絶望との戦い
「……夜、灯夜! 起きなさい灯夜!」
耳元で呼びかける声に、ぼくははっとして跳び起きた。
「剣が、剣士の魂が……あ、あれ?」
呪符を【門】に叩きつけた瞬間、頭の中を駆け抜けた……何者かの記憶。あれは一体、何だったのだろう?
「何を言ってるのよ! まさか、頭を打ったりはしてないでしょうね?」
顔のすぐ前に、心配そうな樹希ちゃんの顔。
「い、樹希ちゃん? ぼくは……どうして?」
「どうもこうもないわよ! あなた、【門】が閉じるのと同時に倒れたのよ!?」
えっ!? 驚いて辺りを見渡すと、先程まで眩しく輝いていた【門】……光の柱の姿はどこにも無い。それがあったと思われる場所には、小さなクレーター状のへこみがあるだけだ。
そして、その中心にはあの特製の呪符があり、さらに周囲を淡い光を放つ魔法陣のようなものが囲んでいる。
――――良かった。若干の不安はあったものの、【門】の封印には成功していたみたいだ。たとえ一時的なものだとしても、それをエネルギー源としていた【廃れ神】にとっては大きな打撃になるはず。
「ごめん樹希ちゃん。でも【門】が閉じたなら、あの【廃れ神】も……」
しかし、樹希ちゃんは今だ厳しい表情を崩していない。そう、彼女の視線が示す先には……
「クソ、少しはパワーダウンしてくれたっていいじゃんかよっ!」
叫びながら飛び退き、地面を転がる愛音ちゃん。そして、逃げる彼女をゆっくりと追い詰めていく――――【廃れ神】の姿。
「そんな、【門】は閉じたのに!」
樹希ちゃんと愛音ちゃんが【廃れ神】を倒せなかった時は、二人に注意が向いているスキにぼくが呪符で【門】を封じる……この作戦はうまくいったはずだ。
【門】から注がれる霊力が無くなれば、【廃れ神】はその強大な力を維持できなくなる。大幅な弱体化は間違いなく、うまくすれば、これで決着――――
みたいな事を作戦会議の時に聞いた覚えがあるんだけど、どうなってるの!?
「弱体化しているのは間違いないわ。少なくとも今のあいつは不死身じゃないし、これ以上強くなる事だって無い。けれど……」
愛音ちゃんを襲い続ける【廃れ神】の凶刃。それは先程までと比べても全く衰えた様子は無い。むしろ疲労で動きが鈍っている愛音ちゃんのほうが危うい状況だ。
「それまでに溜め込んだ霊力の量が多すぎるのよ。おまけに身体能力に一点振りしている分、あいつは燃費が良いときている。ガス欠で動けなくなるまで……そう、あと数日は持つでしょうね」
「え! そ、それってつまり……」
「そうよ。呪符の効果は持って夜明けまで。それを過ぎたらまた【門】が開く……ふりだしに戻るって事よ」
何という事か。ぼく達が必死の思いで成功させた作戦も、結局はただの時間稼ぎにしかならなかったというのか……
「そういう訳だから。灯夜、あなたはさっさと逃げなさい」
「……え?」
ぼくの聞き間違いだろうか? こんな状況で、逃げろって……今戦えるのはぼく達三人だけなのに!
「聞こえなかったの? あなたの術はあいつに通用しない。これ以上ここに居たって意味がない事くらい、分かるでしょ!」
樹希ちゃんが、ぼくをまっすぐ睨みつける。確か、前にもこういう場面があった……そう、あの巨大ウンディーネと戦った時だ。
「安全なところまで逃げなさい。奴はわたしがなんとかするわ」みたいな事を言われたっけ。それに従わずにいると、胸倉をつかまれてすごい剣幕で怒られたんだ。
「あいつはわたしと愛音でなんとかするわ。二人掛かりなら、打つ手が無いでもないし」
「ま、待ってよ! だったら二人より、三人のほうが――――」
言いかけたぼくの胸倉を、樹希ちゃんの手ががしっ、と掴み、引き寄せた。こうなるんじゃないかと思っていたけれど、眼前いっぱいに広がる険しい表情に、ぼくは思わず狼狽してしまう。
「もう一度だけ言うわ……逃げなさい。遠距離からの術が効かない以上、肉薄して接近戦を仕掛けるしか手が無いのよ。あなたの様な術メインのタイプとは相性が最悪の敵なの。わたし達ベテランに任せて、ここは退くのよ!」
そう言い放つと、彼女はどん、とぼくを突き飛ばした。そして、
「さあ、行きなさい! あなたは無事に……見習い卒業してくれなきゃ困るんだから!」
くるりと踵を返し、【廃れ神】へ向かって駆けていく。ぼくは、その背中に……何も、言えなかった。
どんな言葉をかけたところで、危険に飛び込んでいく彼女を止めることはできない。その理由のひとつがぼくの無力さにあるのだから、尚更だ。
「けど何も……まるで自分は無事に戻れないような事、言わなくたって」
ぼくに逃げてほしいなら、余裕だとか心配ないとか、もっと上手い言い方があるだろうに。樹希ちゃんは、そういう所が不器用な女の子なのだ。
「待たせたわね、愛音!」
「おう! 灯夜は大丈夫なのか?」
樹希ちゃんと合流した愛音ちゃんが、こちらを振り向いた。ぼくの元気な姿を確認して、その表情が一瞬緩む。しかし、
「うひゃっ!」
【廃れ神】の刀が、そんな彼女の鼻先を掠める。これ以上は速くならないとはいえ、その剣速はもう充分以上に速い。樹希ちゃんも愛音ちゃんも、躱すのが精一杯だ。
それでも、二対一になったのは大きい。一方が避けている間に、もう一方は攻めに転じる事ができるのだから。
「一気に決めるぞ! ノイ、【獣身解放】六十%!」
愛音ちゃんが勝負に出た。ぼくとの戦いで見せた、猫の身体能力を自分に上乗せする術。ピンク色の呪紋が煌めき、彼女は一瞬にしてネコミミにしっぽ、猫グローブに猫ブーツといういささか場違いな姿に変貌する。
「イツキ! もう一度コンビネーション、行くにゃ!」
「分かっているわ! あなたこそ、ちゃんと合わせなさいよ!」
――――それは、凄まじいの一言では表し切れない攻防だった。【廃れ神】の振るう神速の刃を、野生の獣のような敏捷性で避け続ける愛音ちゃん。
「確かに速えーが……ワンパターンすぎるにゃ!」
言われてみれば、【廃れ神】の攻撃には一定のパターンがある。右上段からの袈裟斬りの後、左下段から切り返す。そして……大きく踏み込んでの横一文字。
あれ? これって確か、【廃れ神】の主――――天才的な腕前を持ちながら、不幸にも病に倒れたあの剣士が、最も得意としていた連撃じゃないか!
ぼくの脳裏に、さっき見た夢とも幻ともつかない記憶がよみがえる。そうだ……あれは、【廃れ神】の記憶。
【門】に触れた瞬間、霊力の枝を通して繋がったあの刀の記憶が、ぼくに流れ込んできたのだ。
無念の死を遂げた剣士と、その愛刀の――――果たせなかった願い。数百年の時の流れに埋もれ、消えゆくはずだったその願い。
それを掘り起こしたのは……あの人。妖と手を結び、学園に忍び込んだコート姿の男の人だ。
彼は何処で聞き知ったのか、主の無念をだしに【廃れ神】の刀を言葉巧みにそそのかして、自分の目的のために利用した――――あの刀は深い水底で朽ち果てながらも、その運命を受け入れていたというのに。
――――非道い。あの人は【廃れ神】の主が辿った悲しい運命を知っていた。知った上で、今夜の悪事を企てたのだ。
妖に手を貸し、時に利用する。彼はいったい何者なのか?
ただ一つ、分かっているのは……彼が人でありながらも、ぼく達の“敵”であることだけ。人の世界を守るために戦っているぼく達を、心良く思わない人間が居る。
悲しいけれど、それが現実だった。
「こんな事って……今も必死に、命をかけて戦っている人がいるのに!」
不意に閃光が瞬き、轟音が烈しく耳を打つ。はっとして顔を上げたぼくは……見た。
動きを止めた【廃れ神】。その刀は振り切った状態で、地面と愛音ちゃんの足の間に押さえ込まれていた。
そして、その背後には……掌を突き出した姿の樹希ちゃん。さっきの光は彼女の雷術、“鳴雷”――――ゼロ距離で発動するあの術だけは、結界に阻まれず打ち込むことができたのだろう。
おそらくは、これが最後の切り札。愛音ちゃんの霊力はさっきの巨大ドリルの術でほぼ使い切っているし、樹希ちゃんの方も雷華さんの術が使えない状態だ。
ふたりの体力的にも、もう限界のはず。この一撃で倒せなかったとしたら、その時は――――
「やったか……うにゃっ!?」
愛音ちゃんの足を乗せたまま、刀が勢い良く振り上げられる。彼女の身体はまるで木の葉のようにくるくると宙に舞い上げられた。
「愛音!」
叫ぶ樹希ちゃんの目の前で、【廃れ神】が振り返る。鳴雷の直撃を受け、甲冑からぶすぶすと煙を上げながらも……その双眸に宿る殺気は消えていない。
「くっ!」
後ろに飛んで逃れようとするも、反応が遅れる。先程までの攻防で、体力を使い切ってしまったのか!?
天高く振り上げられた刃が、無防備な彼女に向けて振り下ろされる。この距離では、風で援護しようにも間に合わない!
万事休す。ぼく達の長い死闘は今……最悪の結末を迎えようとしていた。
今回は久しぶりにちょっと早く書き上がりました!
と言っても、ほんの半日程度の早さですが…
今回の活動報告は、樹希ちゃんが使う四方院の雷術について。中二病要素の真髄に迫ります!
次回更新日は1月18日、金曜日の予定です!
PVの推移を見ると、多い日と少ない日の差が大きくなったような? そして総数は大差ないという(汗
ブクマは微増しているものの、評価も感想もしばらく見てないなぁ……
どうやら大工事の成果は大したことなかったようです。うん、知ってた。
まあライフワークですから、評価どうこうは気にしない方がいいのでしょうが……
なろう作家というのは、そういう事がいくつになっても気になるお年頃なのです。タスケテ…




