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ふれられないもの  作者: 柳
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穂乃香の周辺7

 

 心臓は今も爆発寸前だった。どくどく、と脈打つ鼓動の音があまりにも大きくて、後ろの穂乃香にまで聞こえてしまいそうだと思うと気恥ずかしくなる。


 意識し過ぎているのは自分でもわかっている。単純に考えれば、穂乃香に背中を流してもらうだけのことであって、俺が動揺することなどない。これはお礼だと穂乃香は言っていた。


 だが、よくよく考えてみれば不自然な点がある極度の恥ずかしがり屋である穂乃香が、こんな大胆な思いつきを進んで行うとは思えない。


 お礼なら他にも方法はいくらでもあっただろう。今までもお礼と言って、お菓子や手編みのマフラーを貰ったことがある。そもそも、俺の背中を洗うだけなら穂乃香が服を脱いでいる必要はない。


「終わったよ」


 何かがおかしい、と考えが及んだところで呆気なく穂乃香のお礼は終わった。終わってしまえば一瞬のことで、洗ってもらった感覚はあまりなく、もう終わったのか、と感じるほどだった。


 背中を洗うだけならそう時間は掛からないのだから、当然といえば当然だ。ほっとする気持ちが先に出て、後から少し残念に思う気持ちが浮かび上がってくる。


「交替してください」

「はあ?」


 間抜けな声が浴室に木霊した。


「私も、身体洗いたいので」


 どうしてそういう事になるのか、まったく理解できぬままではあるが、場所を譲る為に無言で立ち上がる。そのまま浴槽に片足を入れ、正面を向いたまま湯舟に浸かった。穂乃香が身体を洗っている間、俺は程よい温度のお湯の中で壁と睨みあいをしていた。浴室は穂乃香の身体を洗う音だけ聞こえ、それが無用な想像を俺に浮かび上がらせてくる。


「失礼します」


 穂乃香もそうとう緊張しているらしく、語尾が震えていた。徐々に穂乃香が浴槽に入っていくのに比例して、お湯が上昇していく。完全に浸かりきれば大量のお湯が溢れ、排水溝に吸い込まれていった。


 俺は穂乃香に背を向けたまま。穂乃香もきっと後ろを向いているのだろう。こんなにも無防備な状態で、これほど接近したのは幼い頃ぐらいなもので、お互いの性を自覚してからは初めてことだった。


 時折、肌と肌がふれあい、その部分が熱を持った。託、と真後ろから呼ばれる。


「一緒にお風呂に入るなんて、何年ぶりだろうね」

「小学生以来じゃないか」


 と、さっきまで考えていた事だったのですぐに答えられた。


「そうだね……」


 それだけ言うと穂乃香は黙ってしまった。妙な空気に包まれ無意味に時間がすぎていく。


 穂乃香の突飛な行動。何か言いたそうな言動。言い出してくれるのを待っていては、二人とものぼせてしまうだろう。話なら浴室を出てからでも出来るだろうから、先に入った俺がここから出ていくのが自然な形。ただ、こちらも全裸なので如何せん身動きがとれなくなっている。


「迷惑……だった?」


 穂乃香が何を思ってここへ来たのか。何を考えているのかもまったく想像できなかったが、その声は泣きそうな声色だった。


「いや、そんなことない」


 誓って迷惑ではないと断言できる。ただ少し恥ずかしくて、どうしたらいいのかわからなくなっている。


「あのね。今日の事、ちゃんとお礼が言いたくて、ね」

「おう、そうか」

「託真が走って駆けつけてくれた時、すごく嬉しかった」

「少し遅いくらいだったけどな」

「そんなことないよ。託真はいつも私を護ってくれる」


 でもね、と穂乃香は続ける。


「あんまり無理しないで」

「無理なんてしてないよ」

「それでも、もうしないで。お願いだから」


 背中に穂乃香の手が触れた。震えていた。


「私を、一人にしないでね」


 水滴が落ちる小さな音と、水面に小さな波紋が見えた。


「心配すんな。穂乃香を置いて行くわけないだろ?」

「うん」

「ずっと一緒だから」

「うん」


 その後も俺が何か言えば、うん、うん、と穂乃香は何度も頷いていた。浴室を出た時には、二人して軽くのぼせていた。

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