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ふれられないもの  作者: 柳
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修学旅行とそれぞれの想い13

 

 目の前の道を、沢山の人が行き交うのを見続けた。ふと、人と人の切れ目に小さなリュックサックが一瞬だけ見えた気がした。惹かれるように視線を追いかければ、そこにはふたりの幼い子供が歩いていた。高学年ぐらいの男の子と、幾つか歳の離れた小さな女の子。兄妹だろうか。仲睦まじそうに手を繋いは楽しそうに笑っていた。何を話しているのだろうか。それがとても気になった。


「穂乃香さんに会えなくて淋しいですか?」


 兄妹らしきふたりに気を取られていると、いつの間にか滝椿が隣に座っていた。


「そうでもないよ」


 淋しいくはない。ただ、後悔だけが胸に残り続けている。


「俺が悪かったんだよ。二人が連絡してくれれば問題ないって思いこんでたからさ。約束だって行き当たりばったりだったし、こうなっても仕方なかったんだよ、きっと。誰も悪くない。俺の考えが甘かっただけ」

「そうでしょうか」

「そうなんだよ」


 そういうことなのだろう。最初からこの話は俺の我儘だった。だから、ミスも失敗も全ては俺の責任でしかない。夕貴も滝椿も悪くない。ただ……。


「穂乃香には悪いことしたな」


 問題ない。心配すんな。そう言ったのに。今も何処かで、俺を捜しているのだろうか。


「僕は、夕貴くんや雪花さんに比べ、託真くんとの付き合いは短いです。でも、僕なりに理解しようとしてきました」


 ふと、滝椿が言った。前置きもなく何ら脈絡もない話だった。


「ようやくあなたの気持ちを理解できるようになりました」

「俺の気持ち?」

「あなたは――穂乃香さんを妹としてではなく、ひとりの女性としてみていますよね?」


 ドクン、と心臓が鳴った。予期せぬタイミングだった。心構えも出来ない不意の言葉に僅かでも動揺してしまった。この感情だけは気付かれず、悟れないようにずっと胸の奥深くに隠してきた。友人にも、家族にも秘密にしてきた。僅かな可能性すら抱かせてはいけなかった。咄嗟に、それは違う、と否定を告げようとして、絶妙なタイミングで遮られた。


「大丈夫です。誰にも言いません。このことは僕の胸に秘めておきます」


 秘密を共有する者同士、といった感じの親密な視線が向けられた。滝椿が何を言いたいのか、何を考えているのかがまったくわからない。


「僕の目から見ても、あなた方は理想的な関係です。互いを想い、思いやり、敬いあう。素敵なことだと思います。まるで理想的な、恋人のように――」

「ちょっと待てって。何を言うかと思えば。俺たちは兄妹だ。恋人だなんておかしいだろ」

「そうですね」


 滝椿は表情を緩めなかった。正面を見据えたまま語る声に感情はなく、俺が何を言おうが止まらない意思と強引さだけがあった。


「それでも、お互いが求め合い、男と女の関係になったと仮定します。恋人となり、幸せの中で過ごすことになるでしょう。ですが、その幸せは必ず壊れます。必ずです」

「何を勘違いしているか知らないけど、そんなことにはならない」

「本当に、そう思いますか?」


 試すような視線が向けられた。臆してはいけない、と自分を偽り続ける。


「そうだよ。そんな未来はない」

「いくら隠しても否定しても、事実は事実です。意味がないんですよ?」


 滝椿の言うことが事実だとしても、この感情だけは別だ。隠すことも否定することも意味がある。少なくとも、ここで認めてしまえば取り返しがつかなくなる。だから繰り返さなければならない。


「俺たちは兄妹だ。妙な勘繰りはやめてくれ」

「認めたくない気持ちはわかります。でも、今の関係を続けたとしても、傷つくのは穂乃香さんですよ?」


 否定し続けなければならないのに、違う言葉が出そうになって口を塞いだ。


 そんなこと言われなくても知っている。嫌というほどわかっている。そう叫んでしまいそうだった。滝椿に言われるまでもなく、俺が抱えてきた想いが間違っていることぐらい知っている。


 途方もない時間、穂乃香を想い続けてきた。だから、叶わない未来を夢見てきた。幸福な想像も、その先にある不幸も。


「周囲の人は誰も認めない。それどころか蔑み、忌み嫌い、あなた達を迫害するでしょう」


 言い返したいのに言葉は、いつの間にか穂乃香に対する俺の想いではなくなっていた。滝椿の言うような未来が必ず訪れるとは限らない。そうならないかもしれない。そういう否定に変わっていた。無理にでも否定しなければならないのに、何を否定すればいいのかがわからなくなって、今は息をするのも苦しい。


「託真くんも、そう思っていますよね?」


 返す言葉は見つからなかった。必死に嘘を吐き続けても滝椿はそれを認めない。だから、言ったところで意味がない。既に滝椿の中で確定してしまっている。それを覆すだけの言葉もない。


「あなたたちは兄妹です。それは変えられない事実です」


 滝椿の言う言葉はすべて正しくて、間違いなんてどこにもなかった。反論しようとも思わない。それは、俺がずっと思っていた。


 兄妹である以上、親愛ではない恋情は異常そのものであり、踏み込んではいけない領域は存在する。だからこそ俺は足を止めていた。先に進まず、後ろに下がらず、今の位置で満足しようとしていた。


 危機感は感じていた。今の生活を続けていれば、穂乃香が一歩こちらへ足を踏み出せば、俺は自分の気持ちを押さえられない。そう感じていて見ない振りをしてきた。


「あなたたちは近すぎた。それを正さなければならない」


 この感情は間違っていると思っていた。そう思っていても消すことが出来なかった。だから、滝椿の言う〝正す〟に続く言葉が少し気になった。


「正すって、何をだよ」

「託真くんも気付いていると思いますが、穂乃香さんは、〝誰かに守ってもらわないといけない〟ようになってしまっています。もちろん、穂乃香さんの境遇を考えればそうせざる負えないのも十分にわかっているつもりです。ですが、それでいいとは思っていませんよね?」

「……そうだな」

「あなただけじゃない。佐藤さんも夕貴くんにも責任はあります。けれど、そうさせたのは、いつまでもあなたが傍にいたからに他なりません」

「俺の所為、なのか」

「厳しく言うならそうなります。穂乃香さんを守ろうとしているあなたの姿は立派です。誰もがそう思っています。ただ、それだけでは穂乃香さんを〝本当の意味〟で助けることにはなりません。守ってばかりでは鳥かごに捕らわれたままなのと変わりません」

「鳥かご……」

「そうです、距離を置くべきなんです。そうでないと、いつまでも穂乃香さんは一人で歩けない。必要なことなんですよ」


 滝椿の言葉のひとつひとつが胸に刺さるようだった。


 ずっと前から望んでいた。俺が傍に居なくても平気でいられたらと思っていた。誰とでも気兼ねなく話せるまではいかなくても、普通に会話くらいは出来るようにしたい、と。


「距離を置けば間違いも起こりません。時間を掛ければ気持ちも薄らいでいきます。託真くんは穂乃香さんの為に、自分の気持ちを抑えなければいけない。甘えてはいられませんよ」


 滝椿はよく見ているのだろう。短い付き合いでも、俺の心情をよく理解している。〝甘えている〟という言葉が的確過ぎて笑えてくる。俺は、自分の気持ちを優先させる為に、穂乃香と一緒に居たいが為に穂乃香を独占して、誰にも近寄らせないようにした。それを良しとしていた。甘えていたのだろう。


「現状を見るに、託真くんから距離を置こうとしても、穂乃香さんは決して離れないと思います」


 滝椿は確信しているように言った。まるで、この先の未来を知っているかのように。


「それでも託真くんは“やらなければなりません”。穂乃香さんから距離を置くことこそが、他ならぬ穂乃香さんの為でもあり、あなたの為でもあるのですから」


 穂乃香の為。そう思えば何でも出来た。大切な人を守る為なら、どんな代償も厭わなかった。


 どうすればいいのだろう。滝椿の言っていることは正しくて、そうする必要があると俺自身が感じている。でも、頭で理解していても心が追い付かない。穂乃香の傍を離れたくないと言い続ける、未練がましい想いが消えてくれない。


「すいません。僕なんかが余計なことを言って」


 ふと隣に視線を向けてみれば、太ももの上の滝椿の手がきつく握り締めているのが見えた。


「でも、これ以上ふたりを見ていられなくて。友人として、言わずにはいられませんでした」


 申し訳なさそうな声が、今までの言葉が本意ではなかったのだと言っているようだった。仮に、滝椿の言葉に他意があってとしても何も変わらない。ずっと前から、わかっていた。どれだけ想っていても、その想いは決して叶うことがないことも。表に出してはいけないことも。


 わかっていたんだ。穂乃香は依存している。俺の背に隠れるばかりで、自分で歩き出そうとしない。


 そうさせたのは俺で、俺が穂乃香の傍から離れたくなかったから何もしてこなかった。俺の我儘が、今の現状を作り上げている。滝椿に言われるまで、わかっていたのに見ない振りをしてきた。ほんと、どうしようもない。


「すいません」


 滝椿が謝る。


「お前は何も悪くない。全部、俺が招いた結果だ」


 俺の我儘が、自分本位な考え方が、ほんと情けなくて嫌になる。滝椿の言葉。俺が思っていたこと。目を逸らしていたこと。見ない振りを続けて、現状維持を続けていたこと。俺の甘え。穂乃香の甘え。正しい感情。間違った想い。


 正すのなら、正せるのなら。俺がやらなければならないこと。やるべきこと。


 そっと顔を上げて、聞こえない喧噪の中に目を向けた。この旅行の最後に見ておきたかった。けれど、いくら探しても、手を繋いでいたふたりは見つけられなかった。顔を両手で覆った。


「悪い。もう少しだけ、休ませてくれ」

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