天体観測から見える景色2
「考えろって、何をだよ……」
そう教科書に向けて文句紛いの問いを投げかけてみたが、当然の如く答えが返ってくることはない。
二時間目の古典の授業中。俺は、昨日の夢を思い出しては独り言を呟いていた。寝ぼけているということではなく、まして古典の教科書に口がついていて答えを返してくれるなどとは微塵も思っていない。問うような言葉を吐いているが、そもそも答えが欲しいわけじゃない。
今朝から続いている倦怠感にも似た陰鬱な気分が腹に溜まっている。厄介なことにその感情は授業が始まっても改善されなく、いつまでも引きずっては吹っ切れられないでいた。
教壇で淡々と語る教師の声も、いくらか煩わしく感じているくらいには重症気味。そんな気分を抱えたまま真面目に授業を聞けるわけもない。形だけとペンを持っていたが、今は手放している。
そっと外へ視線を投げてみる。空だけは晴れ晴れとしていた。雲の少ない煌々と輝く陽の光さえも、不調を促進させているのではないかと身勝手な被害妄想を抱いてしまう。気分が悪くなれば目に映る何もかもが嫌になる。
全ての元凶は悪夢にある。多い時には一月に数回ほど見る悪夢は、そのどれもが不快な夢となる。普通の夢とは出発地点から違い、悪夢は決まって暗闇の中から始まる。立っている場所は何処でもなく、登場人物(生き物?)に知り合いは出てこない。そして、悪夢から覚めれば何とも言えない複雑な感情に悩まされる。
気分の悪さで言えば遊園地のジェットコースターとか、回し過ぎたコーヒーカップの酔いに似ている。夢は記憶の整理に伴う現象であり、内容は深層心理だと耳にしたことがある。悪夢を見る原因がそのどちらかだとしても、直接的な原因は思い当たらない。治療法もなければ処方箋もなく、気分を落ち着かせるには時が経つのを辛抱強く待つ他なかった。
溜息が漏れる。見たくもない悪夢を見てしまうのは、この際仕方がないと思っている。気分が悪くなること以外では支障のない、ただの夢でしかないからだ。それよりも、この夢の所為で穂乃香に心配を掛けてしまっている現状にとても迷惑している。
きっと、授業中の今も穂乃香は心配している。病院のお世話になるほど重症と言うわけでも、これからより酷くなることもないのに、余計な気をまわして一人で思い悩んでいる。本人よりも思いつめてしまう嫌いがあるから、そもそも穂乃香には知られたくないことだった。
けれど隠す努力は出来なくて、取り繕えなくて、何もかもが中途半端になって余計に心配を掛けてしまっている。次に穂乃香と顔を合わすまでには落ち着いていたいものだが、今日はとくに時間が掛かっている。
その原因だけはわかっていた。今回の夢に出てきたあの生物の言葉がどうしてか耳に残り、それがどうしようもなく腹立たしくて忘れられない。
言っている意味も、何を伝えたいのかもわからない。でも、胸の辺りがムカムカしてくる。どの言葉に苛立っているのかもわからないのに、苛立つ気持ちは無くならない。訳の分からない感情に振り回されて悪循環が続いていく。そのまま午前の授業を終えた。
時間が掛かりそうだなと思っていた重たい感情は、ある時を境にふっとなくなった。特別なことは何もしてはいなく、無くなるタイミングはいつも唐突なのでそれほど気にしていない。これで穂乃香に余計な心配を掛けなくて済むと安堵しつつ、夕貴と滝椿を連れて教室を出た。
二つ先の教室の廊下で穂乃香と雪花と合流して屋上へ向かう。その道すがら、背後から奇妙な会話が聞こえてきた。
学校へ着いてからは誰とも話す気分ではなく、夕貴や滝椿が話し掛けてきても、それらをちゃんと聞きもせず適当に相槌を打って聞き流していた。その右から左へと流していった会話の中に、週末に夕貴と遊ぶ約束をする類の会話が交わされたらしく、それに俺が承諾していることになっていた。
どういう経緯でそのような話が持ち上がったのかも覚えていなければ、承諾した記憶もない。すでに決定事項となっているらしく、夕貴が嬉しそうに話していた。
「本当にいいの?」
夕貴の話に耳を傾けていた雪花が、いつからか俺を見つめていた。いつになく心配そうな表情を向けたまま、
「託さんは、それでいいの?」
と、問い詰めるような言葉を続けた。そんなに焦らなくても、と内心で思いつつ、落ち着いていられない雪花の気持ちは十分過ぎる程に理解していた。
雪花は、この話が単なる遊びとは思っていない。もっと深刻なことだと認識している。俺自身もそのことを考えながら弁当を食べていたのだけれど、そんな顔をされては食事も進まない。仕方なく箸を置いて、〝どちらにするか〟決断を早めることにした。
何故“らしくない”表情を雪花がしているのか。それは、朝から続いていた俺の不調を心配しているとか、気遣っている、ということでは決してないと言い切れる。そもそも悪夢のことは穂乃香以外は知らない。もし知っていたとしても、こうもあからさまな気遣いを雪花は見せないだろう。




