修学旅行とそれぞれの想い4
それをわかっているのは雪花だけらしい。
「ダメだよ託。女の子に酷いこと」
どんな事情があろうと穂乃香に叱られてしまえば、これが成瀬の見え透いた演技だったとしても反論し辛くなる。成瀬に対し冷たい態度をとっていることを、穂乃香は好ましく思っていなかったのだろう。穂乃香の声を聞けばわかる。そして、それだけでないことを――。思惑通りの展開になりつつあるとでも思ったのか、そっと顔を上げた成瀬の目元に涙の痕跡はない。
「ありがとう。穂乃香ちゃん」
何も知らない成瀬は、穂乃香に向けて友好的な笑みを浮かべていた。騙しやすいと思ったのだろうか。可哀想な演技をすれば味方になってくれると思ったのだろうか。
成瀬は何もわかっていない。穂乃香が今、何を思っているのか、微笑みの裏にある感情を知る由もない。
「近いですよ。成瀬さん」
丁寧な言葉を使っているにも関わらず、その物言いは咎めに似ている。違和感を覚えたのだろう成瀬は友好的な笑顔を顔に張り付けたまま、その言葉の違和感に戸惑うように固まっていた。
「託から離れてくださいね」
普段から怒らない人ほど怖い、とは言うが、笑顔のまま、感情のない言葉を向けられる恐怖を知っているだろうか。穂乃香は温厚な性格をしているから滅多な事では怒らない。怒るとしてもそれは可愛らしい程度におさまることが多い。
微笑んだまま威圧的な感情を言葉に乗せる。そういう時の笑顔の時が一番怖い。初対面の、それも味方になってくれそうな静かそうな女の子が、まさか一番の難敵だとは思うまい。静かな怒りを向けられれば、どうしていいのかわからなくなる。
「……ごめんなさい」
成瀬は器用な方なのだろう。戸惑い、迷いながらも、敵にしてはいけないことを察し、速やかに俺から僅かに距離を空けた。それでも、ここから離れる気はないらしく、その度胸だけは大したものだと思った。
「でも、これだけはわかってほしい。迷惑を掛けたかったわけじゃなくて。ただ、少しでも仲良くなりたかった。でも、どうしたらいいのかわからなくて、こんな形に……」
もし、成瀬の言うように仲良くなりたいだけだとすれば、もう少し上手く出来なかったのだろうか。強引で、こちらの都合を考えず、自分の思いだけを押し付ける。それで良い印象を受ける人は少ない。
「まだ、時間はあります。これから、ゆっくりと話をしましょう」
そう言った穂乃香の言葉にさっきまでの威圧感はない。むしろ積極的に成瀬を受け入れているとさえ感じる。
「ここにいても、いいの?」
控え目な成瀬の問いに対し、穂乃香は静かに頷いていた。成瀬の言動が何を目的としているのかは依然としてわからないままだが、穂乃香が成瀬を迎え入れると決めたのなら、俺から言う事はない。
俺との接触がなくなれば雪花も静かになり、表面的に成瀬を邪険にする者はいなくなった。穂乃香と成瀬の会話を中心に、時折、夕貴と滝椿も会話に混ざり、お昼休みは過ぎていく。
意外だったのが、大らかな穂乃香と遠慮ない成瀬の波長は俺から見ても合っているように思えた。予鈴が鳴る頃にはとても親しい間柄にさえ見えたほどに。もし、このまま良い関係を築けるのであれば喜ばしいことであり、もし、成瀬が穂乃香を傷つける存在であれば、自ら身を引いてもらえばいい。
そう思っていた。
――――
翌日の早朝。学校に向かう途中のことだった。
もうすぐ校門が見え始めようとした時、聞き慣れない声が正面から聞こえきたかと思えば、待ち伏せするように成瀬が立っていた。関われば面倒そうだと、視線を合わせないように通り過ぎようとすれば穂乃香が足を止めた。そうなるだろうな、と思いつつ俺も立ち止まる。穂乃香と挨拶を交わし終えた成瀬は、わざわざ俺の隣を歩いた。
「無視はよくないよ」
不満そうな顔を向けてくる。あれほど迷惑だと言い続けたにも関わらず、こいつは反省していないらしい。俺から話すことはなく、ただ隣を歩いているだけなら居ないものとして扱えばいいと考えていたが、それで大人しくなる女であれば、苦労はしなかっただろう。何を考えているのか、次の瞬間には成瀬は身を寄せて腕を絡ませてきた。
「くっつくな」
きつめの口調で咎めれば、いいでしょ、別に、と平気な顔で成瀬が答える。離れないよう強めに縋り付いているので、ほんのりと成瀬の体温が伝わってくる。それと同時に女の子独特の柔らかい感触が嫌でも感じた。
「離れろ」
振り払おうとしても執拗にくっついてくる。ひっつき虫のような女には厄介なことに知恵があった。同じ手段は通じなく、抵抗したくても今に限っては出来る手段はあまりない。校舎に近づく度、生徒の姿は増えていく。
今までのやりとりだけでも十分に目立ってしまっているのに、これ以上、何かをしようとすれば余計に視線を集めてしまうだろう。それは俺たちにとっては望まない展開だった。
本当に迷惑な女。乱暴な振る舞いはなるべくしないようにしていれば、抵抗すればどんどんと成瀬の行動は大胆になる。
うかつに腕を動かそうとすれば体にふれる危険性もあり、それ故に動きが制限された。そんな俺の葛藤を知る由もない成瀬は、こちらの心情もお構いなしな様子で、この不毛なじゃれ合いすら楽しんでいるようだった。
そして、これだけ隣で騒がしくしていれば穂乃香が気づかないはずもなく、そっと横目で見れば、なにやら不機嫌そうな顔をしていた。
「託は、そういうのが好きなんだ」
そっと、囁くような呟きが聞こえた。




