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綾乃浦静流の事情

 階段を上ると、そこには雑然と積み上げられた机や椅子、段ボールの箱。いったいいつから置かれているのかわからない、雑多な不用品の数々。


 ――――気がつくと、私はまたここに来ている。辛い時、寂しい時。私はいつも一人でここに来る。今や誰にも見向きされない品が積まれたこの場所へ。


 そして、古ぼけた段ボール箱のひとつを開ける。中に入っているのは、きらびやかな衣装。本物のそれには及ばないけれど、美しく仕立てられた……

 王子と姫の衣装。


 これは、私の夢の残骸ざんがい。幸せな日々と……後悔の記憶。


 私……綾乃浦静流あやのうらしずるは今日もここにいる。今日もまた、後悔しながら……ここに。




 彼が転校してきた時、私が受けた衝撃を言葉で表すのは難しい。何せそこに居たのは、絶世の美少女と言っても過言ではないくらいに美しく、愛らしい女の子。

 銀色にきらめくプラチナブロンドの髪に白磁のごとく白い肌。蒼氷色アイスブルーの瞳に被さる大きめの眼鏡は、ともすれば完璧すぎる美しさを和らげ、年相応の愛らしさを付与していた。


 更に驚いたことに、こんな容姿を持ちながら……その子は男の子だったのだ。それはもう神々が生んだ奇跡の産物としか思えない。

 平凡な日常に突如として舞い降りた天使。それが彼、月代灯夜という名の少年だった。



 ―――姫の衣装、あらためて見ると安っぽい生地を撫でながら、私は後悔する。あの時……学芸会の配役を決める場で、彼が姫役に選ばれてしまうのを私は止められなかった。


 想像してしまったのだ……彼がドレスをまとった姿を。それこそまさに人々が思い描く高貴なるお姫様像そのもの。彼こそが姫役にふさわしい……いや、このクラスで月代灯夜以外の姫役など考えられないと。


 異を唱えるべきだと気付いた時には、クラス中に拍手が鳴り響いていた。皆嬉しそうに、無邪気に手を叩いていた……愛想笑いの表情のまま、うつむいて涙をこらえる彼以外は。

 私自身も含めて、誰も彼自身の気持ちを考えていなかった。そう、女性役をやらされて嬉しい男子なんていない。


 王子役が決まらなかった時自ら名乗り出たのも、半分は罪悪感からだ。転校してきて間もない彼の助けになりたい……そう考えていた矢先に、その逆の事をしてしまったのだ。

 クラスのためというのも当然ある。しかし私は委員長としてだけではなく、一個人として彼の力になってあげたかった。


 ……いや、違う。私が彼を助けようとしたのは、そんな聖人君子みたいな理由だけじゃない。目の前に現れた奇跡に……美しくも愛らしい存在に少しでも近づきたかったからだ。

 絶好の機会を前に気持ちが抑えられなかった、ただそれだけ。近くに行って、親しくなって、もっと彼の事を知りたい――――私はそんな自分勝手な理由で動いていたのだ。


 彼はそんな私の思惑も知らずに、差し伸べた手を純粋な好意として受け取った。なんの疑いも持たず、私を信じてくれた。二人きりでいる時は普段より饒舌じょうぜつになり、愛想笑いではない心からの笑顔を……やわらかい春の日差しのような微笑みを見せてくれた。


 私はそんな状況に溺れ、慢心していた……望みは叶った。自分だけがこの至高の宝石を愛でる権利を得たのだと、そう信じていた。



 そして学芸会は市のコンクールに至るまで好評のうちに幕を閉じ、私はようやく長い雑務から開放された。

 肩の荷が下りたと安心するのと同時に、一抹の寂しさを感じている自分を自覚する。これで彼と二人きりになる機会は確実に減るからだ。


 けれど、今までに築いた二人の絆が消える訳ではない。これからだって、ずっと変わらずにいられるに違いない。

 そんな事を考えていた、その矢先の出来事だった。


 ある朝、教室に入った私が見たのは、クラスの女子達の輪に自然に加わっている彼の姿だった。私に見せたのと同じ笑顔を浮かべながら、楽しそうに談笑する彼の姿だった。


 ――――自分の中で、何かが砕ける音がした。


 まずは女子だけでもいいから、ちゃんと話して打ち解ける努力をしなさい……そんな事を言った覚えはある。しかし言いながら私は、それが彼にとって困難な試練になるということもわかっていた。容易に実現できる訳がないと思っていたのだ。


 だが現実は違った。彼は私が投げつけた無理難題を見事に解き明かして見せた。ただ純粋にまっすぐ、私の言った通りに。


 その時になって、私はようやく気付いた。彼の為になる事が全て、私の為になるわけでは無いのだと。

 もう彼は私だけの宝石ではない。それと同時に、私自身も彼の唯一無二の存在ではなくなったのだ。彼の「たったひとりの友達」からただの「友達のうちのひとり」に……


 ただの「友達のうちのひとり」――――私が、一番近くにいたのに。一番彼に尽くしたのに。クラスの誰よりも、彼を……月代灯夜という人間を知っているのに!



「私は忙しいの。別に私じゃなくてもあなたの相手をしてくれる子はいくらでもいるでしょう?」


 気がつけば、いつものように話しかけてきた彼にそんな言葉を浴びせている自分がいた。彼自身がどう思っていようが、私たちの関係はもう変わってしまった。二人だけの時間は終わってしまったのだ。


 その現実に、私は耐えられなかった。“完全無欠の委員長”なんて、結局は他人がつけた呼び名にすぎない。本当の綾乃浦静流はずるくて嫉妬しっと深い、ただの嫌な女の子なのだ。

 それを自覚した以上、余計に彼のそばには居られない。私のような子の影響を受けて彼の純粋さがけがれるような事があってはならない。


 それすらも自分勝手な、わがままな願いとわかっていながら……私は彼と距離を置く事を決めた。


 彼は、それでも私に話しかける事をやめなかった。私も、彼自身も変わってしまったことに気づかずに。私がどれだけの想いで彼を遠ざけているのかも知らずに。


「そもそも私は君の友達になった覚えはないの。わかったらもう話し掛けないでくれる?」


 そう言い放った後、彼が見せた表情……私の言葉によってもたらされた深い絶望に、必死に涙をこらえる顔。


 私の言葉は、どれだけ彼を傷つけたのだろうか。けれど、これは正しい行動なのだ。彼は私のような人間のそばに居てはならない。

 私は正しい選択をしたのだ。たとえそれが、どれほどの苦痛をともなうものであったとしても。



 ――――その日以来、月代灯夜が私と会話する事は無かった。そう、つい昨日までは。



 気がつくと、握りしめていた姫の衣装にはいくつもの染みができていた。ぽたり、ぽたりとまた染みが増えるのを見て、私は自分がまた涙を流している事を知った。


 ……私は正しい選択をしたはずなのに、どうして後悔しているのだろう? どうして、こんなに心が痛むのだろう?



 かつん。不意に階下から響く足音に、私は我に返る。この時間に他人がここに来る事なんて、今まで無かったのに……

 かつん、かつん……ゆっくりと足音は近づき、それに合わせて荒い息づかいが聞こえてくる。


 いけない、私がここにいる事を知られては。とくに彼には……月代灯夜には。


 急いで、しかし静かに荷物の間を進み、屋上へ通じるドアを開ける。さび付いた蝶番ちょうつがいがきしんで音を立てるが、構っている暇はない。


 夕方の冷たい空気に晒されながら外に出ると、私の前には緑色に濁った水面が広がっていた。


 ――――この校舎の屋上にはプールが設置されていた。ただ、ここが使われていたのは何年も前。私が入学した時にはすでに使用禁止になっていたのだ。

 聞いた話によると、国の安全基準が変わってそのままでは使えなくなり、改修工事を行うよりも校庭に新たにプールを作ったほうが安上がりになるから……らしい。


 とりあえず、隠れないと……身を隠す場所を求めて、野晒のざらしのシャワー場に向かおうとした時だった。背筋が凍るような、ぞっとする気配に私は振り返る。


 そこにあるのは、先程までと変わらずしん…と静まり返った水面だけ。しかし、私の中では言いようのない不安が広がっていた。


 ――――私は、ここに来てはいけなかったのではないか。


 そう感じるのと、階下に通じるドアが開くのはほぼ同時だった。

というわけで、戻ってまいりました。ああ、ネットが繋がる世界のありがたさよ……

まあ更新ペースはまったりになりますが、今後もお付き合い願いたいと思います。


次回更新は27日火曜日の予定です。

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