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ふれられないもの  作者: 柳
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日常8

 

 つつがなく午後の授業を終えて放課後になると、校内にはちらほらと生徒が残る程度になる。家路へ急ぐ人、部活に向かう人、友達とお喋りしている人。それぞれの時間を過ごしている。


 そんな人たちを横目に見ながら、俺と穂乃香は旧体育館に向っていた。早朝の下駄箱に入っていた恋文の返事をしに行かなければならない。返事をしたからといって相手が期待しているような何かが始まるわけはなく、何も生まれるはずもなく、ただ面倒でしかない形式だけのやり取りが終わるだけ。


 もちろん双方に断る意味はある。けれど、律儀に付き合う必要は何処にもない。強制力もなければ無視することだってできる。けれど受け取った人――つまり、穂乃香がそれら不義理を許さない。


 〝人の気持ちを軽く扱ってはいけないと思います〟


 そう言われてしまえば、反論など出来るはずもなかった。


 西階段を下りて一階に着くと、生徒の姿はなくなり静かになる。三年前に新しく体育館ができた為、旧体育館はめったなことでない限り使われなくなった。この辺りに用がある人はめったにいなく、告白の返事をするならもってこいの場所となっていた。


 さらに廊下を進んで行く。二人分の足音が響く廊下は夕日が反射し、壁や床を茜色に染めていた。綺麗だと思った。今の穂乃香の目にはどう映っているのだろうか。目的地へ近づくにつれ、袖を掴んでいる手に力が入っていくのを感じる。きっと、不安で怖いのだろう。


 ただでさえ人見知りなのに、これから会うのは男子であり告白される。断ると決まっているとはいえ、その人の想いを断たなくてはいけない。俺には想像もつかない、複雑な想いがあるのだろう。だからこそ、兄である俺がなんとかしなければならない。


 穂乃香が嫌な思いをしないで済む方法がないか、現在進行形で探しているものの、いい案は浮かばない。今日も没になるだろうアイディアだけが浮かび、校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下に着いた。


「ここで待ってるから」


 なるべく明るい声で穂乃香に告げる。


「うん」


 俯いている穂乃香。なかなか手を離そうとしない。


「代わりに俺が言ってきてもいいんだぞ?」


 穂乃香は小さく首を振る。


「相手の人に失礼だから……」

「そっか」


 それ以上の言葉は見つからず、俺は乱暴に穂乃香の頭を撫でた。穂乃香は嫌がる素振りなく目を閉じて、ゆっくりと深呼吸してから顔を上げた。


「行ってきます」


 穂乃香は笑顔を向けると手を離した。俺はその場に留まり、小さくなる後姿を窓越しから見つめていた。いくら兄妹だからといえ告白に付いて行くことは出来ないし、そもそも穂乃香が嫌がる。だから、少し離れたこの場所で見守っていた。


 穂乃香が向かっている先には、既に男子生徒がいる。緑のネクタイをしているので俺たちと同じ二年生らしいが、顔に覚えはなかった。男子生徒は穂乃香の姿を見つけると途端に表情を明るくした。想いが成就したわけでもないのに嬉しそうにしている。ようやく、穂乃香と二人きりで話せるからだろう。


 あまり親しくない相手の前では言葉少なくなってしまうというのもあるが、俺や雪花が男どもを寄せ付けないようにしているので、誰であっても簡単には話せない。まとまに話せる機会が告白の時だけとなっている。その共通認識が悪い方へと向かっているから、恋文が後を絶たない。


 穂乃香の守りを固くした結果としてこうなってしまったが、こればかりは仕方がないと思う他ない。もともと、連中が節度ある距離感で穂乃香と接していれば、ここまで過保護になることもなかった。もっと普通に過ごせていたら、といつも思う。


 俯いたまま歩みを進めた穂乃香は、男子生徒から少し離れたところで立ち止まった。しばらくして男子生徒の口が開かれる。ここからでは何を言っているかはわからないが、きっと自分の想いを伝えているのだろう。男子生徒が口を閉ざしてしばらく、穂乃香は頭を下げた。その後、一言二言告げると足早に走り去っていった。その姿を見送ってから穂乃香のもとへ向かった。


「お疲れ」


 穂乃香は俺を見ると、安心したように息を漏らした。


「お疲れさまです」


 そう言った穂乃香の表情は少しばかり固く、どことなく疲れを滲ませていた。


「何か言われたか?」


 穂乃香は首を振った。


「特別なことは何も……」


 穂乃香に元気がない。仕方ないと言えばそうだが、それで納得できるわけもない。向こうから一方的に想いをぶつけられ、返事を求められるシステム。相手は少なからずショックを受け、その事実に穂乃香は胸を痛めている。穂乃香は何も悪くなく、想いを伝えた男もきっと悪くはない。


 なら、何が悪い?


 それを考えたことろで答えが見つかるわけもなく、無意味な考え事をすくらいなら少しでもやれることをした方がいい。何をしようかと思案すれば、瞬時にいつくもの提案が浮かんでくる。その中で一番簡単な行動を選び、悟られないうちに動き出す。


 それは準備も道具も必要ない、子供の頃に少しだけ流行ったお遊びのような戯れ。俺は素早く穂乃香の頬に顔を寄せ、ふっと軽く息を耳に吹きかける。次の瞬間、普段の穂乃香からは想像できない速度で半歩飛びのくと、俺を見つめて耳を押さえた。表情からは驚きと羞恥と怒りが入り混じっていた。


「耳は駄目って、言ってるよね?」


 文句とは少し異なる控えめな抗議。なんとも可愛らしい。穂乃香は昔から耳が弱く、どうすれば一番効果的にくすぐったくなるのかを俺は把握している。追撃とばかりに一歩踏み出せば、穂乃香は警戒して距離を空ける。


「何もしないよ」


 そう言いながら、何とも嘘らしい発言だなと自分が一番思う。想像していたよりも子供のように怯える穂乃香があまりにも可愛くて、にやついた顔が戻らない。ただ、警戒し過ぎて距離を空けられたままでは何もできない。


「何もしないから、帰るよ」


 俺が背を向けて歩く出せば、穂乃香がそっと後ろに付いてくる。いつ振り向いて驚かそうか、と考えただけで楽しくなってくる。その魂胆がばれているのだろう。穂乃香は二人分の距離を決して詰めない。


 そうしてふざけ合いながら、俺と穂乃香は帰路に着いた。

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