穂乃香の周辺5
「だいたいは納得した。あんた達が善意で忠告してくれようとしたこと。結果として助けられたことも。感謝している」
感謝はしているが、栗崎のような頭を下げることはしなかった。神経を逆立てるほど過敏にはならずとも、適度な警戒心は持つに越したことはない。
栗崎と向き合いながらも彼らの動向には注意を払い、言葉の裏を読み、妙な気配はないかと目を光らせる必要がある。そのくらい深読みしなければ穂乃香は護れない。
判断材料は少なく、栗崎の話した内容だけでしかない。それを簡単に信じることは出来ない。
ただ、栗崎たちは距離感をよくわかっている。踏み込めない合間。一貫して怪しいと思われる素振りを見せない、遠巻きに見つめる数人の男達。油断は出来ないが、何かをしようとすればとっくに手を出してきているだろう。
人数的に俺が不利な状況には変わらない。そして栗崎は俺の疑いに染まった視線をすべて笑顔で返している。
「感謝なんてとんでもないです。僕たちは単純に見ていられなかっただけですから」
そう言った後、栗崎は男に視線を向けた。
“ほんと、迷惑ですよね”
そんな寂しそうな呟きが聞こえてきた。それはきっと、俺の後ろに隠れている穂乃香に向けての発言だったのだろう。その一言。たったその一言だけでなんとなく栗崎の人柄を理解できた気がした。
「助けに来てくれたこと。本当に感謝してる」
俺はもう一度、改めて想いを言葉に乗せ、そして深々と頭を下げた。後ろで少し遅れて穂乃香も頭を下げる気配を感じた。
「いえいえ。僕たちは好きでやったのですから、どうか顔を上げてください」
慌てるよな栗崎の声。さっきまでの堂々とした佇まいを一変させるような、普通の学生らしいリアクションに思わずふっと笑みが零れた。
これでとりあえずの終わりが見えた。大体の経緯は把握し、敵であった男も沈黙している。
けれど、根本的な解決にはまだ至っていない。今回は栗崎たちに助けてもらったが、本来は俺が解決しなければならない問題だった。
穂乃香に想いを寄せた男の暴走。この場合の対処として二つの案がある。標的を穂乃香から俺に向けさせるか、二度と手を出さないよう痛め付けるかの二択。
その準備をしていたわけだが、穂乃香の介入と栗崎たちの乱入でうやむやになってしまった。予想外の展開続きになれば、当然の様に予定が狂い、これからの俺の行動も必然と変わってくる。
さて、どうすべきか、と静かに思案する。今回の敵であった男はそうとう痛めつけられたらしく、気を失ない二人の男に支えられている状態だった。男を無力化することは達成されても、人数で押さえ付けてはあまり意味が無い。
要は、身体の痛みよりも心の傷を残さなければならない。そんなことを考えているとき、栗崎が口を開く。
「彼は三年、浜田祐介。普段から自己中心的で傲慢な態度を振るっているそうです」
「この後、浜田をどうするつもりだ?」
「心配には及びません。浜田くんとはゆっくりとこれからの話をするつもりです」
ですから、と栗崎が続ける。
「安心してください」
栗崎たちがどのくらい信用できるか現時点では測りかねるが、少なくとも味方ということだけは知れた。とりあえず、今回は任せてみてもいいと思えた。
「助かるよ」
もし、浜田がまた向かってくるなら立ち向かえばいい。それだけのことだ。今は穂乃香を護れたことに感謝しょう。
ようやく終わったんだな、と安堵いていると、背中にぴったりとくっついていた穂乃香が突然俺から離れた。そして、栗崎、その後ろにいる男たちに向けて深く頭を下げた。なんとも穂乃香らしい、精一杯の感謝を伝えていた。普段から穂乃香と関わる事はなく、感謝されたこともない数人の男たちは一様に表情を崩しては顔を赤く染めていた。
「では、僕たちはこれで」
そう言い、栗崎と数人の生徒は浜田を連れて裏門へと向かった。その後も俺は、栗崎が消えていった方向を見つめていた。穂乃香も黙ったままだった。ふと脳裏に不安が過ぎった。もしかしたら俺が気づいていないだけで、どこか怪我でもしたのかもしれない、と。
慌てて後ろを振り返ると、穂乃香は瞳に涙を溜めていた。ぽろぽろと涙の粒が地面に音もなく落ちていく。
「どうした? どこか痛いのか?」
穂乃香は大きく首を振った。何も言ってくれない穂乃香の様子に不安はどんどん大きくなっていく。どうすればいいのかと、そっと穂乃香の肩に手を置けば微かな震えを感じた。
ああ、そうだよな。あんな怖い思いをしたんだよな。
「帰ろう。穂乃香」
そう言っても、穂乃香は何も言ってくれなかった。頷くこともなく、ただ涙が止まらない。不安が加速して、どうしたらいいのか戸惑っていると、ふっと穂乃香は俺に身体を寄せ、胸に顔をうずめた。
「心配……したんだから」
ようやく、穂乃香の声が聞こえた。ようやく、俺は心から安堵することが出来た。怖かったのだろう。不安だったのだろう。ずっと、俺を、心配していたのだろう。
「ごめん」
穂乃香は静かに泣き続けた。理由がわかっとしても止める術を思いつかなく、泣き止むまで静に待っていた。




