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ふれられないもの  作者: 柳
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友人5

 

 放課後になり、穂乃香の日直の仕事が終わるのを廊下で待っていると、背後から声を掛けられた。顔を向けると、三メートル程の距離を空けた先に栗崎の姿がある。数日前と同じく無害そうな微笑みをこちらに向けていた。


「浜田は学校に来たか?」

「いえ、まだ。そのことに関しては心配しないでください」


 先日と同じことを告げられる。それは何だ、と再三尋ねたとしてもきっと、栗崎は同じ言葉を繰り返すのだろう。今はそれで納得しておく。そっと穂乃香に視線を向け、数秒後に栗崎に戻す。


「この間は世話になった」

「気にしないでください。僕たちは好きでしたのですから」


 言葉や仕草は一見、謙虚そうでありながら、些細なことでは動じないと思わせる佇まいで栗崎は微笑んでいる。助けた、助けられたとは決して言葉にしなく、あの日のことを恩に着せようとする素振りはない。それを善意として受け止められれば簡単だが、甘く考えていれば傷を負う。


 穂乃香に近づきたい、穂乃香と関わりたい。そう思う人が行動を起こすなら絶対に裏はある。対価として何かを求めることは少なからずある。


 それは栗崎にも、その場にいた男たちにも言えることだ。でも、栗崎は常に一歩引いている。不自然だと思ったのと同時に、栗崎の胸元に視線が止まる。


「お伝えする必要はないかもしれませんが、一応。彼らのまとめ役もしています。恥ずかしくてとても大きな声では言えませんが、ファンクラブの会長のようなものだと考えてください」


 会長ね、と俺は心の中で呟いた。栗崎があの中で上の立場であることは、その場にいた男たちの反応を見ていればなんとなくわかっていた。


 そして、直接手は出さなかったが、栗崎も集団暴行に加担したことも。浜田を痛めつけている時も平然と、そうなって当たり前だと言うように堂々としていた。背は俺よりも少し低く、性格も穏やかそうに思える。


 けれど栗崎が〝問題となりえる暴力〟で解決した事実がある。無害そうな人でも、裏では酷いことを考えている、なんてことは多々ある。一辺でその人を見ようとすれば火傷する。


「ほかの連中はどうした?」

「さあ、どうなんでしょう? 僕たちはいつも一緒にいるわけではないので」

「そうなのか」


 言葉は栗崎に、視線は穂乃香に向けている。日誌を書いているのか、ペンを片手に日誌に視線を落としていた。その手がふと止まると、顔がこっちに向いた。話し声が聞こえたのかなと思っていたが、穂乃香は“もう少し待っててね”と言うだけで栗崎に気付いている感じはなかった。


 違和感が胸を巡る。栗崎はその場から動くことはなかった。穂乃香から見えない位置に留まり、まるで気づかれないように息を潜めている。


「少しの間だけ、私の話に付き合ってもらえますか?」


 栗崎の問いに、長くなられければ問題ない、と答える。では――と言って栗崎はそっと顔を寄せた。


「裏門は使わないでください。他校の生徒が待ち構えています」


 まるで密告するように囁くと、栗崎は元の位置に戻る。そして、柔らかい笑みを浮かべると窓の外へと顔を向けた。


 違和感は残り続ける。ファンクラブの会長であれば、穂乃香に興味がないわけではないだろう。接点を作るなら今が絶好の機会だったはずなのに、栗崎は自ら穂乃香を避けているようにも感じられる。


 不審点はいくつかある。けれど、いくら考えを巡らしたとこで他人の心が読めるわけはなく、無理やり関わろうとする奴らよりは問題も起こりづらい。一旦保留とし、栗崎が見つめる方へと顔を向けた。


 栗崎が何を考えているのかは別として、穂乃香絡みの忠告は素直に有り難い。事前に回避できるのであればそれに越したことはない。が、心中にあるのは、またか、という呆れだった。


 穂乃香の愛らしさは、我が校を超え他校にまで広まっている。それは仕方ない。産まれ持った穂乃香の愛らしさは、隠そうとしても隠しきれない。


 それでも文句は出る。自分大好きな輩と付き合わなくてはならない俺と、穂乃香の苦労を少しはわかってもらいたい。


 そんな身勝手な連中に付き合ている穂乃香が悪い、と言う人もいるかもしれないが、少なくとも俺はそうは思わない。どんな人であろうと、その人の気持ちを大切にしようとしている穂乃香を、どうして悪いと言えるのだろうか。立派だと、誰の前であろうと胸を張って言いきれる。


 それと同じく、この現状を不憫だと感じてしまっているのも事実だ。そして、穂乃香の気持ちを尊重しているからこそ、強硬手段には出られない。


「つまらない話なんですけど、聞いてくれますか?」


 栗崎は窓の外に視線を向けたまま、そう言った。


「暇だしな」


 それほど時間があるわけではないが、時間潰しにと栗崎の話に耳を傾けた。それはある男の話だと前置きして、栗崎は話し出す。


「去年の、入学式での話です。穂乃香さんは新入生の中でも、一際目立った存在でした。彼は一目で惹かれてしまったそうです。けれど、その少しあと、穂乃香さんの隣を歩くあなたを見つけました。二人はとても親密に見え、心のどこか奥で繋がっている、そう感じさせられたそうです」


 たったそれだけで、そう感じてしまったが故、彼は諦めた。自分では敵わないと。


「それから穂乃香さんの姿を目にする度、意識もしないのに目で追っていました。そして、隣にはいつもあなたが寄り添っていました」


 栗崎の話を聞きながら、一年前の記憶を思い返していた。その頃は特に酷い時期だったと記憶している。


 穂乃香に群がる男。遠慮のない陰口。まだ、雪花と友達になる前のこと。穂乃香の傍にいなければ不安だった。


「それから一ヵ月が過ぎた頃。どこからか、あなたと穂乃香さんが兄妹だと彼は知りました。彼はすぐに手紙を書きました」


 すっと息を吐き、栗崎は口を閉ざした。


「話の途中になってしまいましたが、もう時間のようですね」


 栗崎が話しを終える少し前に、視界の隅にいる穂乃香が日誌を閉じて立ち上がるのが見えた。姿は見えなくても、椅子の引く音で察したのだろう。それほど経たずここへやってくる。


「時々、話し相手になってもらってもいいですか?」


 栗崎は言う。


「ああ、構わない」

「ありがとうございます。では――」


 栗崎は背を向け、曲がり角へと消えていった。迷いのない後ろ姿だった。


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