雷電、刹那を駆ける!
【前回までのあらすじ】
裏切りの妖・栲猪の恐るべき強さを前に、やむを得ず共同戦線を張る樹希と我捨。
雷術の通じない栲猪を我捨の待つ地上に叩き落とす為、樹希は身体強化の術・黒雷を使う決意をする。
効果は絶大だが、それ故に制御の難しい黒雷。樹希は果たして、この術を使いこなす事ができるのだろうか――――!?
――――暗天より舞い降りた幾筋もの雷霆が、音もなくわたしを打ち据えた。常人ならばそれだけで死に至る程の大電流が、わたしの五体……全神経を瞬く間に駆け抜け、末端にまで染み渡っていく。
灼けるような熱さと共に、全身の感覚が研ぎ澄まされる。それに伴い、わたしの脳内には膨大な量の情報が押し寄せてきていた。
……“黒雷”の効果によって細胞内の電流が加速され、神経伝達速度が数倍に跳ね上がったためだ。
先ほどまでの数倍の速さで脈打つ心臓から、怒涛のごとく血液が送り出されている。身体強化の効果がなければ、全身の血管が破裂しかねない勢いだ。
手足の表面を走る呪紋の輝きも一層増し、流れる霊力までもがどんどん加速している。
霊装によりわたしと一心同体となった雷華――――霊獣・鵺にも、黒雷の効果は当然及んでいる。つまり、今のわたしの肉体は霊装と黒雷によって二重に強化されている事になるのだ。しかし……
『行けますか、お嬢様』
「行くのよ。無茶でも何でも……ね」
それが、身体の制御をより困難にしている要因でもある。何せすでに霊装で乗算された体機能を、さらに何倍にも跳ね上げるのだ……その上昇値ともなれば、生身の状態とはもはや比べるのが馬鹿馬鹿しいほどの数値に達するだろう。
しかし、それをコントロールすべきわたしの意識は通常時と何ら変わることはない。黒雷が強化するのはあくまで肉体のみ……体に合わせて、精神までが都合よく加速されるわけでは無いのだ。
次にどう動くか。動き出してからそれを考えていたのでは到底間に合わない。今のわたしに出来るのは、数手先までの挙動をあらかじめ定め、その通りの動きを正確にこなす事……それが限界だった。
当然、これでは突発的な事態には対応できない。途中で動きを変えられないのでは術自体が不発に終わるばかりか、状況を余計に悪くするまであり得るのだから。
そう。黒雷を使いこなすためには、ある程度までの動作なら意識せずに行えるほどに反復練習を繰り返し、黒雷時の感覚を「体に覚えさせる」必要があるのだ。
しかし、そのために費やす時間が無かった。黒雷を修得した去年の夏から……修練の場であった地下モニター室の損壊や、つい最近に至るまでの妖事件の増加。そして未熟な灯夜への指導を行っていた事もあって、わたしは自身の鍛錬を満足にこなせていなかったのである。
もっとも、黒雷は実戦で使えるまでに最低でも数年、完全に会得するには一生涯を費やすとまで言われた術。たかだか半年強の訓練にどの程度の意味があったかは分からないのだが……
どちらにしろ、今はもう不勉強を悔やんでいる時ではない。わたしは、改めて敵の姿に――――土蜘蛛の将、栲猪に狙いを定める。
己を支えていた糸を断ち切られ、自由落下の最中にある栲猪。しかし奴は白いマントをひるがえして素早く態勢を整え、新たな糸を打ち込む場所を吟味しているようだ。
こちらの予測より……更に迅速な対応。
だが、それを黙って見過ごすわけにはいかない。わたしはつかまったビルの窓枠から指を外し、同時に両足で思い切り壁を蹴った。
足元で砕けるコンクリートの感触と、ぶ厚い空気の壁を突き破る衝撃が一時に訪れ、白マントの背中が視界いっぱいに広がる。
――――初撃で、まず崩す!
肘を突き出し、すれ違いざまに打ち付けた。一瞬の鈍い衝撃……ダメージそのものは微々たるものだろうが、これで栲猪はもう一度態勢を整える所からやり直す羽目になる。わたしが必殺の一撃を叩き込むまで、充分な時間は作れたはずだ。
そしてもう一つ。あの栲猪でも、黒雷のスピードには容易に反応できなかった。それが確認できた以上、後はミスをしない事だけに集中すればいい。
「ぬうっ!」
背後から栲猪のうめき声が聞こえる頃には、わたしの眼前は向かいのビルの壁面で覆いつくされていた。
『――――!』
鋭く、針で突くような思念。雷華が方向転換のタイミングを知らせているのだ。
黒雷での超加速下では、当然会話でのコミュニケーションなど間に合わない。念話にしたところで、伝わってきた念を言語化して理解するまでには僅かながらのタイムラグが生じる。
だから念話ではなく、ただの“念”――――情報量を極限まで減らしたタイミングの指示によって、雷華はわたしをサポートするつもりなのだろう。
――――感謝、するわ。
思いつつも、わたしは己の五体を制御するので精一杯だ。猛烈な加速の中、体を丸めて百八十度回転させる……その勢いに四肢が悲鳴を上げ、増幅された激痛が脳内を白く染め上げる。
「くうっ……!」
速度の減少を最小限に抑えるため、接地の瞬間に壁を蹴り、角度にして四十五度ほど方向転換する。
ひざから下が破裂したかのような衝撃と共に、斜め上方に向けさらに加速していくわたしの身体。
流れ去っていく視界の片隅には、打撃を受けた方向とそれが飛び去った方向を交互に見やる栲猪の姿。わたしを……見失っているのだ。
それはすなわち、この戦いが始まってから初めて……わたしは奴の手のひらの上、思惑の内から逃れる事ができたという意味。
『――――!!』
再び、雷華の思念が突き刺さる。恐ろしい速度で近づく灰色の壁……それはあっという間に、コンクリート表面の粗が見て取れる距離にまで至っていた。
これが……最後の方向転換。わたしは軋む身体を無理やりねじり、虚空を漂う栲猪を正面におさめる。
――――今だ! 遠心力で泳ぐ両足を必死で壁に向け、渾身の力を込めてまっすぐに伸ばす。足裏から響く、かつてない震え。
両足が砕けんばかりの痛みと共に、爆発的な加速がわたしの体を打ち出した。
『雷華ァっ!!』
『了!!』
わたしの念と雷華の念。その交錯と獣身通・王虎による両腕の変化が一時に訪れた。いつもなら瞬時に完了する獣身通すら、黒雷による超加速下では不安なほどゆっくりと感じられる。
それでも、“その瞬間”にさえ間に合えばいい。わたしは全身を巡る黒雷の雷気を両腕へと集中させた。四方院の雷術と鵺の妖力、そして鍛えぬいた自身の体術……今の四方院樹希の全てを叩き付け、燃やし尽くす“その瞬間”に!
「――――我捨、貴方は自分が止めを刺すつもりでしょうが」
ぐんぐんと近づく栲猪の顔。その眼が、ようやくわたしを捉えた。表情が驚愕のそれに変わり、手足が弾かれたように防御の構えに向かう。その反応は、間違いなく最速と言ってよいものだろう。
けれど奴の最速をもってしても、今のわたしには追い付けない。向こうが防御を固める前に、間違いなく届く……わたしが持ちうる、最大の一撃が。
「倒してしまったら……御免なさいねッッ!」
――――それは、四方院先代の巫女が編み出した技。
左手の甲に右手の甲を重ね、引き絞るように上体をひねる。黒毛の虎のそれと化した両腕をまばゆいスパークが走り、せり出した鋭い爪が電光にぎらりと光る。
――――わたしが憧れ、目指し……未だ届かぬ至高の頂。
突き出し、ぶつける……全身全霊を、最大速度で。それはかつて――――“千年に一人の逸材”と呼ばれたわたしの姉、【四方院夏輝】の必殺の技!
「薙ぎ散らせ――――“雷電爪牙”!!!」
GW中がんばったけど今になってやっと更新できたよ……
次回は6月中にはなんとかしますっ٩( 'ω' )و




