天体観測から見える景色6
二年も掛かった。両親が事故で亡くなってから、穂乃香は夜に恐怖を覚えるようになった。一人で眠れなくなって、どうすればいいのか散々悩んで、色々と試みて、ようやく眠れるようになったのは俺が傍にいることだった。
急に泣き出す日もあった。穂乃香が寝るまで寝てはいけない日が続くこともあった。恐怖に怯えているのなら声を掛けて、話をして、手を握って安心させたこともあった。
あの時の泣き顔が脳裏を過ぎる。今の穂乃香を安心させる言葉ならいくつも浮かんだ。いつかの夜に言った“魔法”の言葉を語りかければ、問題を先送りにすれば、穂乃香の心は安定するだろう。
でも――。このままでいいのだろうか。不安だから、怖いから先送りにしてもいいのだろうか。
これから先、同じような境遇があるかもしれない。俺が傍に居られない状況に追い込まれてから考えても遅い。どうすることも出来なくなれば、穂乃香は不安を抱えたまま、独りで夜を過ごさなければならない。
お泊り会に踏み切った日、雪花が言った。
〝本当にいいの?〟と。
覚悟が必要だったのは穂乃香ではなく、俺だったのかもしれない。踏み切らなければならなかった。学生でいられる間に――。
「中止にしてもいいんだ。無理して余計に酷くなったら――」
あれほど怯えていた夜を穂乃香は克服した。俺と二人で、乗り越えた。だから、と俺は続ける。
「少しでも穂乃香が頑張れるなら、俺は今日を大事にしたい」
俺は一度も穂乃香を見なかった。見られなかった。声だけは誤魔化せても、表情から不安が気付かれてしまう可能性があったから。弱音は吐けない。俺の弱さが穂乃香に伝染してしまうから。穂乃香を心配しつつ、気遣いつつ、突き放さなければならない。
「俺が傍に居られない時がこの先にもきっとある。高校を卒業したら、それこそどうなるかわからない。だから、今のうちに出来ることを少しづつしていきたいんだ」
穂乃香は何も言わない。不安はある。でも、俺は続けた。
「大丈夫。俺が傍にいなくても、穂乃香は平気になったんだ。だから、きっと一人でも――」
「傍に居てくれないの?」
か細い声が聞こえた瞬間、何も言えなくなった。
「私、嫌だよ。そんなの……」
泣き出しそうな声に動揺して、続く言葉を見失った。そこまで思いつめるような、突き放し方はしていないつもりだった。本当に駄目そうなら中止すると考えていた。妥協案も用意してあって、雪花とは事前に打ち合わせもしていた。だから、精一杯の言葉で穂乃香を励まして、少しでも出来ることをしよう、と言うつもりだった。
あの夜を乗り越えたのだから、今度も克服できるのではないかと。それが話の本筋であり、穂乃香の抱えた問題のはずだった。なのに、穂乃香は今夜の不安よりも、これから先の“俺が傍にいなくても”という言葉に拒絶にも似た反応を示している。
ただ可能性の話をしていた。もしかしたら離れることも、あるかもしれないと、そう、考えて――。
「私は何があっても、託真の傍にいたい」
小さな痛みが胸に突き刺さる感覚があった。
「卒業して進学しても、就職しても、ずっと一緒にいたい。離れたくない」
その正体に遅れながらも気付いた時にはもう無くなっていた。穂乃香の言葉を聞いた瞬間だった。
「お願い。傍に居てくれるって、言って。そうしたら、不安じゃなくなるから」
馬鹿みたいだと思った。穂乃香を励ましていたはずなのに、穂乃香の言葉に俺が救われている。いつかは離れなくてはならない、と言った俺が穂乃香と同じように傷ついていた。
わかっていたことだった。でも、わかっていなかった。胸の中で停滞している二つの意思と向き合おうとしていないから。穂乃香の傍に居たいと思う俺と、いずれは離れなければならないと思っている俺がいて、どちらが正しいのか答えはもう出ているのに――。まだ決断できず、先延ばしにしている。
「俺も、穂乃香と離れたいわけじゃない。これからも、傍にいるつもりなんだ」
「そうなんだ。よかった」
安堵するように穂乃香は言った。洗物はとっくに終わっていたらしく、水の流れる音は聞こえてこなかった。
「まだ少し怖いけど、きっと、託真の言葉を思い出せば大丈夫だと思うから。だから、安心して」
その声は、今まで交わしてきた言葉のどれよりも前向きに聞こえた。




