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ふれられないもの  作者: 柳
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父さんと母さん3

 

 中学の二年生になり、もうすぐ五月が終わろうとしていた。


 共働きだった両親と過ごした時間はあまり多くない。いつも穂乃香と二人だったが寂しいと思ったことはなく、それが当たり前になっていた。日々仕事に追われているように過ごしていた両親は休みの日も当然忙しく、どこかに連れていってもらった記憶は数えるほどしかなかった。


 それでも両親は短いながらも休みを作り、時間が許す限り一緒に遊んでくれた。そんな両親が、俺も穂乃香も大好きだった。


 共働きだったため、他の家に比べ金銭面では裕福だったと思う。遊んであげられない償いとして、子供にしては多すぎるお小遣いを与えられ、穂乃香と一緒にいろんな場所に遊びに出かけた。言えばきりのない些細な望みはあったが、俺たちは今のままで十分満足していた。


 ある日、両親は俺たちのために二日間も休みをとってくれた。今になって考えると、そうとう無理をしたのだと思う。両親揃っての二日間の休みなんて今までになかったことだったし、前日まで零時を過ぎての帰宅が続いたのを覚えている。


 休みをとったと聞いたその日の夜、俺と穂乃香は二人で何処に行きたいか真剣に話し合った。遊園地、水族館、動物園。思いつく場所は沢山あった。けど、穂乃香と意見が割れることはなかった。温泉旅行だ。


「本当にそこでいいのか? 他に行きたいところあるんじゃないか?」


 と、父さんに尋ねられた。行ったことのない場所に行くのも魅力的ではあった。でも、正直に言ってしまえば別に何処でもよかった。


 例え近所の公園であろうと、家族四人で出かけられるなら何処だって。それに、温泉旅行は普段頑張ってくれている両親に少しでも疲れをとってほしいという気持ちも含まれていた。


 出かける前日はなかなか眠れなかった。学校の遠足や修学旅行は全然眠れたのに。それほど楽しみだった。


 出発の朝。リビングへ行くと、父さんが電話で誰かと話をしていた。話しの内容は、急な仕事が入り会社に出てくれないか、というものだった。


 天国から地獄へ突き落された気分だった。学校で行われるどの行事より、待ち遠しい夏休みより、欲しいものが手に入るクリスマスよりも今日を楽しみにしていた。昨日はなかなか寝付けなくて、それでも旅行を台無しにしたくなくて、無理やり目をつむって寝た。それが電話の一本で白紙に戻ってしまう。


 期待していた分、落胆も大きかった。見えない誰かが意地悪をしているんじゃないかと思えてきて、悔しくて胸が苦しくなった


「すいません。今日は家族と旅行なので行けません」


 諦めていた。“ごめん。行けなくなった”という言葉をいつでも受け入れる覚悟を決めていた。だから、父さんの言葉が嬉しかった。俺たちの為に無理をしてくれているのが伝わってきた。背後で穂乃香が俺の腕をつかんで立っていた。


「お兄ちゃん……」


 言葉にしなくても、穂乃香の言いたいことは伝わってきた。俺と同じ事を考えていたのだから。電話の途中でも、俺は父さんに話し掛けた。


「俺たちは大丈夫だよ」


 悔しさはある。でも、絶対に表には出さないようにした。


「会社、行かなくちゃいけないんでしょ? 旅行ならさ、いつだって行けから」


 今できる精一杯の笑顔を作った。言えたんだ、と自分を褒めてやりたかった。そうじゃないと後悔に押しつぶされそうになる。絶対に俯いてはいけないと、必死に父さんを見つめた。


 ふと、視界の端にいた母さんがこちらにやってきた。歯を食いしばるような、何かを我慢している表情のまま穂乃香ごと俺を抱きしめた。突然のことに言葉が出なかった。


「あなた達は、本当にいい子に育ってくれたわね」


 泣きそうな声が耳に届く。その瞬間、我慢が出来なくなった。悔しくて、我儘を言いたくて、でも言えなくて、言葉に出来ない感情が胸に押し寄せてくる。平気な顔を見せないと、と慌てて顔を上げると大きな手が頭に乗った。


「ありがとうな。でも、父さんが行きたいんだ」


 悔しさはもうなかった。見えない何かに邪魔されようと、父さんならどうにかしてくれるって思えた。


 電話を終え、みんなで荷物をまとめて玄関を出る。車のトランクに荷物を入れて後部座席に乗り込み、シートベルトをしっかりと締めた。口には出せない不安を抱えながらも、誰もそのことにふれることなく車は走り出した。


 大丈夫だ、何も問題ない。と父さんは言ったが、母さんの心配そうな顔が余計に不安を煽った。両親の通勤手段は電車だったので、車の運転は本当に久しぶりだった。


 車で二時間の道のりを安全運転で進んで行くが、乗り心地はあまりいいものではなかった。時折の急ブレーキに揺れる車体。こんな時でもすやすやと眠っている穂乃香が信じられなかったのをよく覚えている。


 予定時刻より少し遅めに旅館に着いた。街を外れ、森の中に建つ旅館は小さく古風な造りだったが、等間隔に設置された提灯型の緩やかな灯りが浅い池に反射し、なんとも不思議な雰囲気を出していた。


 旅館の女将さんに案内され、四人部屋にしては十分広い一室に通された。荷物を置いた時、ようやく張っていた緊張が解けた。


 それからは夢のような時間が過ぎた。穂乃香は母さんと、俺は父さんと普段話せなかった話をいっぱい聞いてもらった。


「託真は好きな子、いないのか?」


 食事が運ばれてくる前に露天風呂に入ることになり、夕日が沈みかけた茜色の空を眺めながら少し熱い温泉にひたっていると、父さんに話しかけられた。突然振られた話題だった。父さんは気付いていなかったと思うけど、内心焦っていた。

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