日常7
それを教えるには実際に何か作って見せるの一番だと思うものの、そんなことの為に時間を割くのも面倒だ。さてどうしたものか、と考えていれば、「託は出来るよ」と、曲がりようのない証明が隣から降ってくる。穂乃香の言葉こそが絶対の証。それを突き付けられればぐうの音もでない。渋々だけど、認めたくないけど、という顔で雪花は納得していた。
必要に駆られ覚えた俺と穂乃香が特例であり、本来なら雪花の方が一般的なのだろう。それよりも、この中で一番何も出来ないであろう男がいる。そいつは変わった雲が気にならしく、一人離れたところでぼけっと空を眺めていた。本当の意味で料理を教わらなければならない人物ではあるのだろうけど、興味のないことはしないと思える。
「ゆうは相変わらずだね」
同じく夕貴を見ていたのだろう雪花が、ぽつりと呟いていた。その視線はやけに優しく、雪花を知っている人も知らない人も、ある勘違いを思い浮かべる。絶対とは言い切れないが、ほとんどないと言って間違いのない、二人の間にある恋愛感情。長い付き合いである俺たちからすれば、雪花が夕貴を見る視線は母親のそれになる。
「そういえば、お前ら同じ中学だったんだよな? その頃の夕貴はどんな感じだったんだ?」
食事を終えたタイミングで話を振ってみたが、雪花はその場から四つん這いで移動し始めていた。そのままの姿勢で俺と穂乃香を通り過ぎ、(動く度スカートから覗く健康的な太ももは見ないように注意しつつ)後ろにいる夕貴の背後で膝立ちで停止すると、小さなポーチから櫛と小瓶をり出していた。
「うーん。私が初めて見たのは中学二年の時だから、その時からあまり変わってないかも」
雪花は慣れた手つきで小瓶から液体を噴射し、寝ぐせ部分へとあてて櫛で梳かしていく。その間に互いの合意はない。夕貴はされるがまま。雪花は当然のように。この光景を見れば勘違いする人がいて当然のように思える。
「ゆうって喋らなければ美男子に見えなくもないでしょ? それで中学頃告白した子がいたの」
何気なく振った話題だったが、意外にも興味深い話が始まった。夕貴に恋の文字はなかなかに結びつかない。
「その子、真剣だったみたい。でも、ゆうはあんな感じでしょ? うまくいくとは思えなかったんだよね」
どんな感じだったのかは想像するしかないが、今の夕貴とそれほど変わらなければ、雪花の言わんとすることは理解できる。
「それで、どうなったんだ?」
「直接聞いたわけじゃないんだけど、ゆうはね。君は、僕の何を見て好きになったの? って訊き返したらしいの。不思議そうな顔でだよ?」
雪花は語りながらも、当時のことを思い出しながら小さく笑っていた。実際にその場に居合わせたわけではないが、そう告げた時の夕貴の表情は簡単に思い浮かべることが出来た。ただの断り文句ではなく、単純に不思議だったのだろう。その時、本人がどう考えてそう答えたのかはわからないが。
「それでその子、結構落ち込んじゃってさ。話を聞いた人が悪評を広めてゆうを徹底的に遠ざけたの」
なんとも学生らしい話だと思った。特別な話ではない。過去、似たようなことが穂乃香にも起きたことがある。わざわざここで語る必要はない。
「でも、ゆうは平気な顔で過ごしてた。もともと一人でいる事が多かったし、悪口だって多分聞こえてすらなかったんだと思う」
それは俺たちとは違う。穂乃香の悪口があったのなら放置などするわけがない。
「それから変に悪目立ちしちゃって、変人だって言われるようになったってわけ」
でもね、と雪花は続ける。
「私はその発言がなくても一目でわかってた。ゆうは、私たちには無いものを持ってる人なんだって」
決して愉快な話ではななかったが、夕貴の話している雪花の姿はなんとなく楽しそうに見えた。
「そうかもな」
夕貴は俺とは違うものを見ている。それは出会って間もなく感じていた。
傍から見れば天体好きの寡黙な青年風であり、ひとたび蓋を開けてみれば不器用で無関心な、天体にしか興味のない男だということ。何もない空を見て、何を考えているのかわからない。根っからの善人で、優しくて、いつも明るいのが夕貴だと。
変わった言動と行動で変人扱いされ、距離を置かれるのは間違っている。本人が気にしていないのならとは思うが、まったく気にも留めないのは問題だと思った。もっと自分にも興味を持っていれば、少しは違ったのではないだろうか。
「あのさ」
話は終わったはずだが、夕貴が何が言いたそうに言葉を吐いた。
「本人の目の前で話すことじゃないよね?」
その言葉は当然のような、そうでもないような気がした。実際、本人に尋ねたとしてもちゃんとした答えが返ってくるとは思えないからだ。
「ねえ、ゆう。その時の話、覚えてる?」
雪花が問いかければ、夕貴は言葉に詰まっている。たぶん、覚えていなのだろう。
雪花の話は決して愉快な話ではなく、ある意味、被害者である本人が忘れられるならそれが一番いいのだろう。けど、まったく気にも留めていないのは問題でもあるような気がした。能天気というか自由であり、マイペースで、今も言われるがまま寝ぐせを直されている姿は情けなくもある。
まったく、と思うと自然にため息が漏れる。離れた二人には気づかない程度の小さなものだったが、そんな些細な行動に気付き、癒すように俺の手を掴んでいる人がいた。顔を上げると、穂乃香が心配そうに俺を見つめていた。
「大丈夫。なんでもないから」
「本当?」
穂乃香はまだ心配そうに俺を見つめている。顔を近づけ、表情から本当に大丈夫かと判断しているようだった。勘違いさせてしまっているのは申し訳なく、早めに訂正したいのだが言葉が出ない。
本人は気付いていない。かなり顔が近く、ほんの少し前に顔を倒せばふれてしまうほどの距離で見つめ合っている。誘惑に負けない最前の方法は誘惑そのものから距離を空ける。もしくは目を避けることにある。それを知っていても、目の前の瞳が俺を惹き寄せて離してくれない。
透き通った瞳。小さく整った鼻。やわらかそう唇。逃げ場など何処にもなかった。
「あなた達って、兄妹と言うより彼氏彼女て感じね」
雪花の発言で止まっていた時間が動き始めた。そっと穂乃香から距離を空け、雪花に顔を向ければ何かを探るような視線で俺を見ていた。からかわれているのだとわかっているのに、うまく言葉が出てこない。予鈴が鳴った。
「さて、行くか」
穂乃香はてきぱきとシートを畳んでいた。