陽光に、思わず眉間にシワをよせるものの、その心は裏腹に、懐かしい景色にどくどくと高鳴っていた。
この道。毎日通った。
久々に里帰りをし、ふるさとの香りに埋もれ、つい足が向いていた。
海の見えるバス停。古い車道の向こうがわに、目の前を横切るようにして防波堤が延びている。
あの頃と同じ場所。
しかし、以前は綺麗な空色だったベンチのペンキはあちこちはげ、傍らには錆びたバス停の標識が、根元からポキリと折れて転がっていた。
かつてはここから高校へ通った。遠い瞳で思いを馳せる。
――ジャスト8時、ぎゅうぎゅう詰めのバス。
ガサガサになったベンチに腰を下ろす。
潮風が、鼻孔をかすめていった。
長閑な海沿いの、田舎の風景。人通りはなく、車の行来も少ない。
ふいに、聞き覚えのある、唸りのような低い音が近づいてきた。
巨大な陰が、白い日差しから、すっぽりと自分を覆い隠していた。
シルバーの車体に、横に大きく青ライン。地平線を思わせるような、懐かしい装丁の、一台の大きなバス。
プシュッと軽い音がして、戸が開く。
――男の割に小柄な自分は、どうしても乗るのに苦労をした。そんな自分の手を、力強く握って引き上げてくれた、あの手。ステップを踏みしめて乗り込む。
中はがらんどうで、昔の光景とは似ても似つかなかった。
ゆっくり見回して、運転手のすぐ後ろのに腰掛けた。
少し高い位置から見る、眩しすぎる海。青空に溶けるように、太陽が真っ白な輝きを放っている。
やがて景色がゆっくりと動き始める。
ごうんごうん。
頬杖を付いて、眉間にしわを寄せながら、車窓の風景を眺めた。
「あのバス停は、見たとおりもう使われていないんだ。」
帽子を目深に被った運転手が、軽い感じで話しかけてきた。
「何故…」
「どうせ誰も乗りはしないんだ。」
バスは、緩やかな坂道を登り始めた。なおも防波堤は続く。視点が高くなり、絶えずキラキラと輝く海が眼下に眩しく広がった。
「今では停留所も減らされて、一日に何本も出ない。」
運転手は、心底不満そうに、声を尖らせて言った。へえ、と軽く受け流す。
話題の転換をはかる。「あの、実は、昔この道の先にある高校に通っていたんです。」
懐かしさを滲ませながら思わず顔が綻ぶ。
しかし予想に反して、運転手の反応は重かった。
「へえ…里帰りかい。がっかりすると思うけど…あそこ、廃校になったんだ。」
緩んだ顔が凍り付く。糸が切れてしまった後みたいに、一瞬静かになった。あのバス停の有り様。そうだったのか。
「田舎ですから。仕方ありませんね。」ぼそりと呟くと、それきり二人とも黙ってしまった。
いつの間に防波堤は途切れ、ぽつぽつと松の茂みが、窓の外を覆い始めていた。
それでも、バスからの景色は新鮮だった。満員の車内で、外の景色を見ることなんて、ほとんど出来なかったから。
――何時も、自分よりも大きい学生服の腕で、顔を埋めていた。
思えば、幸せだった。
そのときは、思い出もなにも、唯単に日々を生きて、幸せだった。また新しい日常を積み重ねる中で、消えていった、あの頃の気持ち。
まるで記憶喪失をしたみたいに、あの人の顔が思い出せない。頬に当たる温もりや、握りしめた手のひらの力強さは覚えているのに。
あの頃の思い出がなくなっていくのが、寂しかった。
「終点です」
俯いていた自分に、優しい声が語りかけた。
結局バスの中には自分と運転手だけしかおらず、ノンストップでここまできた。
のろのろと立ち上がり、さてどうやって帰ろうかと、降りて見上げたその先、しかしそこはどう見ても終点ではなかった。
延び放題の草村の入り口を、真っ赤な手書きの文字で"立ち入り禁止"と重々しく書いた立て看板が立ちふさがっていた。
その先に、巨大化した雑草に半ば埋もれるようにして、灰色の…あの、懐かしい校舎が寂しそうにそびえ立っていた。
当惑した表情で運転手を振り向くと、何故か悲しげに微笑み、こちらの顔をじっとのぞき込んでいた。
こうやって改めて見ると、この運転手はずいぶんと若かった。そして、見覚えがあった。
眩しすぎて、色も見えない。強いて言うなら、真っ白。
背後の松林から、ちらちらと木漏れ日が降り注いでいた。思わず手に戻ってきた思い出の欠片、それが今や時を経、ひとつの大きな今になって、目の前に存在している。
懐かしい顔に、どくどくと心が高鳴っていた。
「思い出した?酷いな、忘れていたなんて。まあ俺も、忘れてたけど。」
憎まれ口を叩いて、にやりと笑う彼。
幸せだった日々。
幸せな、今日。
彼が手を伸ばし、男の割に小柄な体を引き上げた。知らない制服の腕に抱かれて、あの頃と同じにおいを嗅いだ。
がらんどうのバスのなかは、失われたあの頃を寂しくものがたっていた。けれども、優しく唇に触れたぬくもりは、その上に、照れ笑いをしながら、また新しい今が始まったことを、静寂とともに、受け入れてくれていた。