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右足は相変わらず彼に囚われていて、自由なのは左だけ。
ぐらつく意識を支えるために、手に力を入れてみたけれど、ソファの柔らかさがそれを拒む。
私が左足の爪先を床に立てたのを見て、彼は右足を抱えたままソファのすぐ近くに伏せた。
彼の後頭部に隠されて右足がどうなっているかはわからないけれど、箒の先でなぞったような感覚がふくらはぎや太腿を伝ってきてぞわぞわする。
唇とまた違う、この柔らかいものは、彼の頬だろうか。その中に少しだけチクチクするモノがあって、彼もやはり男の人なのだな、と思った。
私の視界にうつるのは、彼の首筋と白いワイシャツに覆われた大きな背中。
体の線は私の女友達とは比べるまでもなく、硬そうなラインで作られていた。
「……博睦君、どこを踏めばいいの? 」
自分が口にした『踏む』という音に、顔が火照った。
「どこでもいいけれど、直接肌に触れるところがいい」
「じゃあ、最初は首、かな、そこしか見えてないんだけど」
「うん」
伏せたせいで遠くなってしまった彼の声は、明らかに喜色を纏っている。
密やかなで熱い吐息が右足の甲を這った。
私は意を決して、左足の爪先を床から離した。
ソファにくっついていた太ももがペリッと剥がれる。
緊張で口に溜まった唾液を一度だけ飲み干して、そろそろと彼の首に爪先を近づける。
人をこんな風に踏むことなんて想像したこともなかった。
息がつまる。
両肘から肩にかけてぷるっと震えたけれど、最後の警告を振り切って、私は彼の首に爪先を落とした。
親指の先に触れた首はゴツゴツして熱を持っている。
この硬いものは首の骨だろう。
触れてみたはいいけれど、次どうしたらいいのか分からない。
踏むっていうくらいだから、もっと強く押したらいいのだろうか。
私は足先を立てたまま、彼の首にぐいっと押し付けた。
爪は骨に弾かれてツーっと横に滑り、止まった。それが痛かったのか彼から、んっと吐息が漏れる。
その艶めいた音に、私の心臓が大きく跳ねた。
「っごめん、痛かった? 」
「ううん、嬉しいよ、キッカちゃんの足が僕の首に当たってるだなんて、今でも夢のようだ」
これまで人間の、そういう恍惚としたような、ドロドロと溶けたような部分に触れたことがなかった。
床から顔だけ上げた彼は、さっきまでの彼とは違う人みたいだった。
彼の動きに、爪先はさらに深く首に沈み込む。
踏んでいるのは私なのに、爪に当たった肉に私はどんどん侵食されていった。