友人6
職員室で日誌を届けた後、俺と穂乃香は昇降口を出た。
「誰と話していたの?」
隣を歩く穂乃香が言う。気づいているような素振りはまったくなかったのに、話声でも聞こえたのだろうか。
「ああ、栗崎だよ」
「教えてくれればよかったのに。お礼、言いたかった」
「それなら、俺が言っておいたから」
「自分で言いたかったの」
穂乃香の気持ちはよくわかるし、感謝されれば栗崎も悪い気はしないだろう。けれど、栗崎の行動を見ている限り、穂乃香との接触を避けているようにも思える。それが不可解だった。
「何話してたの?」
穂乃香の問いかけに少しだけ迷った。他校性の待ち伏せ、栗崎の話を言うわけにはいかなく、ただの世間話だ、と誤魔化すことにした。だが、その返しはあまりにも適当だったらしく、穂乃香は怪訝そうな顔を俺に向けていた。
「うそです。託が世間話してるところなんで聞いてことないよ」
嘘を見破ったような得意げな口調で言うと、穂乃香はくすっと小さく笑った。
「そんなことないだろ。よく話してるよ、色々と」
「もう、嘘つくの、下手過ぎ」
何がツボに嵌ったのか全然理解できなく、若干馬鹿にされているようにも感じたが、穂乃香が笑えばそれがどんなことでも幸せな気分になれる。
いつのも変わり映えしない放課後の風景。周囲に生徒の姿はなく、少し離れたところでは部活動をしている生徒達。二人の足音と、穂乃香の楽しそうな笑い声。
ああ、と思う。ただ隣にいる人が笑えば心が満たせれる。心地の良い声が静かに俺の胸を打つ。俺が護りたいものがここにあると自覚する。こんな時間がずっと続けばいいのに、と思ったのも束の間、穂乃香はすっと笑いを収めて校舎の方を見つめた。
どうしたのだろうか、視線の先を追ってみれば、校舎裏の花壇に体操着姿の女子が花壇の前に屈んで、黙々と作業している風景があった。そういえば表にある整った花壇とは別に、大きいだけの手入れのされていない花壇が放置されているのを思い出した。
美化委員なのだろうか。大きなシャベルと膨らんだ透明のゴミ袋が傍らにあり、左側の花壇がまっさらになっている。季節が変わり枯れた花と雑草を片付けているのだと察する。作業はそれほど捗ってはいない様子だった。
放課後から一時間が経っている。いつから始めたのかはわからないが、とても二、三日では終わらない量の雑草が花壇を埋め尽くしいる。雑草を両手で掴み引っこ抜こうと力を入れている様子がここからでも見えるが、まず体勢が悪い。踏ん張っているようでもなく、体重を後ろに反らしてもいない。
それでは力が伝わらない。疲れているのかもしれない。彼女の動きは遅く、いつ手が止まり座り込んでしまっても不自然ではなかった。そして何よりも、彼女の周りの空気は陰鬱という言葉がぴったりとはまる。ぱっと振り返った穂乃香の瞳が俺を見据え、一つの感情を訴える。
「いいよ」
穂乃香は嬉しそうに、はい、と声を上げて校舎の裏へと足を向けた。普段よりもしっかりとした足取りで、頼もしく見える背中を眺めながらその後を追う。
彼女に話し掛けてみれば、驚いたことに自主的に活動していると言った。額に玉の汗を浮かべ、顔に泥を付けている様はなんとも不器用そうで、放っておけない気持ちにさせられる。
手伝いを申し出れば、最初は遠慮していた彼女も、穂乃香の揺るがない瞳を真っ直ぐに向けられれば、むしろ断ることに抵抗が生まれる。一巡して顔を上げた彼女はやや控えめに、助かります、と小さく頭を下げた。人数が増えたことで作業速度はぐんと上がり、話しを交えながら作業をこなした。
彼女は今年の新入生だった。今週の初めに教師に許可を取り、一人で時間を見つけてはここへ足を運んでいたらしい。
思い出のある花壇だったのだと、彼女は語った。歳の離れた姉がまだここの生徒だった頃、一度だけこの花壇を目にしたことがあると。当時は真っ赤な花が一面咲いていて、それはとても綺麗だったのだと。穂乃香は手を止め、彼女の話に耳を傾けては相槌を打つように首を縦に振っていた。
「もう一度見たいんです。あの時の景色を」
彼女は呟くように言葉を漏らした。その言葉には多くの想いが込められているように感じた。でも、と視線を落とす。
「もう遅いんですよ。私が見たのは春に咲く花なので」
馬鹿ですよね、と彼女は言った。真剣に語ってしまったことが恥ずかしいのか、誤魔化すように手にしたシャベルを忙しなく動かしていた。
恥じる必要など何一つない。私的な目的であっても、一人で、誰にも協力を仰がず、一生懸命に実現させたい目標の為に行動している彼女を笑う者など、この場にはいない。
そう言葉にしかけて、俺は口を閉ざした。俺の言葉よりも、もっと素晴らしい答えを持っている人が近くにいるのを知っているから。
「では、来年が楽しみですね」
彼女は手を止め、驚いた顔で穂乃香を見つめた。笑われると思ったのだろう。馬鹿にされると思ったのだろう。でも穂乃香は、目の前の人は、戻れない過去に後悔するのではなく、一年後の未来を見つめている。
綺麗だと言った花壇が未来にあるのだと信じて疑わない。敵わないなあ、と思った。




