修学旅行とそれぞれの想い9
湯上がりの火照った身体で夕貴と共に廊下を歩いていると、少し先から誰かの声が聞こえてきた。何やら深刻そうな声色だったのでなるべくなら近寄りたくはなかったが、大浴場から部屋までの道はこの廊下を通るしかなく、迂回も出来ない。
仕方なくそのまま進めば、視線の先の壁際で露天風呂で話しかけてきた男と雪花が向かい合っているのが見えた。滝椿の言葉が脳裏を過る。こんな誰が聞いているかもわからない廊下で話すことじゃないだろうに。完全に立ち往生となった。
「好きです。付き合ってください!」
丁度、山場を向けているところに遭遇してしまったらしい。どうすることも出来ず、図らずも夕貴と二人で彼の行く末を見守る形となってしまった。穂乃香以外の告白現場に遭遇した経験はなかったが、どれも同じような形になるんだなと思った。
彼は自身の想いを声の大きさで表現しているらしい。しかし、ここはホテルの廊下であり、大きい声を出せば注目を集めるという場所なのだとわかっていないのだろうか。相手の迷惑を考えていないのだろうか。
「ごめん。私、好きな人がいるから」
返事を聞く前から雪花の表情を見て予想がついていた。顔を上げた彼は苦笑いを浮かべ、わかった、と言って背を向けた。彼が視界から居なくなると、雪花は大きな溜息を漏らしていた。今顔を合わせれば雪花も気まずいと思い、雪花が居なくなるまでこの場に留まっていようと思っていた矢先のこと。
「大変だったね」
普段の調子で夕貴が声を掛けていた。振り返った雪花は驚いた顔で夕貴と後ろにいる俺を見つめ、見る見るうちに顔を紅く染めた。どうするんだよ、これ。
「いつから、そこにいたの?」
そんな雪花も羞恥心もお構いなしに、夕貴は平然と「好きです」の辺りかな、などと答えていた。
「あれは、あれはね! 振るための嘘なんだから」
「わかってるよ」
いつになく慌てる様子の雪花の脇を抜け、そのまま歩き出す。
「気にすんな」
俺が何か言えば余計に引きずると思い、後は夕貴に任せて少し先を歩いた。
後ろでは今日行った清水寺の話や、京都の街並み、立ち寄ったお土産屋さんで売られていた品の話題が聞こえてくる。時折、気になった話題に俺も加わり、そうしているうちに雪花の調子も戻りつつあった。
話の中で、雪花と穂乃香は清水寺の下にある音羽の滝に行ったという。そこには三つの小さな滝があり、それを飲むことで学問、恋愛、健康とそれぞれ異なった願いが叶うらしい。雪花と穂乃香は恋愛の滝に並んだと言っていた。女子は特にその列に殺到したらしく、特別な意味はないのかもしれないが、穂乃香がそう願ったことが気になった。
それ以外にも互いの見てきた物を話し合っていれば、あっという間に階段前に着いてしまった。男子と女子は階で部屋が別れているので、雪花はここで上の階に行かなければならないのだが、どうやらこのまま俺たちの部屋まで付いてくるらしい。
異性の部屋に行くことは禁止されている。ただ、その規則をきっちりと守る人は少ない。その証拠に、俺たちの部屋の少し先の部屋の前にも女子がいる。ただ、何を話しているのかは知らないが、何処となく険悪な感じに聞こえる。
近付くにつれて聞こえてくる声もはっきりとしてくると、話をしている片方が成瀬だということがわかった。ただの話し合いには聞こえなく、これ以上騒がしくなれば教師がやってくるかもしれない。夕貴と成瀬は部屋に入っているように促した後、まったく、何をしているんだ、と呆れながら歩みを進めれる。
「だから、何度も言わせないで!」
成瀬の声色はいつになく冷たく、相手の男に怒っているのか目つきも鋭い。
「無関係なお前が出しゃばるからだろ」
「穂乃香ちゃんは断ってる。それで終わりでしょ? 何が不満なのよ」
白熱した会話に、何事か、と部屋から顔を覗かせる人も増えている。それも問題だが、聞き逃せない名前が出てくる。
「どうしたんだよ」
成瀬の背後から声を掛ければ、俺にも鋭い視線が向けられた。一切の遠慮のない眼差しを向けられても尚、怯まなかった彼も譲れない話だったのだろう。互いに譲る気も聞く気もない話し合いを続けても意味はない。
「話は終わっていないだろうけど、その辺にしとけ。教師に見つかったら面倒だろ?」
部外者の登場に、気がそがれた両名はようやく周囲の異変に気付いたらしく、彼は気まずそうな顔をしていた。それでも、成瀬はお構いなしといった風で、そういうことだから、と言いて背を向けた。まだ何かを言いたげな表情を残しつつもドアを閉めた彼は、一瞬、俺を見た。
その視線はよく向けられる類のもであり、それだけで大体の事情を把握した。そっちは後々対処すればいいだろうと、成瀬の背中を追いかければ、自然な動作で俺たちの部屋に入っていった。
何故? という疑問を抱えたまま部屋に戻ると、夕貴、雪花、成瀬の他に穂乃香の姿もあった。風呂上りなのか、ベットの縁に腰かけ濡れた髪を雪花がドライヤーで乾かしていた。
「おかえり、託」
自分の家のように寛ぐ穂乃香に、とりあえずただいま、と返しておく。突然の訪問に驚きはしたものの、座っているベットが俺のだというのがわかっているあたり、夕貴か滝椿が招いたのだろう。そして、他にもベットはあるにも関わらず、女子三人が俺のベットを占領していることも当然なのかもしれない。仕方なく座り心地の悪そうな小さな椅子に腰を下ろした。
「で、どうして言い争いになったんだ?」
成瀬に向けて問えば、穂乃香が申し訳なさそうな顔をしていた。落とした視線の先には、色の違うふたつの手紙がある。中身を読まずともそれが恋文だとわかった。
「何度も断ってるのに、あいつしつこくて」
ベットに寝っ転がる成瀬は、未だ怒りが治まっていない様子。穂乃香の恋文。成瀬の言動と彼の視線を結び付ければ聞くまでもなかったが、念のために何があったのかを説明してもらった。
雪花と同じように、穂乃香にも告白しようと思っていた彼は、学校の風習通りに手紙を寄こした。困っている穂乃香に代わって成瀬が断っていた、と。そして口論になった。




