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ふれられないもの  作者: 柳
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日常3

 

 その日から穂乃香は髪を伸ばすことはなくなり、しばらく同じ髪形を続けていた。そのことに気づいたのはだいぶ後になってからだった。穂乃香は俺の意見を尊重し過ぎるきらいがある。だから、言葉は選ばなくてはいけない。


「今度は自分で決めてみな」


 突き放す言い方になってしまったが、何事にも俺に委ねてしまう穂乃香の癖は治さなければならない。以前から思っていたことであり、気づいたときにはこうして実行に移してきた。


「気に入った髪形でいいんだよ。どんなんだろうと穂乃香なら似合うから」


 短髪でも長髪でも、どんなに変わった髪形であろうと、穂乃香の魅力が損なわれることは絶対にない。失敗したと思っても髪はまた伸びる。だから、自分の気に入った髪形でいいのだと、伝えたかった。


「託の言いたいことわかるよ? でもね、迷った時は相談してもいいよね?」


 不安そうな顔を向けれると、揺れてしまう弱い自分がいる。逡巡した後、ある程度の妥協はしかたない、と俺は頷くのだった。


 髪形の話も一応の区切りがつき、その後も他愛ない話をしながら歩けば、視線の先に大きな犬を飼っている家が見え始める。シェットランド・シープドッグという種類の中型の雄犬で、黒、茶、白色のふわふわの毛並みが特徴的な賢い犬らしい。


 今日も、庭先にある犬小屋に繋がれたリードを限界まで伸ばしているのだろう五郎(犬の名前)は、玄関先からこちらに向けて元気に尻尾を振っていた。毎日俺たちを待ち構えているのか、もともと見晴らしのいいその場所が気に入っているのかは知らないが、穂乃香をジッと見つめては伏せの姿勢で大人しくしている。


 まるで、撫でてくれと待ちわびているかのような態度は、見ようによっては可愛らしくもある。体が大きいわりに大人しい五郎を俺は気に入っているし、動物好きの穂乃香はもっと好いている。すでに俺たちは仲良しの間柄であり、改めて許可を求める必要はなく、挨拶とともに穂乃香は五郎の体にふれた。


 五郎と出会ってから一年くらいが経つ。何処を撫でれば五郎がより気持ちよくなるのか、ふれあいの中で把握していった。最初こそ焦らす様に優しく表面を撫で、徐々に大胆に両手を動かし、体全体をわしゃわしゃと乱暴に揉んでいく。それが極上に気持ちいいらしく、五郎は口元から舌とよだれを垂らして蕩けた顔つきでこちらを見ていた。


 凛々しさの欠片もない表情は見慣れているが、見ようによっては危ない顔つきだ。そんな少女と犬の戯れを眺めていれば、家主(飯田さん)がこちらに気づき窓越しに〝やあ〟と手を挙げて挨拶をしていた。穂乃香は五郎と遊ぶのに夢中になっているらしく、代わりに俺が穂乃香の分まで頭を下げておく。


 毎朝のように穂乃香が五郎と戯れているのは飯田さんも知っているし、会話も何度も交わしている。物腰の柔らかい飯田さんはとても良い人で、こちらが望んでしていることなのに、いつも遊んでくれてありがとう、と逆にお礼を言うような大人である。いつか、時間がある時にゆっくりと話したいと思っていものの、飯田さんは多忙らしく、こうして朝にしか顔を合わせられない。それだけが少し残念に思う。


 数分も戯れれば五郎は息遣いは荒くなり、それが終了の合図となる。あれだけこねくり回せば、穂乃香の手に五郎の毛が絡まってしまうのは仕方ない。予め許可を貰ってあるので、庭先の水道で洗い流す。


 その時になってようやく、飯田さんの存在に気が付いた穂乃香は慌てて頭を下げていた。そんなこんなで、時間にして短くも満足した様子の五郎は体を倒したまま、声もなく遠ざかっていく俺たちを目だけで追っていた。


 五郎と別れてしばらく経ったが、まだ戯れた時の高揚感が残っている穂乃香は上機嫌な様子だった。時折、何も無いところでふっと思い出したように小さく笑ったりしている。行き交う人には聞こえないくらいの小さな声で笑っている。楽しくて可笑しくて、抑えようとしても思わず感情が零れてしまうのだろう。その気持ちはよくわかるし、それにつられるように俺も笑っている。


 知っているのだろうか。穂乃香はこんな単純なことで笑えるのだということを。

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