修学旅行とそれぞれの想い17
なかなかに味のある物だと感心していれば、穂乃香は二葉となった片方を俺に渡した。その行為の意味を遅れながらに理解して僅かに顔が熱くなった。それは言葉のない告白のようだった。
「私、先生呼んでくるね」
言うが早いか穂乃香は部屋を出て行った。一人になり辺りが静かになると、体の内側から鳴る音を嫌というほど認識させられた。壊れてしまうのではないかと思うぐらい、心臓が高鳴っている。唇を重ねた時の光景が勝手に頭の中でリピートされ、その度に身悶えるような羞恥と、ぼんやりとした幸福感に包まれていた。
唐突で、突然で、前置きも、予兆もない出来事は、曖昧だった穂乃香との距離を確かに縮まったのを感じていた。
夢と現実の境目にいるかのような心地の中、遠くからドアを叩く音が聞こえてきた。顔の熱は依然として冷めないままだが、返事をしないわけにはいかなく、せめてにやけないよう気を付けながら、どうぞ、と告げた。ドアを開けたのは滝椿だった。
「元気そうでなりよりです」
そう言い、滝椿はベットの横にあるパイプ椅子に座った。
「どうしてまだここにいるんだ? もう新幹線に乗ってるはずだろ?」
家族である穂乃香は例外として残っていても不思議ではない。もしかすると、その考え自体が間違いで、まだみんな帰っていないのだろうか。
「無理を言って残させてもらいました。帰りが遅くなっても、どうしても託真くんが目覚めるまではここにいたいと。京都に残っているのは僕と穂乃香さんだけです。夕貴くんたちも残りたがっていましたが、僕が代表としてここに」
「そっか」
「身体の調子はどうですか?」
そう滝椿は言い、包帯の巻かれた俺の頭を見ていた。大げさに包帯を巻いているのも、出血している為だと医者は言っていた。傷が塞がれば問題ないらしい。
「見た目ほど大したことはないよ。普通に歩ける」
「そうですか。よかったです」
「悪いな、付き合わせて」
「好きで残ったのですから、託真くんが謝ることじゃないですよ」
それに――と言って、滝椿が俺を見据えた。
「こんな時に言うのはどうかと思うのですが、穂乃香さんのことについて、まだ話していないことがありまして」
深刻そうな滝椿の顔が、いつか見た風景と被った。つい昨日の滝椿との会話が思い起こされた。
隠し続けていた俺の想いを滝椿は知り、このままだと取り返しのつかないことになるのだと告げられた。見ない振りを続けていた事実に向き合わされ、俺の甘えを糾弾した。何をするべきなのか、思い出したくもない幾つもの言葉が胸に突き刺さる。
「忘れないでください。傷つくのは穂乃香さんです」
忘れていたらどれだけ幸せだったか。その考え自体が俺の甘えだということを、今ははっきりと感じていた。ついさっきまでは確実にあったはずの幸福感は、今はもう何処にもなかった。
「拒絶すれば穂乃香さんは傷つくでしょう。それでも、傷は浅いほうがいいです」
今更言う言葉はなく、俺は無言で頷いた。
「僕に言えるのはここまでです。あとは託真くんが考えて決断してください」
「ああ」
「大丈夫です。僕が傍に居ます」
力強い励ましの言葉にまた頷いて、滝椿は部屋を出て行った。静かな部屋に、自分の呼吸する音だけが聞こえてきた。
最低な気分だった。幸福の絶頂から地獄へ叩き落されたような――。何処かの誰かが、俺を苦しめようと仕組んでいるんじゃないかと思えるくらい、完璧で最低な今までの流れは、十分すぎるほどに俺に苦痛を与えていた。被害妄想のような思い込みすらあった。
けれど、そんな誰かはいなくて。それも全て、俺が招いた結果なのだと思うとやりきれない思いがこみ上げてくる。
あの時、散々悩んだ。散々悩んで迷った。そして、決めた。これから、俺がやらないくてはいけないことを。俺がいなくなることで、少しでも穂乃香が幸せになるのなら、自分なんてどうなってもいい。それでいい。




