妖しき異邦人
かつん、かつん……。
薄暗い通路に、ダンスシューズの踵が奏でる規則正しい足音が反響する。
ここは、池袋の巨大ビルに付属する大型商業施設……そのバックヤードに当たる区画。施設や店舗の関係者以外は立ち入りが禁止されているそこを、一人の少女が悠々と歩いていた。
ゆるやかなウェーブを描く豪奢な金髪に、青い瞳。鮮やかな深紅のドレスの似合う、異国の美少女……彼女は照明の絞られた通路を迷うことなく、目的の場所へと歩を進めていく。
やがてたどり着いたのは、大きく開けた倉庫スペースだった。入り口は広く、緊急用のシャッターと防火扉を除いて、ドアの類いは存在しない。
一面に並んだ棚に置かれているのは様々な種類の大きなダンボール箱で、その多くはうっすらと埃を被っていた。
「何処へ行っておった……答えよ! 儂がお主に何と言って念を押したか、忘れた訳ではなかろう!」
不意に浴びせられた怒声に、少女は立ち止まり……優雅に顔をしかめ、美しい嫌悪の表情を浮かべつつ声の方に振り返った。
そこに居たのは、禿げ上がった頭に脂汗を浮かべた年配の男。横幅のある体を僧衣に押し込めた、少女とはまた別の意味で場違いな人物だ。
「さあ、覚えておらんな。わらわが忘れるという事は、所詮些末な事だったのだろう」
「な……お主、今の己の立場を分かっておるのか! 人の姿を取るという事は、己が姿を人目に晒すという事。そんな目立つ格好で歩き回られては、そもそも霊力を抑えた意味が――――」
「歌いたい時に歌い、踊りたい時に踊る。それが許されぬ生など、生きておる内に入らぬわ。美しき調べには、それに相応しき舞いというものがある」
蠟梅する男を冷ややかに一瞥しつつ、少女は続ける。
「誰であろうと、わらわを縛る者は許さぬ。例え、それが汝であろうともな……富向よ」
富向と呼ばれた僧形の男は、ぎりぎりと歯嚙みしながらも頭を巡らせ、目の前の尊大な少女をどう言い包めるべきか思案に暮れていた。
――――何と聞き分けの無い小娘か。力ある妖ならば、相応の分別をわきまえていても良かろうに――――!
そう。彼女こそ富向が昨晩、大掛かりな魔術儀式をもって喚び出した異界の妖に他ならなかった。
凄まじい妖気を撒き散らすそれをどうにかなだめ、人の姿を取らせたまでは良かったのだが……
「ええい、せめてもう少し地味に化けられなんだのか。外を見て来たのなら分かったであろう……その様な風体の者が、周りにひとりでも居ったか?」
恐ろしい魔獣が、人で言えばまだ少女の年頃だというのは驚きであった。だが、それ以上に……彼女は高貴で美しく、華やかに過ぎた。
世が世なら王侯貴族、控えめに言っても大財閥の令嬢か。どちらにしろ、供を連れず歩くのは不自然な程の風格が彼女にはあったのだ。
「ふん、何故わらわが周りに合わせてやらねばならぬ。それを言うなら汝とて、十二分に珍妙な風体ではないか」
「これは僧職の正装よ! そもそも今、儂等は身を隠しておる最中だというのに……妖の追手は勿論、人間の術者共に見つかっても厄介だ。それも話して聞かせたであろう?」
そう。彼等は今、非常に危うい立場にあった。富向が儀式に用いたのは、妖の宝物殿より無断で持ち出した宝具。特に「竜の鱗」と呼ばれる触媒は貴重な品であり、それを損なった以上……最早死罪は免れぬだろう。
また必要があったとは言え、儀式の場所を人口密集地に定めた事は、同時に人間達に異変を悟らせる結果にもなった。
妖と人……その双方が今、血眼になって彼等を探しているのだ。
「いま少し……いま少しの辛抱よ。お主の望みを叶えるには、充分に時が満ちる必要がある。それまでの間の辛抱ぞ」
少女を諭しながらも、どこか自分に言い聞かせるような富向の言葉。だが、その声は彼が意図せぬ人物の耳にも入っていた。
「あっ! ちょっとそこの……お坊さん?」
倉庫の入り口から顔を覗かせたのは、紺色の制服を着た中年の男。その出で立ちは、彼がこの施設の警備員である事を示している。
「スイマセン、ここは関係者以外立ち入り禁止なんですよ。誠に申し訳ないんですが……」
相手が僧侶と見てか、咎める声も表情も穏やかなものだ。隣の少女の華やかさに一瞬面食らいつつも、男はまっすぐ二人に向けて歩み寄ってきた。
「……富向、汝が自慢の結界とやらはどうなっているのだ?」
「無論、張っておる。となれば、此奴――――」
富向の身体から、禍々しい妖気が立ち昇る。明確な殺意に満ちたそれは、未だ無防備な男の首筋に向かって――――
「待たれよ」
背後からの声に、振り向く警備の男。しかし、がらんとした通路に声の主は見当たらない。
誰だ、と声を発しようとした時、彼は首筋に強い衝撃を感じ……それとほぼ同時に意識を失った。恐らくは、自分が何をされたのかも解らなかっただろう。
声も上げずにくずおれた彼の背後には、いつの間に現れたのか、手刀を構えた長身の男の姿があった。
「た、栲猪!」
灰色のマントに身を包んだ、壮年の男。彼の放った稲妻のような当て身が、一瞬にして警備員を沈黙させたのだ。
「此奴、人払いの結界の中に踏み込んで来おった……術者共の仲間ではないのか?」
気を失った男を柱の影へと運ぶ栲猪に、富向は問う。
「違うな。この男、主の妖気が見えていなかった……ただ少し、術の効きが悪いだけの凡人に過ぎぬ。人が増えれば、この様な輩も混ざってくるという事だ」
「成程な。これだけ人が居れば、術者ならずともそういう者があるか。富向よ、汝の術も案外当てにはならぬな」
ぐぬぬ、と歯嚙みする富向を尻目に、少女はくるりと身を翻す。先程人間達の前で見せた舞いを思わせる、軽やかな足捌き。
――――ふふ、面白い。思えば先程、広間で目にした娘……銀色の髪と蒼氷色の瞳を持ったあの娘も、もしくはその類いやも知れぬ――――
ほんの数秒、目を合わせただけの相手。ただそれだけの出逢いが、今になって何故か気に掛かる。この世界に降り立って、以来様々な物を矢継ぎ早に見聞きしてきた彼女だったが……
ピアノの調べ以外で美しいと思えたものは、思えばその娘だけではなかったか?
もう一度逢って、確かめてみたいものだ。そう考えた彼女の瞳に、富向の忠告に従おうという意思は……最早欠片たりとも残っていなかった。
謎の美少女の正体、いまいち明らかになってない気もしますが……
まあ、あえて明記しないのもまた様式美なのです(´ー`)y─┛~~
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