修学旅行とそれぞれの想い14
それから何処へ行って、何を喋ったのかをあまり憶えていない。もしかしたら何処へも行ってないのかもしれないし、何も喋らなかったのかもしれない。ただ時折、心配そうな夕貴の顔が浮かんでは消えていった。
自分の部屋に帰り着きベットに腰かけると、いつの間にか手元に携帯があった。滝椿と夕貴が谷村から取り返してくれたのかもしれない。真っ黒な画面をタップすれば不在着信があった。雪花と成瀬、それから穂乃香からだった。
着信履歴を埋め尽くす件数を見れば、穂乃香がどれだけ俺を心配していたのかが伝わってくる。すぐに謝りの電話を掛けようと思ったが寸前で手が止まった。どう話せばいいのかが途端にわからなくなった。
今まで数えくれないくらい対話を重ね、考えるまでもなく自然に言葉は出てきた。でも、今はそれがわからない。こんな状態で話せば余計に心配させてしまうだろうと画面を閉じた。きっと、夕貴と滝椿が事情を話してくれるだろう。迷惑ばかりかけて申し訳なく思う。でも、今だけは何も考えたくなかった。
「あのー。桜井くん、いますか?」
夕食の時間まで横になろうと思っていたが、聞きなれない声に体を起こした。ドアの方を見れば、あまり印象のない男がドアを開けて部屋の中を覗き込んでいた。
「……なに」
俺はそう尋ねた。目が合うと彼は目を伏せた。
「あ、あの。ちょっと来てくれないかな?」
「どうして?」
「妹さんのことで、ちょっと」
それ以上の言葉はなく、彼は部屋の外に立ったまま俺を待っていた。もうしばらく落ち着いてからこれからのことを考えようと思っていた矢先のことだったのに。その時間すら待たせてくれないらしい。
「わかった」
重い体を起こし、足早に先を歩く彼――高橋の後を付いて行った。
彼は終始、怯えたような表情をしていた。行き先を告げなかった。その不自然さは気付いていたが、あえて何も訊かなかった。それからずいぶん歩かされ、旅館からもだいぶ離れていた。細い路地を通り、階段を上った先にある人気のない駐車場でようやく高橋は立ち止まった。
「こんなところに連れてきて、何のつもりだよ」
そう問いかけても、高橋は背を向けたまま口を閉ざしていた。肩を掴んでこちらを向かせると、高橋はますます怯えた表情で俺から視線をそらした。額から汗を浮き上がらせ小刻みに震えている。それでも、固く閉ざした口は何も語ろうとはしなかった。
「よう。桜井」
怯える高橋の代わりに聞き覚えのある声が駐車場に響いた。声にしたほうに顔を向けると、谷村がにんまりと笑って俺を見ていた。なんとなく事情を察し、高橋から手を離した。その直後、高橋は俺から離れ、谷村の背後にまわった。まるで、味方の陰に隠れるように。
「ごめんなさい。谷村先生に言われて……桜井くんを連れてこいって」
視線をあわせず俯く彼は、震える声で懺悔し始めた。
「そうしないと、体育の成績を下げるて言われて……どうしようもなかったんだ。従うしか、なかったんだ」
根っからの気弱なのだろう。そして、彼にとって理不尽に成績を下げられることは、何よりも困ることなのだろう。そこに谷村はつけこんだ。教師という立場を利用して脅した。高橋の行動は決して褒められたものではないだろうけど、そもそも高橋に罪はない。憎むべき相手は間違えようがない。
「理解したか? 桜井」
谷村は満足そうに笑っていた。自分が何をしているのか、どれだけ非情な行為を行っているのか、高橋がどれだけ心を痛めているのか理解していないのかもれない。
「お前みたいな下衆な人間が考えたことなんて理解したくねえよ」
「そう粋がるな。まだこれからなんだからよ。高橋。お前は誰か来ないように見張っていろ」
その命令に、高橋は困惑した様子で谷村を見つめた。
「まだ、帰してくれないんですか?」
「口答えしてんじゃねえよ。成績、下げられてえのか」
谷村の唸り声に怯え、高橋は慌てて入り口に向った。出会ったころから酷い人間だと思っていていたが、こうして客観的に見せられると快感がいっそう強くなる。こんな人間が人を教える立場に居るだなんて世の中狂ってる。
「さあーて、お楽しみはこれからだ」
谷村はゆっくりと俺に近付き、手の届かない距離で立ち止まった。目をぎらつかせ、獲物を狩る野生動物のような顔で俺を見つめていた。
今までは穂乃香に迷惑が掛かると思い、理不尽な体罰に耐えてきた。けれど、今だけは我慢できる自信がなかった。谷村の無駄にデカいまんまるとした鼻をへし折ってやりたい。そんな衝動が体中を駆け巡っている。
「そんなに焦るなよ」
今にも飛び出しそうな俺を感じ取ったのか、谷村は一歩下がる。
「ひとつ、忠告してやる」
「理不尽な説教はもういらない。話したいのなら違う奴としろ」
「聞いておかないと、後で後悔することになるぞ」
どうせ禄でもないことだろう、と思いつつも次の言葉を待った。
「もし、俺に少しでも暴力行為をした場合な、お前のお友達全員、同じ目に遭うことになる」
「関係ない生徒に手をあげれば、お前も只じゃ済まない」
「誰が俺がやるっと言った? 教師の俺が手を出せばお前の言う通り問題になるだろうよ。でもよ、偶然、素行不良のわーるい連中が、偶然にもお前の友達を襲うこともあるだろうよ」
何が面白いのか、必死に零れそうな笑みを堪えようとしている様は、なんとも悪党らしい。そんな偶然、あるわけがない。
「まどろっこしいのは抜きにして、やりたいようにしたいんだよ、俺は。好きに出来ない学校じゃあ、ストレスが溜まるんだよ」
「だから俺を脅して、好き勝手やる、と」
「だってよお、お前。生意気なんだよ。教師の、目上の人に対する敬意が抜けてんだから、苛つきもするだろ」
ふと、口調がいつもと違うことに気が付いた。何処となく顔も赤く、ここへ来る前に酒でも飲んできたのかもしれない。
「時間もなくてよ。焦ってるんだよ。だから、今日が絶好の機会なんだよ」
そう言いながら、谷村は身体を左右に揺らしていた。




