修学旅行とそれぞれの想い12
「お前の友達は、ほんと良い奴だよな」
ようやく口を開いたかと思えば、谷村はそっと俺の肩に手を乗せた。その際の満面の笑みを見た瞬間、ああ、また良からぬことでも考えているのだろうと直感した。
谷村は肩をつかんだまま思いっきり横に力を加えた。抵抗する間はなく、左半身を廊下に打ち付ければ、床の衝撃の痛みよりも先に固まった足が悲鳴を上げた。谷村を前にして痛みを表に出したくはなく、歯を食いしばった。
「ああ、そうだ。これが無いとお前は困るだろ?」
倒された時にポケットから零れたのか、谷村は俺の携帯を見せびらかすように目の前で揺らしていた。今、連絡手段を失うのはどう考えても痛い。
これ以上の横暴を黙って受け入れるつもりはなく、背を向ける谷村を追おうと足に力を入れ途端、倒された時よりも強い痺れが体を駆け抜けた。耐える以前に力が入らなく、床に足すら付けない始末だった。立ち上がれもしないのであれば追いかけることも出来ないと、早々に諦めをつけて痺れが消えるのを待った。
騒がしい声の一団が遠くから聞こえてくると、滝椿と夕貴が誰よりも早くに駆けつけてくれた。“酷いことをするんですね”そう滝椿が漏らし、夕貴は悔しそうに下唇を噛んでいた。
歩けるまでに回復し、三人で食堂へ行けば一人分の料理がテーブルの上に残されていた。事前に話を通してもらわなければ、遅刻を理由に朝食抜きにもなりかねない。
席に着きながら時間を確認すれば、既に出発時間を過ぎていた。今から急いでもしょうがない、とバターをたっぷりと塗った食パンを齧り、コーンスープに口を付ける。散々待たされたおかげというべきか、大したことのない朝食がとても美味しく感じられた。
隣に座る夕貴は迎えに来てからずっと気落ちしていた。悪いのは全部谷村だと事実を伝えても、夕貴の表情は晴れなかった。気に病む必要なんてこれっぽっちもないのに。
寂しい朝食も、静かだと思えば得した気分になる。せっかくの旅行を、谷村の悪意で台無しにしてたまるか。
谷村に対する怨恨を残したくなく、食パンを噛み砕くだき飲み込むことで不満を消化した。食事を終えて部屋に戻る途中に出くわした教師に谷村の所在を尋ねてみたが、知らないと言っていた。もし偶然見つけたとしても素直に返してくれないだろう。けれどそれは念のための確認であり、携帯をなくしたとしても連絡手段は他にもあるのだから問題はない。そう思っていた。
ホテルを出てすぐ、今後の予定を二人に話した。穂乃香か雪花に連絡してくれないか、と。出発時間が遅れている為、このまま金閣寺に向かってもすれ違いになる可能性があった。予め相手の現在地と向かっている場所を把握しておいた方が動きやすく、大幅に狂った予定も立て直すこともできるかもしれない。そう思っていたが、どうしてか目の前の二人は困ったような顔をしていた。
「すいません。連絡先を知りません」
滝椿は言った。
「連絡先を、交換していないんです」
予想外の言葉だった。最近仲良くなった成瀬ならともかく、一緒に昼飯を食っている間柄で今まで交換する機会がなかったのだろうか。不自然に思ったものの、連絡が取れないのであれば追及しても意味がない。
「夕貴は知ってるよな?」
夕貴ならばと尋ねれば、連絡先を知っていても意味がない答えが返ってくる。
「家に置いてきたから持ってないんだ」
思い返してみればこの修学旅行中、夕貴が携帯を持っているのを見たことがなかった。
多少の予定が狂ったものの、金閣寺に行けば必ず穂乃香はいる。そう楽観的に考えていたからか、急いでいたからなのか、それとも単純に運が悪かったのか、乗るバスを間違えた。率先して乗った滝椿は申し訳なさそうに謝っていた。遅れは取り戻せないが、それでも急いで金閣寺行きのバスを探した。
止まったバスを飛び降りるように降り、受付で拝観料を払い、入場券代わりのお札を手に敷地内へと足早に踏み入れた。入り口付近に穂乃香たちの姿はなかった。先に見て回っているかもしれないと、人で溢れた道を順路を辿りながら夕貴と二人で手分けして注意深く見て回った。
賑やかな声と多くの観光客。そのほとんどが金閣寺を見て、景色を見て、手持ちの地図やパンフレットに目を向けていた。そんな人たちを横目に忙しなく足を動かし続けた。
すれ違いを防ぐために滝椿は入り口付近に待機しながら友人に電話を掛け、穂乃香たちを見かけなかったと訊いてくれた。けれど、手掛かりになる情報は得られなかった。
金閣寺に着いてから一時間半が過ぎた。見るべき箇所はもうなく、敷地外まで足を延ばして飲食店や喫茶店の中を外から覗いたりもした。それでも、同じ学校の制服は見かけても穂乃香の姿は見当たらなかった。
これだけ捜していないのであれば、もうここには居ないのだと嫌でも結論が出た。これ以上捜し続けても意味はなく、一ヵ所目で時間を掛ければ今後の予定に響いてくる。諦めたくない俺の意地に二人を付き合わせるのも申し訳なくて、心残りはあったが本来予定している名所へ行くことを告げた。
そこに穂乃香はいないだろう。それでも偶然に、思いがけない場所で逢えるのではないかと淡い期待を抱き続けた。
人を見ていた。沢山の人を見続けた。バスに乗っている時も、歩いている時も、有名なお寺を前にしても、飲食店で昼食を待っている間でも、壮大かつ絶景と言われている場所に立っていても、人を見た。同じ制服を着た生徒は何人も見かけた。でも、穂乃香の姿だけは見つけられなかった。
何時間も歩き回れば足に疲労が溜まる。体力の消耗が激しと感じていた。それはしばらく座って休んでいれば回復する。それよりも、一度落ちた気分は休んでも元には戻らなかった。
穂乃香と約束した。今朝のことだ。穂乃香は楽しみにしていた。俺も同じくらい今日という日を楽しみにしていた。それを壊してしまった。時間はそれほど残されてはいなくて、あと一ヶ所で終わりになるところまできていた。
きっと、連絡のつかない俺を何処かで心配している。きっと観光どころではなくなっている。後悔が胸にわだかまっていく度に息苦しさが増していった。
それでも、そんな姿を見せれば罪のない夕貴と滝椿に罪悪感を与えてしまうだろうと、表向きは諦めたよう見せつつ、精一杯観光を楽しんでいるように見せた。気付かれているかもしれないけど、ずっと下を向いているよりは誤魔化せただろう。その演技にも疲れて、少し休む、と二人に言い残し適当なベンチに座った。




