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ふれられないもの  作者: 柳
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天体観測から見える景色5

 

 いつになく静かな朝食を終えると固定電話が鳴った。受話器に耳を当てると懐かしい声が聞こえてくる。朝の挨拶もそこそこに、伯母さんは恒例の質問を投げかけた。


 学校ではどうなのか、身の回りで不自由なことはないのか、何でもいいから困ったことはないのか、など。その怒涛の質問攻めに圧倒されながらも、いつまでも子ども扱いが抜けない伯母さんの態度に苦笑いが出る。今のところは困っていることはなく、変わらないことを伝え終えて穂乃香に受話器を渡す。


 おはよう、と穂乃香が挨拶を口にすれば、受話器から聞こえてくる伯母さんの声量が一段階ほど大きなる。伯母さんの子供は男だけだからなのか、穂乃香のことを特に気に入っている節がある。一度掴まれば会話の終わりは見えなくなり、それに付き合う穂乃香も楽しそうに質問に答えていた。


 母親の姉である伯母さんと直接会って話した回数は、覚えている限りそれほど多くはなかった。けれど両親が亡くなった後、それが当然のように俺たちの後見人になってくれた。


 未成年者でありながら、こうしてこの家で変わらない生活を過ごせていられるのは、俺たちの願いを伯母さんが叶えてくれているからだ。感謝してもし足りない。


 定例の報告会を終えて受話器を置くと、変わらないね、と穂乃香が言った。


「今度、顔を見せに行かないとな」

「伯母さん、もっと話したいっていつも言ってるもんね」


 少しは元気を取り戻した様子の穂乃香の声を聞きながら、伯母さんの好物は何だったのかを思い出していた。


 まだ出かけるまで時間があり、リビングのソファーに座ってテレビから流れる天気予報を眺めていた。予報では今日明日と降水確率は極めて低いらしく、お出かけ日和の休日になりそうですね、とお天気お姉さんが言っていた。


 もし雨が降ったとしても互いのお泊り会は中止にはならなく、晴れた方が何かと面倒がなくていい、くらいにしか思っていなかった。観測目的の夕貴には悪いが、それほど星に興味のない俺からすればどうでもいいことだった。


 天気に興味もなければ気にもしていない。ただ、一階に留まっていても不自然ではない用事をつくっただけに過ぎない。


 心配事がある。それが消えるまでは、ここを離れるわけにはいかなかった。


 昨日まではそれほどではなかった。でも、兆候はあった。そして、今朝になって見過ごせないほどまで酷くなっていた。血の気の薄い顔色からは睡眠不足が窺え、俯き気味の視線がこれからの不安を語っているように見えた。


 精神面で抱えた問題が体調にまで影響を及ぼしている。そんな、すぐにわかってしまう不調な様子でも、俺と向き合えば平気そうな振る舞いを演じていた。今も背後で食器を洗っているが、その音も何処か寂しく聞こえてくる。


 声を掛けるべきなのだろう。もし、このまま何もしなければ、穂乃香は約束通りの時間に家を出る。体調が悪いことを告げることはなく。誰にも言うこともなく、隠し続けるのだろう。


 テレビに映し出されている時刻は十時二十分を過ぎていた。約束の時間まで二時間と少し。時間はゆっくりと、けれど確実に過ぎていく。


「無理してないか?」


 テレビに顔を向けたまま口を開けば、ぴたりと洗物の音が止まった。それからしばらくして穂乃香は言った。


「どうしたの急に?」


 と。まるで俺の言った言葉の意味がわからない、と言いたげな口調だった。


「急じゃ、ないな……。体調が悪そうに見えたから」

「気のせいだよ。少し寝不足なだけで、他はなんともないよ」


 穂乃香は平然と嘯いて止めていた手を動かし始めた。これ以上話すことはない、と言っている様に感じられた。まだ話は終わっていないと口を開こうとすれば、


「いつも通りだよ。心配しないで」


 と、先回りされる。穂乃香は俺が何を言いたいのかわかっている。わかった上でそう言っている。


 いつも通り、心配しないで。何処がいつも通りで、何を心配しなくていいのだろうか。


 昨日までは見守ろうと思っていた。穂乃香が言わないのなら、言うつもりがないのなら、俺は余計な気遣いをせず黙っていようと。でも、時間が経つにつれて穂乃香の表情から、その声から、隠しきれない不安が零れるようになってしまった。言葉数も少なくなって、いつもなら気にもならない無言の時間を気にするようになり、無理に話題を見出しては話しを始めた。


 けれどふとした拍子に会話が止まると、途端に切っ掛けを見失って、そのまま黙ってしまった。そんな風に、俺に心配を掛けまいと無理をして嘘を吐いているから、余計に堪らなくなって見ていられなくなった。線引きする必要があった。


「中止にしてもいいんだぞ?」


 無理に進める必要はない。不安なことが少しでもあるのならやめるべきなんだ。


「今日じゃなきゃいけないってことはないんだ。体調が悪いなら無理する必要はないだろ?」

「私は大丈夫だから。託は何も心配しなくていいんだよ」

「言ってくれない方が心配なんだ」


 何かが起きてからじゃ遅い。兆候は表れている。それを見逃せば取り返しのつかないことになるかもしれない。


「託は、行った方がいいって、思ってるんだよね?」


 しばらくして穂乃香が口を開いた。


「それは、まあ……」

「みんな、今日を楽しみにしてる。私の都合で中止には出来ないよ」


 それが穂乃香の本心なのだろう。俺の想いを汲んで、みんなのことを考えて、自分のことは後回しにしている。自分の事より相手を優先している。穂乃香の良いところであり、悪いとこでもある。


「ごめんね」


 と、穂乃香が言った。


「本当はね。今夜のことを考えると少し怖い」


 予想通りの言葉はではあった。だからこそ、少しだけ残念に思う。

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