修学旅行とそれぞれの想い11
穂乃香と別れ部屋に戻ると既に滝椿は起きていたらしく、ベットに腰掛けて携帯を弄っていた。制服姿の滝椿に寝癖の跡はなく、就寝前に着ていた自前の寝間着と大きめの枕は片づけた後あらしい。夕貴はまだ寝ていた。
「おはようございます。何処へ行っていたんですか?」
携帯の画面に視線を落としたまま滝椿が尋ねた。
「ちょっと散歩に行ってた」
「今日は天気がいいですからね。もう少し早く起きていたらご一緒したかったですね」
「そうだな」
穂乃香からの誘いでなければそれも悪くないと思った。その時もきっと夕貴は起きてないだろうけど。体操着を脱いで制服に着替え、ついでに洗面所のお湯でタオルを濡らし、跳ねた部分に当てた後、ドライアーを使えば寝ぐせも目立たないぐらいにはなる。これでいいだろうと部屋に戻っても、夕貴は未だに起きる気配がなかった。
「そういえば、穂乃香さんとはいつ合流する予定なんですか?」
「行きは別々。金閣寺に着いてから連絡することになった」
「そうですか。では、その時に今後の予定を詰めましょうか」
「悪いな」
と、言えば滝椿は小さく首を振った。
「気にしないでください。僕もその方が楽しいですから」
「そう言ってもらえると助かるよ」
朝食まで出掛ける準備をしつつ滝椿と他愛無い話をしていれば、時計の針が七時十分を指した。朝食まであと二十分。もうしばらくは、と自主的に起きてくれるのを待っていたものの、すぐ隣で会話をしていても夕貴は相変わらず静かに寝息をたてている。寝相は悪くないらしく掛布団は乱れていない。というよりも、寝たときのままの格好で固まっていると言った方が正確かもしれない。
ベットに寄って軽く呼びかけてみたものの反応はなく、耳元で呼び掛けても眉一つ動かさない。体を揺すっても唸るばかりだったので、仕方なく頬を軽く叩いてようやく夕貴は目を覚ました。寝起きの悪さはこの間の天体観測で知っていたので、滝椿と協力しながら体を起こして制服に着替えさせた。
部屋を出た時には集合時間の十分前となっていた。既に大半の生徒が食堂に着いているのか、廊下に人の姿はなかった。時間にはまだ余裕がある。しかし、急いでいる時に限って谷村と鉢合わせしてしまった。
「止まれ」
気に食わない相手であっても教師の言葉であれば無視するわけにはいかず、俺を含めた三人は谷村の前で立ち止まった。
「おまえら、集合時間はとっくに過ぎてるぞ」
谷村は咎める口調で言ったが、正確にはまだ過ぎてないことを俺たちは知っている。部屋から食堂まで走れば五分も掛からない。お前が邪魔しなければ間に合うだよ、と言いたい気持ちをぐっと堪えた。ここで余計なことを言って執拗に絡まれれば余計に面倒なことになる。そう思っていたのだが、面倒な奴はこちらが大人しくていても自ら面倒を起こしていくらしい。
「まったく。集団生活において重要なことは規則を守る事だと俺は思うんだよ。なら、規律を乱す生徒を見つけたら教師は罰を与える必要があるよな?」
そう問い掛けられても頷くわけもないのに、谷村は満足そうに話を続けた。
「本当はこんなことしたくはないんだ。でもな、俺が悪いんじゃない、お前らが悪いんだ。仕方ないよな」
一度捕まればしばらくは放してくれないだろう。そうなれば今後の予定にも響く。
「あの、谷村先生? このままだと朝食の時間に遅れてしまいます」
当然の疑問を滝椿が振った。それがただの質問になるか、口答えになるのかは谷村の気分次第になる。どっちになるのかと静観していれば、気味の悪いことに谷村は右の口角を上げて笑みを浮かべた。
「ああ、お前ら二人は行っていい。桜井はそこで正座でもしてろ」
そう言って廊下の隅を指さした。困惑する夕貴と滝椿に向けて、早く行け、と谷村が怒声が浴びせた。その声に怯えたわけではないようだったが教師の言うことに逆らえず、不本意だと顔に出しながらも滝椿は食堂へと歩き出した。が、夕貴はその場に立ったまま谷村を見つめていた。
理不尽な命令に言いたいことがあるのかもしれない。しかし、谷村に正当性を説いても全て悪意で返ってくる。谷村の標的は俺にあり、私怨に夕貴を巻き込むべきじゃない。
「先に行っててくれ。あと、俺の朝飯は残しておくように伝えてくれると助かる」
それでも夕貴は動かなかった。何を言うつもりかはわからないが、敵意の孕んだ瞳からは悪い予感がした。
「滝椿。夕貴を連れて行ってくれ」
目で意思を伝えれば滝椿は頷き、行きましょう、と言って夕貴を引っ張るように歩かせた。
二人の後姿を見送った後、言われた通りに廊下の隅で腰を下ろして正座をした。普段から正座などしたことがなかったので、それほど経っていないにも関わらず足に違和感が生まれ、それが痺れに変わってゆくのが伝わってくる。ただ、谷村の憂さ晴らしの暴力を振るわれるよりも、正座の苦痛の方が遥かにマシだと思えば気も楽になる。
静まった廊下で赤い絨毯に目を向け続ける俺と、目の前で見下ろしているのだろう谷村との無言の時が過ぎていく。この機会に今まで溜まっていた説教や暴言を吐くんだと思っていたが、どういうつもりなのか谷村は一向に口を開く素振りはなかった。従わせたことで満足しているのだろうか。わからない。わかりたくもないけれど。
時折、ホテルを利用している客が物珍しそうに見ながら通り過ぎていった。傍から見れば、粗相をした生徒を教師が咎めているように見えるのだろう。それも含めて谷村の嫌がらせの一環。苛立ちはある。不満も憤る気持ちもあった。でも、穂乃香のことを思えば我慢できた。
修学旅行中に何かしらの問題を起こせば、誰かに迷惑が掛かるかもしれない。穂乃香にとっても久しぶりの学校行事で、数日前から楽しみにしていたのを俺は知っている。それを一時の感情で台無しにはしたくはなかった。




