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ふれられないもの  作者: 柳
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日常2

 

 全ての窓の施錠忘れがないか確認し、一足早く玄関先で穂乃香がやってくるのを待っていた。五月も半ばを過ると、日に日に暖かくなっていくのを感じる。穂乃香が言っていたように本日も天候が良いらしく、青々とした空と薄い雲が視界に入った。


 そろそろ衣替えの時期なんだな、と呑気に考えていれば、そういえば夏服はどこに仕舞ったのだろうか、と疑問が浮かんでくる。半年も経てば記憶は曖昧になる。


 目につく所にないのはわかっているのだが、それ以外だと思いつく場所がない。記憶の糸を手繰っていくと、思い出すよりも早く、制服姿の穂乃香が玄関の鍵を閉めて隣へやってくる。


「おまたせ」


 穂乃香の声に途中まで進んだ記憶の糸は完全に途切れてしまった。忘れてしまったのならもういいか、と思い出すことも放棄した。そもそも、穂乃香に訊けば知っているかもしれないし、案外とあっさり見つかるかもしれない。もし、穂乃香が覚えていないのならやや面倒になるのは確定なのだが。


「考え事?」


 俺の顔を見ながら穂乃香が尋ねた。それほど深刻に考えていたわけじゃなかったが、穂乃香には何かしら伝わってしまったらしい。


「たいしたことじゃないよ」


 夏服の件は帰ってから話せばいい。一旦は保留にして、穂乃香お手製の昼食用の弁当箱を二人分受け取り、肩を並べながらゆっくりした歩調で交通量の少ない通学路を歩いていく。


 住宅街を抜け、大通りに差し掛かり左へ進路を変え、道沿いに東へ進んだ先に県立の高校がある。一年前から通っている高校は家から一番近くにある県立の高校であり、特筆すべき点のない平均的であることから、同じ中学の卒業生ならば大体がその学校へ進学している。自分の成績を考えれば今の学校が妥当であり、一部の教師に不満はあるものの、週明けの月曜日が憂鬱になることはあまりない。それは穂乃香も同じなんだと思う。


 ただ、穂乃香の学力であればもっとレベルの高い高校へ進学することができ、当時の穂乃香の担任は熱心に違う進学先を推していた。そして長い話し合いの結果、諸々の事情や本人の強い意向により、穂乃香は俺と同じ高校を選んだ。自分の為に一生懸命になってくれた教師に申し訳なさそうにしていたものの、穂乃香の意思は最初から決して揺れることはなかった。


「少し、暑くなってきたね」


 大通りを少し進んだ時、のんびりとした声が隣から聞こえてくる。


「そうだな。梅雨前なのにもう夏が始まったかのようだな」


 そう思えるくらいには今日という日は気温が高い。通気性の悪い冬服を着ている所為もあるのだろう。この時間帯でそう感じるのだから、昼にはもっと気温が上がるのは安易に予想できる。そう思うだけでうんざりするのだが、穂乃香はそれほど気にならないらしく涼しい顔をしていた。


「もうすぐ梅雨なんだよね」


 と思っていたが、僅かに声のトーンが落ちている。口ぶりから察するに梅雨に何かしらのうんざり要素があるらしい。


「雨、嫌いじゃないだろ?」


 梅雨といえば雨が多くなり、この時期が嫌いな人は少なくはないだろう。一日中続く憂鬱そうな薄暗い空に傘をさす手間。それだけでも俺が嫌う理由にはなる。けれど、穂乃香は違ったはずだ。雨天時に率先して外に出かけはしないものの、窓越しに空を眺めている姿をたまに見かけていたし、いつかに雨が好きだと言っていた覚えがある。


「梅雨ってどうしても湿気が多くなるから、髪が長いと整えるの大変なんだよ」


 女子ほど髪の長くない男にしてみたら共感できない類の不満だった。今まで湿気で困ったことと言えば、洗濯物が乾きづらくカビが繁殖しやすい、ということぐらいなもで特別意識したことはなかった。なのでそういうもんか、と納得だけして、ちらりと穂乃香の髪を横目に見てみる。


 肩よりも少し長い艶のある黒髪が小さく揺れて、光に反射しキラキラと輝いている。同じ髪でも、自分と穂乃香では毛質がまったく異なっていることに改めて不思議に思う。それは使っているトリートメントだったり、日頃の手入れなんかがその違いを生み出しているのだろうけど、どうしてこうも綺麗に見えるのだろうか。どうして、ふれてみたくなるのだろうか。


「また伸ばしてるのか?」


 少しくらいならば髪をさわるぐらい許されるだろうけれど、気まずい雰囲気にはなりたくないので堪えていく。


「うん。もう少しね」


 そう言いながら、穂乃香は左手で髪を梳いた。女子が自身の髪を触る仕草はよく目にするし、俺自身に女性の髪に強い関心があるわけではなのだが、穂乃香がすると妙に色っぽく見えるのだから不思議だ。


「まあ、穂乃香は長い方が似合うからな」


 動揺を悟られないようにそっと視線を外す。


「どのくらいがいいかな?」


 自身の毛先を見つめながら呟いた言葉は俺に問いかけのようであり、独り言のようでもあった。そうだな、と呟きながら前はどんな髪形だっただろうか、と思い返してみる。


 中学の頃は校則もあって今より短い髪形だった。それはそれで悪くなかったが、穂乃香自身ももう少し長い方がいいらしく、俺もそう思っている。


「好きにすればいいんじゃないか? 前みたいに煩い教師はいないしさ」

たくはどのくらいがいい?」


 今度は明確に俺に向けて問い掛ける。ついさっき好きにすればいい、と言ったはずなんだけど。


「どのくらいって言われてもな。邪魔にならないくらいでいいんじゃないか?」

「簡単には決められないんだよ?」


 などと言っては、悪くないはずなの俺に非難めいた眼差しを向けた。


「伸ばし始めるとね、どのくらいまでにするか迷うんだよ。だから託の意見が聞きたくて」

「俺の好みはどうだっていいんだよ。穂乃香がしたいようにしればいい」

「それでも聞きたいの」


 ふう、と小さなため息が漏れた。


「前も、そうやって俺の言葉のまま髪形決めただろ?」


 高校に入ってしばらくして髪を伸ばし始めた穂乃香はふと、俺に尋ねたことがあった。今と同じように、どのくらいが似合うかな、と。俺は思ったまま、今のままでも似合っていると言った。


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