確かな気持ちと見えない絆10
家に着いて自室のベットに横になると、本格的に体調が悪くなっていくのを感じた。体温は上がる一方で、頭痛に加えて咳が出始めた。ただの体調不良だと思っていたが、どうやら風邪をひいたらしい。
自宅まで肩を貸してくれた滝椿にお礼も言えず、そもそもいつ帰ったのか、今が夜なのかもわからぬまま、朦朧とする意識を手放して眠り続けた。
額には熱を下げるシートが張られ、厚めの掛け布団が掛けらていた。それらの看病を誰がしてくれているのかなんて考えるまでもなく、いつ目を覚ましても穂乃香はベットの傍らに座っていた。
ベットの横には常に切らすことなく常温のスポーツドリンクが用意され、朝昼晩と胃に優しく栄養価の高い食事が用意された。様々な野菜が細かく刻まれたおかゆに、温玉とネギがたっぷりと入った鍋焼きうどん。病人食でも飽きさせない工夫がなされていた。けれど、熱で馬鹿になった舌では味が感じられず、申し訳なく思いつつ残さないようにして食べさせてもらった。
穂乃香は一時も俺の側を離れようとはしなく、数時間に一度、パジャマを取り換えながらタオルで汗を拭き、トイレの付き添いまでしてくれた。なにもそこまでしなくてもいいとは思うものの、穂乃香の好きにさせていた。
辛い一日目を乗り越え、だいぶ落ち着いてきた二日目、大事をとっての三日目が終わろうとしている。
体力もだいぶ回復し、もう起き上がっても問題ないと思うのだが、「安静に」ときつく言われるがまま眠くもないのにベットに今も横になっている。穂乃香が買い物に出掛けて十分ぐらいが経っただろうか。静かな部屋で隣で眠るクロの背中を撫でながら、ぼんやりと天井を眺めていた。眺めて、あの時は考えられなかった様々なことを頭の中で整理していた。
穂乃香と俺は本当の家族ではない。もっと正確に言えば、穂乃香だけ血が繋がっていなかった。
父さんと母さんはその事実を隠し、あたかも本当の兄妹であるかのように俺と穂乃香を育ててきた。そのことに疑問を覚えるはずもなく、物心つく以前から一緒に過ごしてきた家族を他人だと、血が繋がっていないなど露程思うはずもない。少なくとも、俺はそう思っていた。だからこそ悩み、苦悩し続けていた。
似ていない兄妹だと言われたこともあるが、そうした兄妹もこの世の中ではごまんといることだろう。だから周囲の人も俺も気にしていなかった。
この事実を知っているのは俺と穂乃香と両親に加え、これまで迷惑を掛け続けた滝椿と、それから親族の一部の人だけらしい。詳しいことはまだわからないが、落ち着いたら伯母さんに話してみようと思っている。母さんと仲の良かった伯母さんだからこそ、手紙の内容よりは色々なことを知っていることだろう。
それも後々のこと。別段、急ぐことでもないように思う。
あの日、保健室で話を聞いてから三日が過ぎた。まだ三日だとも言えるし、もう三日も経ったのだとも言える。冷静になった今でも未だに信じらない、と思う自分がいる。それと同じくらい、不思議と受け入れている自分がいた。
思い出すのは過去の穂乃香のこと。
穂乃香が一人で眠れなくなった切っ掛けは、両親の事故だけが原因じゃないかもしれないと思うようになった。もちろん、両親の死が衝撃的だったのもあるのだろう。ただ、その事実に加え、自分が養子であったことも精神的な負担となっていたのかもしれない。
そうした考えが浮かんでくると、様々なことが見えてくる。昔からではあるけれど、穂乃香は捨てられた動物に強い感情移入をしてきた。その事実を、自分の事の様に受け止めていたから、受け入れられなかったのかもしれない。そういった側面もあったのかもしれない。
そして、俺を〝お兄ちゃん〟と呼ばなくなった時期が両親の死の時期と被る。もしかしたらあの時から、俺は穂乃香の兄ではなくなったのかもしれない。
本当のところはわからない。全く見当違いという可能性もある。ただ、そのことを穂乃香に尋ねて知ったとしても、あまり意味がないように思える。昔の傷を掘り起こす必要はなく、このまま、いずれこの話をする時があるかもしれない。その時になって改めて話そうと思う。今はそれでいいのだと、そう思うことにした。
――――
ベットで横になっている間、穂乃香と沢山の話をした。そのほとんどが他愛のない話だったけど、それでも、距離を置こうとした日々のぎこちなさは徐々に解消され、以前のように自然に話せるようになった。もちろん、すべてが元通りというわけでもない。今まで秘め続けた俺の想いも、穂乃香の強い想いも、互いに知ってしまっている。ふいに目が合う瞬間や、手がふれた時の気恥ずかしさやもどかしさは以前にはないものだった。
風邪が完治すれば再び日常が始まる。
朝起きて制服に着替え、朝食を済ませる。そして肩を並べて通学路を穂乃香と歩く。久しぶりの事のはずなのに、ぎこちなさは全く感じなかった。校門を過ぎたあたりで幾つかの視線を感じた。最近までの俺と穂乃香の仲が悪くなった、と話が広まっていたからだろう。それらの視線に気付かない振りをしつつ、教室へと足を進めた。
この場所で、俺と穂乃香の血が繋がっていない事実を知っているのは今のところは滝椿だけ。滝椿が言い振らすことないと断言できるし、俺も穂乃香もわざわざ話題の種になる必要はないと、これまで通りの兄妹らしい距離感で過ごすことに決めた。
それでも、迷惑を掛けた人にはちゃんと話をするべきだと、朝のホームルーム前には夕貴を捕まえて、周囲の人に聞かれたとしても気付かれないよう直接的な言葉を避けて伝えることにした。話し終えると夕貴は眉間に皺をよせ、難しそうな顔をして、そうだったんだ、と一言漏らしていた。そして、続けてこう言っていた。
「一か月後にさ、流星群が見れるんだって。またみんなで行こうよ。今度は穂乃香ちゃんとユキちゃんと成瀬さんを誘ってさ。絶対に面白いと思うんだ」
少しは驚くかと思っていたが、まさか疑問も質問すらなくスルーされるとは予想していなかった。これも夕貴らしいと言えばそうかもしれない。
――
昼食前には雪花から話があると言われ、みんなから少し離れた場所で向かい合っていた。
「大体の事情は穂乃香ちゃんから聞いた。まさか二人が血が繋がっていないだなんてね」
そう切り出した雪花も、あまり驚いている様子は無かった。
「まあけど、今までのあなた達を見てれば納得できることではあるんだけどね。でも、穂乃香ちゃんが私に内緒ごとをしていたことがちょっとショックだったのよねえー。だから、私もとっておきの内緒ごとを言うことにしたの。私、ずっと前から託真さんが好きだった」
返答に困っていれば、雪花は悪戯な表情を浮かべてこう言った。
「あれ? 本気にした?」
――
昼休みの後には成瀬を呼んで事情を説明した。
「よかったじゃん。これで悩みが一つ無くなったね」
誰も彼もが簡単に受け入れていた。不思議に思いそのことを告げると、
「だって、血が繋がっていてたとしても、二人はもう好き合ってたじゃん。何も変わらなくない?」
言われてみればそうなんだが、何となくしっくりとこないものがある。それよりも、と挑発的な眼差しで成瀬は言った。
「勘違いしてないで欲しいんだけど。私が託真君が好きのも変わらないから。隙があれば奪うから、忘れないでね」
――
放課後になると、滝椿が俺の元へやった来た。
「修学旅行のことです。僕は秘密裏に谷村先生と会い、託真君の携帯を奪うように助言しました。そうすれば託真君と穂乃香さんは困るから、と。その後は、穂乃香さんと連絡が付かないようにしました。お二人の仲を進ませない為の処置でした。ただ……谷村先生が託真君を快く思っていないのだと知っていたはずなのに、酔った勢いで教師が暴行を働くとは思いもしませんでした。僕が注意を怠っていたからです。すいませんでした」
そう言って滝椿は深々と頭を下げた。話を聞いて色々と合点がいった。直接的て短絡的な谷村にしては姑息な手段だと思っていたが、滝椿が絡んでいたのだと知れば納得がいく。その後の行動が読めないのは、何も滝椿の所為ではない。
修学旅行の件の殆どが谷村が悪いのだが、俺も悪かった部分もある。そのことを滝椿に告げると小さく笑い、ほんと、託真君らしいですね、と言った。そして、別れる前に滝椿は言った。
「これからはお二人の邪魔はしません。ただ、これからも友人でいてくれると嬉しいです」
――
滝椿と別れて後、旧体育館へと足を向けた。告白の返事をしなければならない。そっと穂乃香を送り出してしばらくすれば穂乃香からは見えない位置に栗崎が立っていた。
「これで、この想いに区切りがつきそうです」
これまでの経緯を話し終えると、栗崎はどこかすっきりとした顔でそう言った。
「ファンクラブは今日を以って解散になりますね。けれどもし、何か困ったことがあればいつでも頼ってください。力になります」
俺は頭を下げ、その時は遠慮なく頼らせてもらうよ、と言って別れた。
――
栗崎を最後に、話をしなければならない人を終えた。みんなあっさりと受け入れ、気持ち悪がる素振りは一切なかった。有難かった。
穂乃香の方も終わったらしく、相手が立ち去っていくのを待ってから穂乃香の元へと向かった。
「穂乃香」
声を掛けると、穂乃香はぱっとこっちを向いて俺を見た。その表情に疲れや怯えはなく、ただただ、真っすぐに見つめる真剣な瞳があった。
「託真にお話があります」
何やら重々しく穂乃香が言うので、思わず身構える恰好になった。
「私は託真が好きです。ずっと前から好きでした。この想いは何があっても変わることはありません。そのくらい、託真が好きです」
予期せぬ穂乃香の言葉に驚き、続く言葉にたじろいだ。
「でも、肝心な託真の返事をまだ聞いてません。聞かせてくれますか?」
そう言えばあの後、ちゃんと言葉にしていない。好きだと、面と向かって言葉にしていなかった。返す言葉は決まっているのに、胸の鼓動が邪魔をしてなかなか言葉にできなかった。
告白は勇気がいる。返事の内容もそうだが、それだけじゃない緊張が確かにあった。皆が通る道。その道を俺も辿ることになる。
そっと息を吸い込み、ただ胸にある想いを言葉にした。
それから少しあと、穂乃香は嬉しそうに微笑んで俺の胸に飛び込んできた。本来ならば、まだ学校なのだと注意するべきなのだろう。でも、今だけは、今日だけはもう少しこのままでもいいのではないか、と穂乃香を抱きしめ返した。
沢山の人の想いが散っていくこの場所で、ようやく俺は穂乃香を好きだと言えた。体を離して視線が合うと照れくさくなった。そんな感情を隠すようにそっと手を伸ばし、迷うことなく穂乃香の手にふれた。




