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ふれられないもの  作者: 柳
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天体観測から見える景色7

 

 最寄りの駅から電車に乗り、二駅を通り越して無人の改札を抜ける。携帯を見ながら歩いて十分程の、住宅街から少し離れたところに夕貴の家はあった。


 有馬の表札が掛けられていること以外、ごく普通の二階建ての家だった。ただ、よく晴れた日だというに全てのガラスの窓には分厚いカーテンが引かれていた。


 門扉の前でインターフォンを押してしばらく待てば、玄関扉がゆっくりと開いていく。そこに立っていたのは夕貴ではなく、銀色の眼鏡を掛けた若い女性だった。


 色素の薄い緑色のカーディガンを羽織っていた。体型が隠れそうな服装にも関わらず、病弱そうな細い身体つきだと思った。適当に一つ結びにした長い黒髪に、飾りっ気のない服装。そして何よりも気になったのが目の下の隈だった。


「どうぞ、勝手に上がってください」


 感情の薄い小さな声。それだけ伝えると、その女性は扉を閉めてしまった。招かれていないような対応に違和感を抱きつつ、言われるがまま施錠れていない門扉を開けて一歩踏み出す。


 ふと視線が庭に引き寄せられた。そこには敷地の半分を占める大きな花壇があった。ながいこと放置していたのか、植えられていた花は全て枯れている。


 奇妙なことに雑草の類は見当たらなく、土の状態も悪くはなさそうに思えた。気にはなったものの、それは人様の家のことで、他人の俺があれやこれやと詮索するのは悪趣味以外の何物でもない。以後、見た物について考えるのを止めた。


「いらっしゃい」


 玄関扉を開けると待ち構えるように夕貴が立っていた。私服姿の夕貴は何度も目にしていたが、家の中だと更に適当になるらしく、灰色のダボダボな寝間着姿だった。


 首元が伸びきっているらしく、右肩が見えるほどずり下がっている。家の中なので寝癖は見過ごせるものの、それにしてもだらしのない恰好に呆れてしまった。


「こんな時間まで寝てたのか?」


 嫌味を言いたいわけじゃない。ただ、呆れ混じりの言葉は出てしまう。そんな俺に気づきもしない様子で、平然と、


「起きたのは八時ぐらいだよ。どうして?」


 と、不思議そうに尋ねていた。どう返せばいいのか迷い、逡巡した後、身だしなみについて言及するのをやめた。


 以前、最低限の身だしなみとして寝癖は直すように注意を促し続けたことがあったが、改善させるまでだいぶ時間を要した。その苦労を思いだし、家の中ぐらいはいいだろうと妥協し、この問題は世話好きである雪花に丸投げしようと決めた。


 夕貴の部屋は二階にあるらしく、案内されるまま後を付いて行く。物音の少ない家だった。人の気配が感じられず、さっきの女性の姿も見当たらない。カーテンを隙間なく閉めているのか、通り過ぎざまに覗いたリビングは昼間だというのに薄暗く、廊下は蛍光灯が灯っていた。


 人工照明だけが照らす家内を歩くと、冷たい空気が頬を撫でる。なんとなく、夕貴には似つかわしくない場所だと感じた。


 夕貴の部屋に入ってまたも驚いた。片付けが出来ず、乱雑なイメージだった夕貴の部屋には、そもそも物が少なかった。生活をするのに必要な物だけがあり、そして、そのどれもが暗い色で統一されている。


 黒い本棚、黒い机。灰色のベットにガラスのテーブル。カーペットも黒一色で、カーテンは濃い青だった。味の無い部屋。この部屋からは夕貴の痕跡が見当たらない。


「何にもない部屋だな」


 と俺は言う。


「確かに物は少ないかもね」


 そのすぐ後、ベルが鳴った。薫さんだ、と呟きながら夕貴は部屋を出た。俺は行かなくていいだろう、と軽く部屋の中を見て回る。


 生活感がなく、住んでいるというよりもただの空き部屋のように感じていた夕貴の部屋は、まめに掃除しているらしく、どの棚を見ても埃一つなかった。


 ざっと眺めた本棚には天体関係の本は一切なく、堅苦しい分厚い参考書なんかが詰められていた。そのどれもが新品のように綺麗なままで、使われているようには感じられない。まるで本屋のようだと思った。


 その本棚の二段目には倒れた写真立てがあった。手に取ってみれば、それは家族写真のようだった。


 父親と母親らしき人物の間に、小学低学年ぐらいの男の子が立ってこちらを見ている。瞳や顔の輪郭に引っ掛かるものを感じてしばらく眺めていれば、それが幼い頃の夕貴だとわかった。顔のパーツは今の夕貴と然程変わらないはずなのに、繋がるまでに時間が掛かった。


 無表情でこちらを見つめる顔は怒っているようでもあり、悲しそうでもあり、精巧に作られた人形のようでもあった。感情の薄い瞳はまるで作り物のビー玉みたいで、映る全ての物に興味ない、と言っているように感じられる。


 家族写真のはずなのに、どうしてそんな顔をしているのだろうか。撮る前に喧嘩でもしたのかもしれないし、他に何かしらの理由があるのかもしれない。子供の時の夕貴が何を考えていたのかなんて知る由もないことだけど、これだけははっきりとわかった。俺は、夕貴のことに関して知らないことがあるのだと。


「こんにちは、託真くん」


 背後から声を掛けられ、慌てて写真立てを元の場所に戻した。


「時間通りに来たつもりですが、遅れてしまいましたか?」

「いや、俺もさっき着いたとこ」


 なんとなく見てはいけない物を見てしまったような気がして、本棚から距離を置く。


「そうでしたか。僕は少し道に迷ってしまって」


 そう言いながら滝椿は荷物を部屋の隅に置き、その場に腰を下ろした。疲労が溜まっているらしく、身体の力を抜くように足を伸ばしていた。少しと言っていたが、結構迷ったのではないだろうか。


「託も楽にしてていいよ。ベットに座っても平気だから」


 帰ってきた夕貴の手には、紙コップと瓶のオレンジジュースがあった。ちゃんとおもてなしは出来るんだな、と感心しつつベットに腰を下ろす。


 見た目よりも柔らかいベットは、長年愛用している自前のベットよりいい素材で出来ているらしい。硬すぎず柔らかすぎず、そのまま身体を倒すと全身を優しく沈み包み込まれた。あまりに気持ち良さにそのまま眠ってしまいそうになる。


「これからどうしようか。山に行くにしてもまだ時間があるし」


 そう言いながら、オレンジジュースの瓶を手に取った夕貴は、用意した紙コップの存在を無視して直接瓶に口を付けた。普段からそうしているのか、なかなかに豪快な飲み方だった。


「それなら、天体関係の本ってないのか? 知っているのと知らないのじゃ楽しみ方も違うと思うし」

「いいよ。ついてきて」


 そう言って夕貴が部屋を出る。その後を俺と滝椿は追った。

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