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ふれられないもの  作者: 柳
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天体観測から見える景色8

 

 廊下を進み、一番端にあるドアの前に立ち止まると、夕貴は上着のポケットから茶色の変わった形状の鍵を取り出す。


「この部屋は?」


 と、何の気なしに尋ねると、夕貴は囁くように答えた。


「ここは父親の部屋だったんだ」


 だった、とはどういうことなのか。それを尋ねる間もなく、夕貴は部屋の中へ入っていく。


 薄暗い部屋の照明を付けた瞬間、少しばかり圧倒された。その部屋の壁は全て本で埋まっていた。部屋の鍵にしては少し変わっていると思っていたが、それは部屋が特別だからなのだと思った。


 圧巻な光景に言葉もなく、近くの本棚へと近づいてみれば、あらゆるジャンルの本が並んでいた。呆気にとられながら全体を眺めていると、夕貴が一冊の本を手渡してきた。


「初めてはこれがいいと思う」


 俺の要望通りの天体に関する書籍だった。題名に〝初心者でもわかる星座一覧〟と書かれている。俺は本棚を背に、その場で本を開いた。それから長い時間、本に没頭していた。


 星々を繋いで星座の形をつくるのは知っていたが、本に載っている写真を見たところで面白味はない。実際に夜空と照らし合わせなければ違うのかもしれないけれど。


 それよりも、おまけで書かれていた星座にまつわる神話がなかなかに興味深かった。あまり詳しくは書かれてはいないのが残念に思うくらいには夢中になれた。神話と聞くと堅苦しい話ばかりかと思い込んでいたけれど、間抜けな話や結構えぐい話も多い。十二星座、それぞれに異なる話があり、自分や誰かの星座だと思いながら話を読んでいると夢中になれた。


「夕貴くんのご両親は、どのような仕事をしているのですか?」


 本の世界に浸っていれば、滝椿の声で現実に意識が戻る。


「知らないよ」


 素っ気なく、読んている本から顔すら上げる素振りもなかった。その態度がなんだか堪らなくなり、俺は口を開いていた。


「知らないって、親のことだろ?」

「一年に一度くらいしか帰ってこないし、仕事の話はしないんだ」


 休日だというのに存在感がないとは思っていたが、そんな理由があったのか。それにしても、一年に一度しか帰れない仕事ってあるのだろうか。俺が知らないだけなのか、思いつく職種はなかった。


 それから滝椿は二、三質問を重ねたが、夕貴は知らない、わからない、と繰り返すばかりだった。その口調や言葉を耳にする度、夕貴が家族に対して興味がないことが伝わってきた。


 その事が気になって、一度は夢中になれた本の続きを読んでいても、なかなか集中できない。止めてしまおうかとも思ったが、他にすることもなく、仕方なしに頭に入らない文字を追うことにした。


 夕貴が言うように両親がいても仕事の都合で会えないこともある。仲のいい家庭ばかりでもない。仕事だけじゃなくて複雑な事情が絡んでいたりと、家族だからといって常に傍に居るということもない。夕貴の家が特別ということもないだろう。それをわかっている。でも、もう二度と会えない人からすればそれは贅沢に思えた。


 夕方になる少し前、キャンプ用の寝具や食糧等を鞄に詰めて夕貴の家を出た。夕貴の家から観測場所の山まではそれほど距離はなく、人気の少ない道を十数分程歩けば麓へ到着した。


「みんな用意はいいね? くれぐれも僕から離れないように。まだ明るいけど、何が起こるかわからないのが山の怖いところだから、気を抜かないように」


 なんともそれらしい訓示をのべて、夕貴を先頭に山道へと踏み出した。


 空を覆う程の背の高い林が視界に広がり、それらの間を縫うような道を進んでいく。道幅はそれほど狭くはなく、丸太で作られた緩やかな階段状の道になっているので歩きやすい。休日ということもあり、下山してくる年配の人や何組かの家族とすれ違った。


 それから更に進み、やや辺りが暗くなり始めると、すれ違う人の姿を見なくなる。今がどの辺りのなかは知らないが、若干の疲労を感じるぐらいには歩き続けていた。


 余計な物は持ってきていなくても、テントだけでも十分な重さになり、緩やかな登山道も普通のスニーカーでは足の裏が少し痛む。疲れた、と言えば休ませてくれるだろうけど、休憩をとっている余裕はあまりない。日が暮れる前に着くのが理想で、それも計算もされているのか、夕貴は出発からペースを落とすことなくやや早歩きになっている。その後姿は悠然としていて、慣れた登山家のようでもあった。


 ふと、穂乃香の事が頭をよぎった。今頃は雪花の部屋で楽しく談笑でもしているのだろうか。


 携帯と取り出す。事前にこの山は圏外にならない、と夕貴に聞いていたが、実際に目で確認するまで安心できない。


 幸い電波はまだあるらしく、これなら緊急の時でも連絡はつくだろう。一度、本を読んでいる時に軽い定時連絡のようなものが来た。二人で服を買いに出掛けていたらしく、どっちがいいのかな? と同じような二種類の服が文面と一緒に載せられていた。どっちも似合うよ、と返したのが最後で、それからはどちらからも連絡はない。


 急用でもない限り、こちらから連絡をしようとは思っていない。頻繁に互いの状況を伝えあっていては何の為に離れたのかわからなくなる。


 もしもの事が起こったとしても雪花が傍にいる。今日までに十分な話し合いをしてきた。だから、大丈夫なんだと思いたい。と、滝椿が俺に並んだ。


「前も少し訊きましたけど、託真くんは部活動には入らないのですか?」


 登山経験があるのか体力があるのか、滝椿の声や表情からは疲れを感じなかった。


「運動は嫌いじゃないけど、別にやろうとは思わないな」

「中学の頃もですか?」

「いや、中学ん時は家庭科部に入ってた」


 両親が事故に遭ったのを切っ掛けに柔道部を辞めた。趣味と実益を兼ねた部活はなかなかに楽しく、自分に合っていると思っていた。けれど、穂乃香と二人で暮らすのなら料理を覚える必要があると思い、その日のうちに顧問と相談して退部した。


 当時の家庭科部に男子はいなく、心細い思いもしたが、基本的なことから複雑なことまで色々と勉強になり、今では入ってよかったと思っている。


 手芸部だった穂乃香も一緒に入部した。事情を知っている教師や学友は、俺たちの入部を快く受け入れてくれた。女子率は高かったけど、これはこれでなかなか楽しい部活だった。


「それは、穂乃香さんの為ですか?」


 知っている人でなければ言わないであろう言葉に、俺はそっと滝椿へ顔を向けた。


「すいません。ご両親のこと、少し知ってます」

「いや、別に謝ることじゃないよ」


 滝椿が知っているからといってどうということはない。同中の生徒ならば俺らの両親ことは知っていて当然で、その話を滝椿が伝え聞いていたとしても不自然ではない。


「僕が言えることじゃないことはわかっています。でも、やっぱり勿体無いですよ。託真くんはもっと、勝ち負けにこだわってスポーツをすれば上を目指せます」


 久しく見る、滝椿の積極的で興奮気味の口調。今までは抑えていたのだろうか。


「今は部活に入らない理由はないですよね? だったら――」

「悪いけど、入るつもりはないんだ。これからも」


 滝椿の言葉を遮り、改めて強めの口調で言った。本人が入らないと断言すれば大抵の人は引き下がる。滝椿は少数派だった。

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