修学旅行とそれぞれの想い10
「こんなの適当に言っとけばいいの」
穂乃香の手から手紙を取り上げた成瀬は、躊躇いなく部屋の隅にあるごみ箱へと捨てた。終始、穂乃香と成瀬のやり取りを静観していた夕貴と雪花も、手紙が捨てられる瞬間には目を逸らしていた。
部屋の空気はいいとは言えない。成瀬は気にしていない様子で、定位置となり始めている俺のベットの上に戻り、うつ伏せの恰好でスマホを眺めていた。人目を一切気にしない大胆な行動は成瀬らしくもあるが、人によっては残酷に映るだろう。そんな極端な考えが俺には共感出来た。
何処の誰とも知れない男の手紙など捨ててしまえばいい。何度も考え、何度も隠れて処分してしまおうかと思っていた。
それでも、成瀬と同じ考えを持っていたとしても、同じような行動に移すことはなかった。捨てられた手紙をいつまでも見つめる穂乃香がいる。その人の想いをぞんざいに扱うことを穂乃香は決して許容できないから。
「相手の人に失礼だよ……」
穂乃香のか細い声が成瀬に向いた。
「本当に好きなら手紙じゃなくて言葉で伝えてくる。私に言われたぐらいで諦めるようなら、それまでの気持ちってことだよ」
成瀬の言うことは間違っていないと思う。それは強い想いだ。そして、誰もが成瀬のようになるわけじゃない。
穂乃香は黙って捨てられた手紙を拾った。成瀬は何も言わなかった。
手紙じゃないと想いを伝えられない人もいる。誰かに囃し立てられれば折れてしまう人もいる。沢山の〝告白〟を経験してきた穂乃香は、想いの強さも弱さも知っている。そういう人たちの想いを大切にいている穂乃香だから、俺はその想いをくんでやりたい。
「手紙の差出人には俺から言っておくよ。修学旅行が終わったら返事するって」
穂乃香に手を差し出して提案する。今ではなくてもいいのではないのか、と。穂乃香は手元の手紙を見つめていた。
「いいのかな? 待たせても」
穂乃香の声に迷いが感じられた。
「返事は決まってるんだから、少しくらい遅れても変わらないよ」
「不安になったりしないかな?」
「多少はあるかもしれないな。でも、一度間は置いた方がいい。きっと今の彼は冷静じゃないから」
成瀬と怒鳴りあっていた時の彼の冷めた目が脳裏に浮かぶ。時間が経って少しでも落ち着いているなら問題ない。でも、そうじゃないとしたら?振られた腹いせに穂乃香に当たることもあるかもしれない。負の感情が穂乃香に向いてしまうからもしれない。それだけは避けなければならない。
「返事をするのも、返事を受け取るのも、落ち着いてからの方がいいだろ?」
告白の返事は〝落ち着いて〟話さなければならない。一時の感情に流されてしまった。邪魔があった。今じゃなかったら。一度でもそう考えてしまえば人は納得できなくなり、素直に穂乃香の返事を受け入れられなくなる。次を期待をしてしまえば返事をする意味がなくなる。
「明後日には帰るんだ。次の日の放課後にでも返事の約束をすればいい。ほら、なんの問題もないだろ?」
やんわりと穂乃香を誘導するように言うと、手紙を見つめていた穂乃香がそっと顔を上げて俺を見た。
「託は、心置きなく楽しめると思う?」
今までは質問は手紙を出した相手のことだった。修学旅行を何の憂いなく過ごしてほしい。断ることになっても、待たせるよりかはいいのではないだろうか。そんなことを穂乃香は考えていた。
後か先か。どちらが正しいのかなんて、相手に直接尋ねでもしない限りわからない。わからないから、どちらも選べないから穂乃香は視点を変えた。見えない、知らない彼らではなく、俺ならばどう思うのか。
「楽しめるよ。ちゃんと返事をもらえるって約束さえしてもらえれば、誰も文句は言わないよ」
俺と彼らでは立場が違う。だから、当たり障りのない言葉を選んだ。最終的な決定権は穂乃香にある。今から返事をしに行きたいと言うなら従うつもりではいた。
「そう……なら、お願いしていいかな?」
もう少し悩むかな、と思っていたが意外にも決断は早かった。いいよ、と返事して手紙を預かる。伝えるなら早いほうがいい。けどその前に伝えないといけないことがあった。
途中からは会話に参加せず、成瀬は顔を壁に向けてスマホを眺めていた。その後ろ姿が何ともつまらなさそうに見えた。成瀬、と声を掛ける。
「手紙の返事、代わりにしてくれてありがとうな」
成瀬の言い分には共感していても、俺は穂乃香を優先した。そのことに何かしら思うところがあったのかもしれない。それを我慢するように話に入ってこないようにも見えた。
「どうして? あたし、余計な事したんじゃない?」
成瀬の表情は困惑と僅かな驚きの色があった。目の前で良かれと思って断った自分の行動を無視するような会話を聞かされれば、そう勘違いしてもおかしくはない。
「そんなことない。穂乃香のことを思って断ってくれたんだろ? なら、余計な事だなんて思わないよ」
「あたし、勝手に言いに行っちゃったし、少しだけだけど、言い過ぎて怒らせたんだよ?」
「まあ、そこら辺は何とかするよ」
面倒事にはなるべく関わりたくはないが、穂乃香絡みであるならば喜んで引き受けられる。俺の役目だと思っていれば負担でもなんでもない。成瀬はまだ何か言いたげな顔をしていたが、小さくすっと呼吸を整えて顔を上げると表情から迷いが消えた。
「迷惑掛けたのは事実だから。だから、ごめんなさい」
ベットの上で正座した成瀬は、穂乃香に向けて頭を下げた。
「謝らなくていいんだよ。成瀬さんの気持ち嬉しかったから」
そう穂乃香が言い成瀬の手を握った。その後の展開を見届けるまでもなく、後のことは雪花に頼んで部屋を出た。
差出人への説明は滞りなく済み、それほど時間も掛からなく部屋へ戻れば何やら楽しそうな声が聞こえてくる。相変わらず俺のベットを占領している女子に、夕貴と滝椿を対面に交え和気あいあいとトランプで遊んでいた。そこには部屋を出る前の静けさは微塵もなく、前よりも成瀬がこの場に溶け込んでいるように見えた。
――――
修学旅行二日目の朝は、枕元のスマホの音で目が覚めた。時間を確認しつつ画面を見つめれば、穂乃香からのメールだった。用件は朝の散歩のお誘い。ホテルの入り口で待ってる。と返信し、二人を起こさないように気を付けながら部屋を出た。
廊下に人の気配はなく、しんとした静けさがあった。就寝時間後にホテルの外に出ることは禁止されているが、朝食前の一時間は近場に限り外出してもいいことになっている。穂乃香が連絡してきた時間は、禁止時間が過ぎた瞬間だった。多少は見逃してもらえるだろうに、ほんと律儀な性格をしてる。
携帯をポケットに仕舞い階段を下りてロビーに着くと、フロントにいるホテルの従業員と目が合った。軽く会釈して外に出る。まだ辺りは薄暗く、日が昇ってそれほど経っていないらしい。
柱を背に預けしばらく待てば、制服姿の穂乃香がやってくる。何時間前に起きたのだろう、と不安に思うほど整った穂乃香の装いに対し、俺は寝起き全開の体操着姿だった。跳ねてるよ、と寝ぐせを撫でながら穂乃香は笑った。あまりにも不似合いな組み合わせになってしまったものの、この笑顔が見れるならどんなにおかしな恰好だろうが構わない。
大通りを避け、閑散とした京都の街並みを横目に見つつ、昨日見た物や思ったことを話しながらゆっくりと散策した。時間に限りがあるので遠くへは行けなく、ホテルの近くにあった公園に立ち寄ることにした。
手狭な公園には二台のブランコとシーソーだけがあり、ベンチは一つしかなかった。しかもどれも古く汚れている。ただ見晴らしは悪くなく、やや高所に位置している公園からは遠くの山がよく見えた。その山の少し上には太陽が姿を現し始め、周囲の空の色を明るく染めていた。
「昨日はよく眠れたか?」
前方の光を見つめたまま尋ねる。
「話に夢中になって遅くなったけど、ちゃんと眠れたよ」
「そっか。何か困ったことはないか?」
「大丈夫だよ。心配しないで」
穂乃香の声に無理は感じない。もし何かしらの面倒事があったとすれば、告白後のタイミングで雪花から話があっただろう。それがなかったということは、問題はなかったということなのだけど、穂乃香の口から直接確認するまで安心できなかった。
「音羽の滝ってことに行ったんだって?」
「うん。雪花ちゃんから聞いたの?」
「昨日、ちょっとな」
話の中に、穂乃香が〝恋愛〟のご利益のある列に並んだことは伏せておいた。穂乃香も言うつもりはないらしい。
「託。今日の、自由時間なんだけど」
その先は言わずとも容易にわかった。
「行きは別々に向かった方がいいかもな。どうせ場所は一緒なんだから、金閣寺で合流した方が教師に目付けられにくいだろうし。後のことはみんなで決めればいいよ」
「……うん。そう、だよね」
「心配すんなって。誰かに迷惑が掛かるわけじゃないんだし。提出物さえちゃんとしてれば気付かれないよ」
この京都で、観光名所が何ヶ所もある土地で、十人も満たない教師が百人を超える生徒全員の行動を把握できるはずもない。例え見られたとしても、担任でない限り予定と違う場所にいることを知っているはずもない。
「何かあたら俺が何とかするから、心配すんな」
明確な違反行為ではあっても、隣に穂乃香がいないだけで旅行を俺は存分に楽しめない。だから、多少強引に話を進めた。それでいいと、思っていた。




