確かな気持ちと見えない絆8
「風邪をひいた日は、私の看病をしていた時だったね。少し前の告白の時も、怪我してたよね」
「穂乃香の所為なわけないだろ」
つい、乱暴な言葉が出た。この話題も何度目になるのか。その度に何度も言ってきた。穂乃香は悪くないと。
「いつも言っているだろ? 怪我の理由にしたって、先に手を上げてきたあいつらが悪いんだよ。穂乃香の意志で争いになったことなんてほとんどないじゃないか。穂乃香は周りに振り回されているだけなんだから、気にしなくていいんだよ」
容姿が優れていたから人目を惹いた。人目を惹けば人が集まり、人が集まれば諍いも起きる。そういうものだと受け入れてきた。しかし、そうじゃない、と言うように穂乃香は首を振った。
「私の所為でもあるんだよ。私がちゃんと話していれば、相手の人が感情的になって暴力を振るうことも、託が怪我をすることもなかった。告白の時もそう……。きっと、私の断り方が間違ってたって」
「それは、振られた腹いせだよ」
「そうだとしてもね、嫌な思いをさせない努力をするべきだったんだよ。しないと、いけなかったんだよ」
どうして今になって昔の話をするのかと疑問に思った。穂乃香の所為じゃない。誰がどう見てもそう思うだろう。あれはあいつらが身勝手に暴力を振るったに過ぎない。
努力をしないといけない。しないといけなかった。消え入りそうな声で穂乃香は言った。まるで何かを後悔しているように聞こえた。
「それだけじゃなくてね。外出する時も、いつも周囲に気を配ってたよね。私を守ろうとしてくれてたよね」
「妙な連中に絡まれないようにしてただけだよ」
「私の時、だけだよね」
仮に、それは穂乃香の思い過ごしだと言ったところで、穂乃香はその嘘を見破るだろう。穂乃香は確信をもって言っている。
穂乃香が隣にいなければ周囲を気にする必要がなかった。つまるところ、警戒しなければならない理由が穂乃香にあるということ。細かな要因を排除すれば、穂乃香がトラブルの種を呼んでいることに繋がる。
穂乃香はこう言いたのだ。今まで俺が怪我をしてきた原因は自分にあるのだと。
「いつも心配を掛けて、私の我儘に付き合わせてたんだよね。私の代わりに、いつも傷ついてたよね」
「そんなことない。穂乃香が悪いことなんて何一つないんだよ。俺が怪我をしても、それは穂乃香の所為なんかじゃない」
「託は優しいから、そう言ってくれるよね」
穏やかな口調の中に、反論を許さないような響きが感じられた。
「私の所為、なんだよ」
視線を落とし、自身を責めるように穂乃香は呟いた。
「今回の事も、私がずっと黙ってたから……。もっと早くに話していれば、託が倒れることはなかったんじゃないかって、ずっと考えてた。私が今まで隠してきたから……。でも、これ以上、託にだけ負担を掛けるわけにはいかないから」
そう言って穂乃香は心を落ち着かせるように一度だけ息を吐いて……。迷いのないまっすぐな瞳で俺を見つめると静かに言った。
「私と、託は……血が繋がってない。他人なんだよ」
僅かに震えた声と、空気のような透明な言葉が目の前を通り過ぎて行った。
「いきなりで困惑するかもしれないけど、順を追って話をするね」
俺は何を言えばいいのかもわからず、ただ穂乃香の顔を見つめながら、続く言葉を待っていた。
「事故に遭った後、お母さんの病室に私が呼ばれたことがあったの覚えている? あの時に、私のことを教えてもらった。詳しい話は手紙にしてあるから、読みなさいって」
そう言いながら上着の内ポケットから小さく折りたたまれた白い紙を取り出して、俺に握らせた。戸惑いながらもそっと手紙を開いてみれば、可愛らしい橙色の紙に懐かしい母さんの字が綴られてた。
「施設に預けられていたらしくてね、生後間もない私を、お父さんとお母さんが養子にしてくれたみたい。経緯は書かれていないけど、たぶん、捨てられたんだと思う。施設にいたってことは、何か事情があっただろうね」
穂乃香の話を聞きながら手紙の文字を目で追っていた。穂乃香の言うように母さんは短く、穂乃香が施設にいた話しか書いてなかった。何処の施設だったのか、預けられていた理由は一切書いてない。
初めて会った時の穂乃香はとても可愛らしかったこと、話し掛けると楽しそうに笑っていたこと、将来はきっと美人さんになるだろうと、お父さんと話したことは事細かく書かれていた。
ふれたくない話だったのかもしれない。もしくは直接、顔を見ながら話そうとしていたのかもしれない。
「私の、血の繋がった両親には会ったことないけど、手紙の最後に連絡先と住所が書いてある。一番下の方」
穂乃香が指をさした場所を見れば、隣の県の名があった。近いとは言えないものの、電車を使えばそれほど時間は掛からない。
「もし、会いたくなったら、ここに連絡しなさいって」
確かに、そのようなことが書かれている。
「急だったよね」
申し訳なさそうに穂乃香は言った。確かに急な話だと思う。衝撃的な話だったとも思う。けれど動揺はあまりなかった。信じられないとか、冗談だとか、疑うような考えはまってく浮かんでこない。
穂乃香の話をどこか他人事のような感覚で聞いているかのようだった。ただ、実感がないだけで、言葉の意味は伝わってきてはいる。
「俺と穂乃香は、血が繋がってないんだな」
独り言のように俺が言うと、穂乃香は頷いていた。
「私も信じられなかった。嘘が書いてあるはずないのに、嘘であってほしかった。お父さんとお母さんが本当の両親じゃないんだって、知りたくなかった。本当は私が二十歳になってから話そうとしてたみたい。受け入れる準備が整ってから話したかったって、言ってた」
母さんらしい配慮だと思った。
ふと、病室のベットに横たわる母さんの姿を思い出していた。話をするだけでも大変だったのに、それでも、俺と穂乃香に残りの時間を使ってくれた。きっと、これが最後になるかもしれないから、穂乃香に真実を話したかったんじゃないだろうか。
「私は、託と家族でいたかった。たとえ血が繋がっていなくても、仮初の兄妹でもいいって思ってた。この事実を私が忘れてしまえば、本当の家族になれるんだって思う日もあった」
そう言いながら、穂乃香はそっと俺の手を握った。
「でもね、私は託が好き。本当の家族なら、本当の兄妹になるなら、託を好きでいちゃいけない。この気持ちは伝えてはいけないって自分に言い聞かせてた。それでも、どれだけ時間が経っても、この気持ちは無くならなくて……無かったことに出来ないから、せめて隠していようって思った」
俺の体温が高いからなのか、穂乃香の手がやけに冷たく感じた。緊張しているのだろうか。
「でも駄目だった。どれだけ抑えようとしても気持ちが溢れてくるの。ふれてほしいって、思ってしまうの。この気持ちは抑えられない。隠せないんだって」
力が入らないから握ることは出来ないけど、ふれているだけでいいと思えた。ずっとこうしていたいと思った。
「もう悩まなくていいんだよ」
優しい眼差しが微かに潤んでいた。
「私は託が好き。誰からも後ろ指をさされることもないし、隠すことでもない。だって、普通のことなんだから」
穂乃香の話を聞き終えて、思ったことはたった一つだった。
「もう、いいのか……」
そろそろ体力的に限界らしく、頭が働かなくなってきている。それでも、今後は穂乃香を好きなままでいいのだと、それだけは理解できた。それだけわかれば十分だった。




