天使を殺す世界の創り方
――神は、たったの7日間で世界を創る。
人族に伝わる古い書物には、そんな事が書かれているらしい。
もちろん、不可能だ。
世界を創造するのはそんなに簡単ではない。
光あれと言うだけで昼が生まれるとか、息を吹き込むだけで風が生まれるとか、そんなのはただの妄想である。
世界は、もっとロジカルだ。
光の角度で変わる昼と夜の長さに、移り変わる季節。
風の強さで異なる雲の動き、それによって生み出される天候。
その他にも計算しつくされた法則が数え切れないほど存在している。
たった1柱の神に出来る事でも、7日間という短い期間で成し遂げられる事でもない。
神の仕事は世界の種を発芽させる事と、万物の元となる物質「エーテル」を生み出し管理する事だけだ。
芽生えた種に適合する形で神の思い描く世界を構築し、運用するのは別の存在で、彼らは神の使い……「天使」と呼ばれている。
「ねぇ、最近の創世神達、ちょっと適当すぎると思うんだけど」
眠気覚ましのブラックコーヒーを一気にあおって、イステが吐き捨てた。
目の下にこしらえた大きな隈の影響もあって、大変な迫力がある。
「次から次へと厄介な案件ばっかり。しかも理由が大体『どこそこの世界で成功したプランだからうちにもほしい』って……少しは考えなさいよ!」
彼女の美しいかった銀の髪が艶を失ってどれほどの時間がたっただろう。
南の海と同じ色をしていた瞳もすっかりと濁って、いまや錆びた金属とも言われている。
非常に不本意だ。
イステが世界の行く先を考える運営プランナーという職に着いてから、気が遠くなるほどの時間がたつ。
けれど、こんなにも疲弊したのは初めてかもしれない。
「ああ、勇者の育成だっけか。イステが持ってるプラン」
相槌をうつ男性の名は八森司。
黒髪黒目の、いかにも東方の人といった顔つきの若い男だ。
紆余曲折を経て天使となり、世界の設計を手がけるデザイナーとして活躍している彼の眼も、イステと同じく死んでいる。
「そう。どいつもこいつも成功にならえとばかりに魔王と勇者を創りやがってもう大忙しよ。世界ごとに勇者の成長プラン考えるのももう限界でさ……ふふ、キレそう」
「ああわかる。とりあえず魔物と魔王が欲しいって言われても困るっつーか……俺らの頭叩いとけばアイデアが出るわけじゃねぇぞっつーか……俺もデザインするのもう限界」
昔は良かった。
創世神たちはきちんと考える事を、知っていた。
ヒトとは違う種を生み出す時は方向性をがあったし、見た目だけではなく、得意な事や不得意な事、その種が創られる理由に、進化の可能性など、様々な必要事項を一緒になって模索したものだ。
勇者を育てる、なんて事は誰も言い出さなかった。
アレは育てるものではない、成るものだ。世界に革命を起こした存在に与えられる一種の称号だった。
既存のシステムでは対応出来ない異分子を世界に留め置くための緊急措置ともいう。
いつからだろう。
魔物とひとこと言えば通じる、などという暗黙の了解がうまれたのは。
いつからだろう。
世界は勇者の為に存在し、勇者と共にも成長する、などというわけのわからない概念が成立したのは。
「ねぇ、このブーム……いつ終わると思う?」
「……魔法専属チームの人数知っててその質問する?」
そこは、天使の墓場とも呼ばれているチームだ。
はるか昔、魔法という概念が生まれた時から人数が増え続けているにも拘わらず、一向に労働環境が改善しない事で有名な職場である。
人手は増え、技術も向上しているのにも関わらず、忙しくて発狂する天使が後を絶たないのだという。
それだけ、魔法を望む創世神が多いという事だ。
「愚問だったわ」
揃ってうなだれる2人の前を、やつれた天使が通過する。
魔法の威力は術者の想像力次第とかいう超理論そろそろ滅びろ。と呟く声からはとてつもない殺意が感じ取れた。
可哀想だが、おそらくその願いが成就する日は永遠に来ない。たぶん。
「別にいいのよ、勇者の育成は。最初にこの運営方法考えた創世神はすごいと思うし、私に任せてくれたのも素直に嬉しかった。でもね、それがうまく行ったからって、後に続く輩はいい加減にしろって思うわ。何にも考えずに細かい所は現場に丸投げって態度も気に食わない」
「挙げ句、世界が壊れるのは現場のせいだとか言われるしな」
「そう! それ! 神様が責任もって消去する洪水システムの優しさを知ったわよ」
イステが産まれた世界は、遠い昔に洪水で滅んだ。
当時はまだ、創世神となれるほどの力を持つ神が少なく、天使の数も限られていた。無駄に使えるエーテルなんてなくて……だから、少しでも軌道からずれた世界は、神が強制的に終わらせていたのだそうだ。
似たりよったりの異なる世界が短い期間でうまれては消えていく。
死が訪れた大地に生きる者のうち、才のある者は天使として迎えられ、可能性を持つ者は次の世界へと導かれていったが、大半は水に押し流されて無へと還った。
そんな時代に終止符をうったのが「地球」の誕生だ。
「理想の世界が出来ないって創っては壊してを繰り返してたからね、もう後がなかったの」
地球が創られた当時を、イステはよく覚えている。
携わった天使は、見習いのイステを含めても12ほどだろうか。
与えられた期間も使えるエーテルも少なくて、創世神に選ばれた神に至っては学園で落ちこぼれと有名な存在だった。
「始まりの地、エデンを創った時と比べると、月とスッポンみたいなありえない条件でね……それでもやるしかなかった」
「そう言われると、地球出身の俺は複雑なんだけど……うん、それで?」
歴史を語らせると、イステは長い。止める気力もないので司は続きを促した。
まるで地球はスッポンからうまれた、とでもいうような言葉に微妙な気分になったが、天地創造の話はどんな事でも知っておいて損はないだろう。
「過去に創った世界から使い回せそうなデータ引っ張り出してきてね、全部くっつけた」
どうやら地球の始まりは、司の想像以上に雑だったらしい。
イステも故郷の地形をこっそり貼り付けたそうだ。
「そしたら、わけわかんないくらいに過酷な環境になっちゃってね、適合できた命は微生物だけだったの。これは失敗だわってなって、でもどうにもできなかった」
失敗した世界は消されるのがいつもの流れだけれど、寝食すらまともに取れない過酷な労働の直後に洪水を起こせるような力が残っている筈もない。
扱いに困った地球はそのまま放置される事になった。
「何億年後くらいかな。ふと思い出して覗いてみたら、なんか色々進化してた」
過酷な環境に適合しただけあって、微生物は強かった。
長い時をかけて代を重ね、見捨てられた大地に見事な根をはったらしい。
「気候がだんだんと落ち着いてからは速くて、気付いたら人がうまれてたの。……すごくびっくりしたのを覚えてる」
人は、本来ならば神の形を模して創られる上位の命だ。
他の生命とは根本的に違っていて、そう簡単にうまれるものではない。
それでも古代の地球に生きたもの達は、散りばめられた異なる世界の欠片をたどるように進化を繰り返し、最終的に人という答えを導き出した。
「文明がうまれて……発展した。与えられた文明じゃなくて、自ら切り拓いていった結果よ。世界が成長を覚えたの」
自立する世界。皆が目指していた理想郷は、皮肉なことに落ちこぼれと呼ばれた神とヤケクソになった天使達によって創られ、億単位の年数を放置される事によってうまれた。
今までの苦労をまるごと否定されたようなもので、その後が大変面倒くさかったそうだ。
「後はあなたも知っての通り」
「地球の人間の思考からヒントを得て、失われた種族がもう一度創られるようになったんだっけ?」
エルフに人魚に吸血鬼。どれも破壊された世界に原型が存在していたけれど、正しく生きれなかった短命種だ。
けれど地球の文化から足りなかった部分を補い、もう一度創造された彼らは、驚くほどに長い時を生きられるようになった。
「地球はとても興味深いわ。禁断の実に頼る事なく知恵を得た人の思考は時に神をも驚かせるの」
様々な世界のピースを寄せ集めてツギハギしたのが彼らに考える力を与えたのかもしれない。
各地に残る滅びた世界の欠片を解析する事を覚えた地球育ちの人間の想像力には、いつだって驚かされてばかりいる。
「私の故郷を、伝説という形で蘇らせた時には泣いたもの」
遺された太古の地形から、初期化しそびれた古の遺跡から、地球の人は伝説をうみだす。それが元となった異世界や滅んだ文明を継いでいるのは偶然か、それとも必然だろうか。
「ロマンを追いかけるやつはどの時代にもいたし、何より楽しいからな」
司は、天使となってからの日が浅い。
なのに第一線で活躍できるのは、彼が地球の……それも神話と国史が繋がる唯一の国で生まれ育ったからかもしれない。
彼の国では、誰もが息をするように空想を膨らませるのだそうだ。
「おかげで地球は文明が進んだ今でも新しい発見がある。まぁ、それが人類にさらなる成長を促す為に、こっそり仕込まれてるなんて現実はここに来てから初めて知ったけどな」
「花開いた文化は、新たな世界を創るし、技術が進めば、より少ないエーテルで複雑な設計が可能になるもの。新しい刺激は必要じゃない?」
世界が円滑に廻れば、神の位は上がり、エーテルにも余裕がうまれる。
おかげで地球の創世神は落ちこぼれから上位神へと成長した。
もともとの気質はからわず、怠けぐせは抜けなかったけれど、でもたぶん、地球の担当はそれくらいがちょうどよい。
今では新しい世界を設計する時、地球をモデルにするのが一般的になった。
「それは良いのだけど、思考放棄にも限度ってものがあると思うのよ」
話が一周して元に戻る。
歴史を語る事によって落ち着いていたイステの精神も再び乱れた。
曰く、若い創世神はなんとなくで天地創造を始めてしまう上、どんな世界にしたいかという理想も定まっていないとの事だ。
「お気に入りをつくって、箱庭で遊ばせるだけなら、お人形で十分よ」
ほんの少し力があるだけの普通の存在に干渉して、勇者に祭り上げるだなんて趣味が悪いにもほどがあると吐き捨てるイステの目は荒んでいる。
まるで酔っ払いのようだと司は思った。彼女の手にもつコーヒーにアルコールのたぐいは入っていないはずだったのに。
「……勇者にならなければ平穏に暮らせた存在だっているのに」
勇者という存在が必要な世界は、確かにある。けれど、その逆だってあるのだ。
そして、神に目をつけられたがために……神が勇者育成プログラムに興味を持ってしまったがために、平和な暮らしを壊された青年の名を口にして、イステが唇をかんだ。
ひと月ほど前、司のチームに天使として迎え入れた彼と同じ名前だった。
(ああ、なるほど。だから彼女はこんなにも荒れているのか)
自分が考えたものが、誰かの幸せを奪う。
それは、どんなにか優しい彼女を追い詰めただろう。
「……あいつは、楽しそうに天使やってるよ」
天使という仕事は、けっしてきれいな仕事ではない。
世界を創り、成長させるのだ。清濁併せ吞む覚悟がなければ、早々に心を病む。
司にだってわかることが、長く天使を続けている彼女に理解できないはずはない。
それでも、吐き出したかったのだろう。悪態をつかなければ、やっていけなかったのだろう。
「……優しい人だったわ。植物が……特に花が好きだった」
「そうだな。新種の花を、毎日楽しそうにデザインしているよ」
イステにとって彼の青年は特別だったのかもしれない。
「……ちゃんと笑えている?」
「ああ。うちの女性陣を片っ端からたぶらかしているよ」
天使としては、地上の者に特別な感情を抱くのは良くないと窘めるべきだろう。
けれど、彼女の友人としては祝福するべき事だ。
「自分に新しい命を与えてくれた銀色の御使いに会いたいと、そう言っていた」
先日、記念すべき初仕事を成功させた後輩が口にしたかわいい願い事を伝えれば、イステの青い瞳が大きく見開かれる。
「……とっとと今の案件片付けてくるわ」
使い捨てのカップをゴミ箱に放り込んで、彼女は席を立った。
仕事に戻るその足取りはかろやかだ。
彼女の艶を失った銀色の髪が再び輝きを取り戻す未来は、きっとそう遠くないだろう。
そうして彼女の姿が完全に見えなくなったところで、司は胸元から通信機を取り出した。
「だ、そうですよ」
「わかった。あとはこちらで対処する」
静かに顛末を報告すれば、小さな機械からは簡潔な声が返ってくる。
これで上層部が動くだろう。
ここから先は司の管轄外となる。
それでも、彼女をここまで悲しませた神にはしかるべき報いをうけてほしいところだ。
心を弱らせた天使の行きつく先など、一つしかない。
ただでさえ忙しいというのに、優秀な働き手を減らすような愚かな行為は慎んでほしいと思う。
頑丈な体を持つ天使は、めったなことでは肉体的な死を迎える事はない。
けれど、心は違うのだから。
◆イステ
旧世界レムリア出身のプランナー。
運営企画室所属。
いわゆる歴女。
最近の創世主の知識のなさと雑さに苛立っている。
しゃべりだすととまらない。
◆八森司
地球、日本出身のデザイナー。
制作デザイン室所属。
魔族をこよなく愛する男。
安易な理由で魔族を危険な生き物にしようとするとものすごく怒られる。
魔族が悪とされる世界をいっそ滅ぼしたいと思っている。
人はそれを中二病とも呼ぶ。