死闘、魔法少女包囲網!
【前回までのあらすじ】
池袋を襲う【大怪蟹】に苦戦する樹希たち。その一方では、今にも命尽きようとする紅の竜姫――――"お姫様"を救おうとする灯夜の奮闘が続いていた。
失われた霊力を彼女と【契約】する事で補おうとする灯夜であったが、竜姫はこちらの世界に召喚された際……儀式に必要な自身の真の名を忘れてしまっていたのだ。
絶望的な状況の中、それでも諦めない灯夜は一か八かの賭けに出る。強行される契約の儀式……輝く風の奔流の中で、彼は叫んだ――――彼女の新しい名前を。
「暁に煌めくと書いて……"暁煌"だ! "お姫様"、それが君の名前……この世界で生まれ変わった君の新しい名前だよ!」
――――戦況は、芳しくなかった。
「コイツ等いい加減にするにゃ! 増えすぎなのにゃ――――ッ!」
芳しいとは言えないとか思えないではなく、実際問題として芳しくない。地上で戦う愛音と不知火ミイナの周りにはすでにおびただしい数の敵がその屍を並べている……しかし、今彼女たちを取り囲んでいる敵はさらにその倍をゆうに超えていた。
「泣き言を言ってるヒマがあったら、一匹でも倒せ! でなければ本当に敵が増えるばかりだぞ!」
彼女たちが不甲斐ない、というわけでは決してない。むしろよくやっている方だ……特に不知火ミイナの鋭い動きはあれだけの負傷を抱えた者とは思えないほど。蹴りの一閃ごとに確実に相手を屠っていく様はまさに鬼神のごとしである。
それでもなお劣勢を覆せないのは、敵――――あの【大怪蟹】が生み出し、使役する眷属の化け蟹の圧倒的な数の暴力のためだ。一体一体の強さは親に到底及ばないとはいえ、戦闘開始からほんの数分で軍団と呼べる数に到達するその増殖力……万全な状態ならまだしも、連戦で霊力を消耗した今のわたし達には荷が重いと言わざるを得ない。
現に、不知火ミイナがこの大群相手に広域炎術を使わない……いや、使えないのがそれを如実に表している。単なる消耗にとどまらず、おそらくはアライメント・シフトの後遺症――――自身の限界を超えた霊力を行使した反動も同時に来ているのだろう。
「ってイツキ! 上のクソデカカニの相手はどーしたにゃ!? オレたちの心配よりソッチだろーにゃあ!」
可愛らしい猫耳と尻尾を揺らしながら迫る化け蟹をなぎ倒す愛音。その格好と語尾は当然ふざけているのではなく、彼女が契約した【ケットシー】の能力を使っているためだ。
元々愛音の操る水晶魔術に直接攻撃に適した術は少ない。それを補うのがこの能力……猫の身体能力を上乗せする能力なのである。
……語尾に「にゃー」が混じるのは脳の中枢にまで術の効果が及んでいるからという話だが、はたしてどこまでが真実なのやら。
「残念だけど、そうも言っていられなくなったのよ!」
そもそも現状、わたしが【大怪蟹】を単独で倒すのは不可能に近い。空中から様子見の攻撃を仕掛けてはみたものの、弱点らしい弱点は見当たらなかった……そして正面から力押しできるだけの霊力はもう残っていない。
それに加えて、ビルの屋上から湧き出した化け蟹どもが自爆覚悟の特攻をかましてくる中ではとても戦闘継続どころではない。口惜しいが方針転換を余儀なくされたわけだ。
「とりあえず屋上の泡は焼き払ったけれど、残りの霊力ではあのでかぶつの相手は無理よ。雷術も使えてあと一、二回が限界だわ!」
ここで切り札である【黒ノ呪獄】が使えれば――――敵の霊力を奪い自らのそれに上乗せする【鵺】の妖術。しかしそれは奴のように巨大すぎる相手には相性が悪かった。
【黒ノ呪獄】の効果範囲は直径約20メートル……術の性格上術者と対象がその範囲に収まる必要があるため、実行すれば範囲のほとんどを【大怪蟹】が占めることになってしまう。
――――胴体部分だけでも十メートルを超えようという巨大蟹。脚までを含めれば残されたスペースはほんのわずかである。充分な霊力を奪うまでそこで攻撃を回避し続けることは流石のわたしでも至難の業だ。
「二人が三人になったのは有難いが、どの道このままではジリ貧だ。雑魚の相手だけで日が暮れるぞ!」
不知火ミイナの言う通り、このまま化け蟹の相手を続けてもらちが明かない。せめて連中の発生源である泡を始末できれば話も違うのだが……
「こう完全に囲まれたら撤退も無理にゃ! どーしよーもないにゃっ!」
泡を潰すにはまずこの包囲網を突破する必要がある。わたしが空中から雷術を放とうにも、複数ある泡の塊すべてを焼き払うだけの霊力はすでに無いのだ。
「くっ、手詰まり……だというの!?」
逡巡する間にも敵は包囲を狭めてくる。倒しても倒しても、その屍を乗り越えて迫る化け蟹の軍勢……まさか大都市の真ん中でここまでの数の妖を相手取ることになろうとは。
「イツキ、後ろにゃ!」
焦りが一瞬の隙を産んだのか。振り返ったわたしの目の前に横歩きで突進してくる一匹の化け蟹の姿が大写しになる。
「!?」
被弾を覚悟したその瞬間、振り下ろされた鋏は突如割り込んだ小柄な少女によって受け止められていた。
「トモダチのトモダチは……みなトモダチ!」
惜しげもなくさらされた褐色の肌に、眩しく走るオレンジ色の呪紋。そういえば灯夜から聞いたことがある――――Sクラスには南米から来た留学生がいる、と。
「トモダチイジメるやつ、ルゥがユルサナイ!」
手にした得物――――木製のおそらくブーメランの類いだろうが、あまりにも巨大なそれを軽々と一振りする少女。それと同時に化け蟹はバラバラに破砕され飛び散った。
「ルルガ・ルゥ――――っ! 来てくれたのにゃん!」
愛音の歓声に無言のサムズアップで応える少女――――ルルガ・ルゥ。この局面で術者の増援はありがたい……しかし、この包囲の中にどうやって?
「へへ、ウチもおるでぇ~」
耳元で囁く猫撫で声にぞっとして飛び退くと、そこには全身黒ずくめのひょろ長い体躯の女がいた。
「なるほど、貴女の仕業ね……灰戸一葉!」
彼女は影を操る霊装術者。影から影へと移動する神出鬼没の術をもってルルガ・ルゥを伴いこの場に現れたというわけか。
「お察しの通りや。ホンマはこないな負け戦の場に来とうなかったんやが……天海神楽の術者として立場上、センセーの命令にゃ逆らえんでなぁ」
軽薄な関西弁を放ちつつ、襲い来る化け蟹の鋏をひょいひょいと躱す灰戸。
「貴女は対妖の戦闘力は皆無だと聞いているわ。用が終わったのならさっさと退散したらいかが?」
「あいにくそうもいかんでなぁ。どうしても行くっちゅうルゥちゃんを連れてくる方が、むしろついでなんやから」
「……どういう事?」
問いかけつつも、わたしはすでに答えを察していた。
「どうもこうもあらへん。ウチの役目は、にっちもさっちも行かへんようになったアンタ等を連れて逃げる事……帰りのタクシーはこちらでござい、ってな」
ここまで来る事ができたのなら、当然その逆も可能。彼女はわたし達の退路を確保するために遣わされたというわけだ。
「先生が……わたし達に退けと!?」
それはすなわち、月代蒼衣が現状の収拾を諦めたということに他ならない。彼女は今のわたし達では【大怪蟹】の討伐は不可能と判断したのだ。
その判断は正しい。正しいと認めざるを得ない。けれど……
「妖はここに居るのよ! それを尻目に逃げられるわけがないじゃない!」
ここでわたし達が退いてしまえば、【大怪蟹】を……増殖し続ける化け蟹の群れを押しとどめる者はいなくなる。そうなればものの数時間もしないうちに池袋は妖の巣窟へと変わってしまうだろう。
そこまで事態が拡大してしまってはもはや収拾は不可能に近い。国内の術者を総動員して討伐に乗り出すにしても、それまでにいったいどれだけの被害が出ることか。
妖の存在が一般人に知れる……その程度で済む話では、すでにないのだ。
「一旦退いて仕切り直す余裕なんてない。ここで踏みとどまらなくてどうするっていうの!」
それは、一国の存在を妖が揺るがす時代の到来。二十世紀末に起きた妖の一斉蜂起の際ですら破られることの無かった安全神話が崩れ去る事を意味する。
すなわち――――我々術者、そして人類の敗北だ。
「そうは言ってもだにゃイツキ、いい加減オレたちも限界だにゃん! ルゥが来てくれたって逆転までは無理にゃよ?」
「なら、あなた達は逃げなさい」
「にゃ!?」
愛音達は充分にその役を果たした。この状況で退いたとて恥にはならないだろう。けれど、わたしは――――違う。
『どうなさるおつもりです、お嬢様!?』
「雷華、この場で【黒ノ呪獄】を使うわ。【大怪蟹】には無理でも、化け蟹相手なら相当長く持ちこたえられるはずよ」
【黒ノ呪獄】で敵の霊力を奪い続ければ、少なくとも霊力切れの心配はない。もっともどれだけ長く術を持続できるかは未知数となるが……この際、多少の無理は覚悟しなければ。
『無茶です! たとえ霊力が維持できても、先程の黒雷の負荷でお嬢様の身体はもう――――』
「わたしは退けないのよ! 護国の九家、四方院の当代が妖を前に逃げたとあっては末代までの恥! それに……姉様なら、決して逃げない!」
『……!!』
わたしは四方院の巫女。妖を討つ為に生まれた人類の剣――――その宿命から逃れる道などハナから無いのだ。
「――――四方院、上だ!」
不知火ミイナの鬼気迫る叫び。咄嗟に飛び退いたわたしの前に、自動車ほどもある泡の塊が落着する。
「うおっあのクソデカ蟹、暇をもてあまして攻撃してきやがったにゃん!」
「泡ということは……まさか!?」
わたしの危惧を肯定するかのように、地面に広がった泡の中から新たな化け蟹が這い出してくる。
「この上さらに敵が増えるというのか!?」
「まずいわ……これ以上増えたらもう支えきれない!」
どうにか対策を考えようと加熱する脳内に、絶望という冷水が堰を切って流れ込む。
「駄目なの、本当に……」
すべての希望が潰え去った――――諦めがわたしを支配しようとした、その刹那であった。
天上より舞い降りた一条の光芒。まるで剣のように突き立ったそれは新たに生じた泡を化け蟹ごと瞬時に焼き尽くした。
「!?」
そしてわたしは見た。夕闇迫る空に浮かぶひとりの少女の姿を。沈みゆく陽の光よりもなお紅く輝く――――美しいその姿を。
ピンチに次ぐピンチの展開に救世主現る――――!?
次回はBGMにMeteorのご用意を推奨します(;^_^A




